前のブログの続きです
- カテゴリ:日記
- 2015/01/04 22:43:43
昨日からは立つことさえ出来れば少しの支えで自力で歩けるようになりました。
シルバーカーを使っても歩けるようになりました。
ただ、自力で立ち上がること…これがまだ出来ません。
10回の内、2回来たか、といった感じです。
それでも、元旦の日の状態からすれば雲泥の差なのですが、父と母だけの生活を
想定した場合は、不安はとても大きいです。
今日は自分で靴を履き、シルバーカーを自宅から自力で廊下に出して
共有部分の廊下を2周りと少し歩いて来ました。
自宅のとても重い金属のドアも何とか自分で開け、シルバーカーも玄関に
自力で入れるところまで傍らで見守っていました。
明日から主人が仕事初めで、私も息子の療育手帳の再判定のために
宇都宮へ朝から行かなくてはならない為、今日中に自宅へ帰宅しなければ
ならないので、母が自力でどこまで出来るのかを確認しておかなければと
思ったのですが、思った以上に体が動けていたので少しだけ安心しました。
姉は年末で仕事を一旦辞めました。
が、仕事場での冷えと疲れが出たのか、お腹の調子がひどくて実家へ
来られる状態になく、昨日の午後から顔を出してくれました。
2人で協力して姉が「ゴミ屋敷」と呼んでいた母の部屋の大掃除をしました。
押入れまでは手が回らないので、部屋に積み上がって埃をかぶっていた品々の
確認と処分などを数時間かけて行いました。
腰が90度以上曲がり、あまり動けない状態が続いていたことで部屋は少しづつ
たくさんの品物で埋まっていってしまったようです。
日常的に必要なものは万年床となってしまった布団の周りを囲むように
並べられたり、積み重ねられたりといった状態でした。
45L入りのゴミ袋3袋以上は処分したと思います。
エアコンを嫌って電気ストーブを使っているのですが、いつ火事になっても
不思議ではない状態で使っていたので、まずは安全に使えるように
ストーブを置くスペースを確保しました。
本当はエアコンを使ってほしいので、無くなってしまったエアコンのリモコンを
片付けながら探したのですが、見つかりませんでした。
ですが、見違えるように部屋は片付きました。
(とは言っても、他のお宅の部屋に比べたら、まだ雑然としているかもしれません)
ヘルパーさんに何度も部屋を片付けましょうと言われていたそうなのですが
全て必要なものなの…と、受け入れなかった母でしたが抵抗することなく
私たちの片づけを受け入れてくれました。
部屋に掃除機をかけ、午前中にコインランドリーで洗っておいた母と父の
寝具一式を布団にかけ、ベッドメイキング。
長かった1日がようやく終わりました。
母はこんな状態なので、1週間お風呂に入れずにいます。
歩けるようにはなりましたが、湯舟をまたげないのです。
寒い時期なのでシャワーだけで済ます訳にもいきませんし、まだまだ
水回りで母の介助をするには不安が多きすぎます。
ですが
「明日はお風呂に入ろう。いや…シャワーだけかな…。
だめだめ…まだそれも無理かしら」
と、認知症で自分の状態を把握しくれてないからなのか…。
それもとも、それほどまでにお風呂に入りたいからなのか。
毎日のように同じことを何度か口にする母。
少しでもさっぱりしてもらえないかと、寝巻に着替える前に蒸しタオルで体を拭き
下着を替え洗濯して部屋干しするようにしました。
本人は躊躇しましたが、下半身も拭きました。
そして化膿止めのお薬を塗って完了。
本当はもっと何か出来たらいいのですが、これぐらいのことしか出来ません。
そんな私たち姉妹に母は
「本当に助かったよ…」
と、お礼にとお金を差し出してきたので断りましたが、何度か
「受け取って」
「お金目当てではないし、これからお金がもっと必要になるからもっていて」
とのやり取りを何度かやった後、母の気持を汲んで姉共々受け取ったのでした。
子どもなのだから当たり前のことをしただけなのに…。
ましてや、姉と違って私などは滅多に来られず…母から愚痴をこぼされても
仕方ない立場なのだろうに…と、申し訳なくなって少しばかり切ない気持ちに
なりました。
「自分物を買うのに使いなさい」と母は言いました。
親は自分がどんな状態になっても親の顔を持っていてくれるのですね。
母の状態が悪くて泊まり込んだ3日間でしたが、結婚して初めて昔のような
生活が出来ました。
懐かしかったです。
そして嬉しかったです。
ごめんなさい!書き込んで下さったのに気がつけなくて…すみません。
目が離せない状態ですし、色々な面で心配です。
とりあえず1週間入所できたので、胸を撫で下ろしています。
大変なご経験をされてこられたのですね。
お仕事をされながら…。
娘さんのお力を借りながらとはいえ、全ての方が出来ることではないと思います。
感服いたします。
親はいつも、どんな時も…どんな状態になっても親なのだと思いました。
そういった部分が残っていてくれたことに嬉しさと…切なさとが交差して
ともすれば涙が溢れそうになりました。
ありがたいですね…。
大変でしたね。
そうなんです、動けないとものがどんどん周りから埋まっていき、
自分の居場所のみあいている状態で、よくそんな中動けるなと感心するくらいでした。
(養母は脳梗塞で、右半身が不自由でしたので、杖でやっと歩いたおりました)
台所も、物に埋まっており、お塩やお砂糖、その他調味料なども
台所を片付けたりすると、それはそれはいくつも出てきたりしました。
要するに、一回使っても、埋もれてしまって、
無いから、新しいのを買う、という風になるのですね。
お母様、やっぱり母親なんですね。
どんな状態でも、子供のことを一番に考える…。
ありがたいことです。
ありがとうございます。
母が念願のお風呂に入って安らげる場所であるならば…と、思います。
短期入所のことを母は何と言っていたのか姉に聞くと
「行きたくないけれど…行くのかぁ」
と言っていたそうです。
もっと拒むかと予想していましたが、自分自身でも限界を感じたのか…
私たちに気兼ねしてのことなのか。
私たちの安心と引き換えに切なさを覚えました。
しのみぃさんのお母様のご容態が1日も早く
少しずつでも回復へ快方へ向かうのを祈っています(>人<;)
まだまだ寒い日が続きますので
しのみぃさんも風邪など召されませんようご自愛下さいませぇ(>人<;)
今朝、出先から電話をかけて様子を伺ったところ、また立ち上がれなくなったと
姉から知らされました。
私はコツを掴めてきたので、母とタイミングを合わせて自分の体重も使いつつ
立ち上がらせることが出来るようになっていましたが、姉は私より小柄で
足腰を痛めてもいるので、それで立ち上がらせることが出来なくなっている
可能性もあるのですが、それを電話で言ったところで姉を不安&イラつかせる
だけですので、言わないでいます。
母は目が覚めて便意を感じたので、トイレへと急いだようですが、便が緩かったのと
立ち上がることが出来なかった為に粗相をしてしまい、ひどい状態になって
しまったそうです。
何とか下半身はふき取って着替えさせたものの…完全にふき取ることは
出来ていないかもしれないし、とにかく匂いが…と言う状態だそうです。
あの家(古い公団です)では、段差が多いですしとても狭いため母を移動させるには
常時ヘルパーさんにでも付いていてもらわなければ無理のような気がします。
それに広告の品だと言っては買ってストックしていた日用品が所狭しと
置いてあって、それらが狭い部屋を更に狭くしてしまっています。
ですが、何とか糸口を見つけなくては…ですね。
色々とありがとうございます。
経験談はとてもたすかります。
歩けると、やはり、要支援になっちゃうのかな?
これでいいのか?複雑な心境ですが、手厚い介護を受けたいと思うと、介護度を上げて欲しいですしね。
でも、現実、今回、しのみぃさんとお姉様が、これだけの事をやってあげて、やっと快適な生活が出来るのですから、
それが、ひとりでは出来ないとなると、やはり、介護度を上げて、サービスの幅を広げるしかないと思います。
最後に、しみじみと親心に触れる事が出来ましたね。
私も、平井から、埼玉の実家まで行くと、「交通費だから」と言って、お金を持たせてくれました。
そんなつもりではないけれど、素直に受け取れば、満足して、喜んでくれたので、受け取っていました。
それだけ、助かって、嬉しかったのでしょうね。
すでに日常生活に多大な影響が出て来ているようですね・・・
ヘルパーさんたちだけではもう手が回らない状況?というか、誰かが常にそば
に居ないと危ないですよね。
おねーさんとの同居も無理でしょうし、おかーさんが不自由無く生活できるよう、
施設に入所されるのが一番なのかも知れないですね・・・
姉から支援センターに連絡を入れてもらいました。
今朝からは再び立ち上がれなくなってしまったと、先ほど電話で事情を聞きました。
朝一番のトイレに間に合わず、随分と汚してしまったそうです。
目が覚めてすぐにトイレに向かったとの事でしたが、便がゆるかったそうで
でてしまったと…。
姉は支援員さんの助言で母が日常的に診ていただいている診療所に連絡をとるそうです。
先生が病院を紹介してくださるようなら、介護タクシーで運ぶなどの手立てを
考えてくれるようです。
早々に施設を探した方がいいですね。
病院へ緊急に入院する事もできれば、幸いなんですが・・・・(風邪などでも入れてくれる時があります)
病院のつてで、施設を紹介してもらえる事もありますし。
部屋を片付けさせてくれたのは
きっと、自分の限界を感じたと思います。
心を開かれるといいですね。
ピンクうさぎさんが書かれていること…当たっていると思います。
きっと、いつも通り日帰りで帰宅したでしょう…。
2人とも高齢ですから、このタイミングで親子水入らずの時間を過ごせたことは
意味があることだったと思います。
急遽泊まることになったけれど
それがなかったらしのみぃさんは
ご実家に泊まることは出来なかったのでは?
3日間、大変だったけれど
水入らずで過ごせたんですね^^
お母さまの状態が
今より少しでもよくなって
次はもっとステキな時間が持てますように・・・
数年前に発達障がいの親の会の方から
「しのみぃさん。介護は既に始まってるのよ~」
と言われても、正直その時はまだピンとこなかったのですが
いきなりくる場合もあるのでしょうけれど、我が家の場合は
その方がおっしゃったように、緩やかに始まっていたようでした。
ここにきて、一気に事が悪い方と加速してしまい対応が追い付いて
いけないでします。
megさんが書かれているように、頼みの介護用品も規格外の母には
使えないものが多く、服用にしているお薬をもらいに行きたくても
本人が出歩けない今、介護タクシーに乗せて連れて行こうとも
思ったものの、通常幅の車いすに母の足の太さが収まりきれないと
ヘルパーさんから言われて、母の介護の難しさを感じました。
ショートステイやお金が高くとも、母が入所できるところを早期に
探す必要があるので、地域支援センターの方と相談です。
あの家で素人の私達が母の介護をするには、かなり難しく感じました。
今まで生活した慣れ親しんだ家でも
体が思うようにならなくなると
玄関1つとっても大変になってくるんですよね・・・
でも、簡単にリフォームなんて出来ないですし・・
それに介護用品にしたって通常仕様を想定した物しかないので
しのみぃさんのお母様のように足が入らないとかで使えないと
本当に困りますね
介護の問題は、本当に深刻で
何というか、日本はまだまだ「嫁が見る」「家でみる」のが当たり前の地域が沢山あって
色々と遅れていると痛感します
本当はそういう時間をずっともちたかっただと思います…私が。
でも、病気がちの息子と義母との同居で帰省するのをずっと躊躇い、遠慮していました。
そして19年経って母がこのような状態になって、ようやく願いが叶ったというなんとも
皮肉な結果ですが、家族で食卓を囲むことがこんなに嬉しいとはと、自分でも驚きました。
私も…。
思い出すと涙がでてきてしまって…。
帰宅するとき、玄関先で父が深々と私に頭を下げるんです。
「どうもありがとう。助かりました」
と。
それでもまた涙がでそうになって…。
「こちらこそ…お世話になりました。
かえって色々とお金を遣わせてしまって、すみませんでした」
と言うのが精一杯でした。
うん、そうなんですよね。
そういう状況なんだけど、実家で親子水入らずで、
大変なんだけど、すごく懐かしいんです。そして、嬉しいんです。
でも、介護、本当にお疲れさまでした。
夢中でやって来た反動は、後から体に出てくるので、気をつけてね。
私もそれで肩を痛めたから。
お大事に。