Nicotto Town



昔と今の違い。


戦後の混乱期に生まれた私は、父を早くに無くして母が父の後を継いで
社長業をやっていたので躾は祖母がした。

明治生まれの祖母は叔母達が語り継ぐほど厳しい人だった。
どこの家にも普通に合った竹のものさしで良く叩かれた。

普通に畳の家なので話があると言われれば祖母が座っている以上は
子供でも正座して話を聞かなければならない。
膝を崩すと竹のものさしで膝をひっぱたかれた。

叔母に話をするとまだそうなのかと自分も友達にどうしたの?と聞かれるとほど
脚が青あざがつくほどひっぱたかれたと話してくれた。

どこの家も父親も母親も子供に構っている暇がないほど忙しく働いていた。

自然と子供たちは外に人を探して出た。
誰か彼かが外に出て出会った顔見知りの近所の子と遊んだ。
其の話は次第に増えて行った。

少なくても2~4人、多い時は10人は過ぎるのが普通だった。

ネグレクトと言う言葉があるが、それとは違う。
だが、生活に追われて其れに近い家も周りに多数合った。
暗くなっても其の家の子は外で親を待っていた。

だが夜近くに親が帰って来たのを近所の人は見て居た。
どこの家がどうなっているのかを近所の人は話していた。

祖母が厳しいのを近所の人は知っていた。
叱られて夕食が当たらなかったのを近所の家は知っていた。

次の日にあれからどうしたと近所のおじさんに聞かれた。
お母さんがこっそり夜中におにぎりをくれたと答えた。

同じ様に余りにも遅くて帰って来ない家の子が
外で待っていると新聞のチラシにおにぎりを包んで
誰かが通りがかりにそっと手渡した。

勿論、外で塀に登ってよその家の屋根の上を伝って
近道をするのだけど、どこどこの家の子達がと
バレて家に苦情が来た。

全員が同じところに飛び降りるので其の家の屋根が壊れたそうだ。
次から屋根伝いの別ルートを子供達で話し合われた。

今は違う。近所に誰が住んでいるのかも解らない。
何と近所の老人世帯すら、防犯の為に町内会で調べようにも
区に聞いてもプライバシー保護の問題で知ることもできない。

いったい誰がこんな国にしたのだと思う。
どこかで誰かが悪事を守るために「プライバシー」と言う言葉を利用して
この国の何かを壊した。

其れを修復する前に沢山の犠牲者が出ている。

悪事だけには利用され続けて。

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2014/12/29 20:09
ひふみ様
自分がアイヌと言えばアイヌとなれるアイヌ民族なんて民族でも何でもありません。
此の異常な人達に対する処置を何故日本政府はしないのかと不思議でなりません。

自分はヘゲモゲラ民族で日本民族と違う為に差別されたと言えば謝罪と保証されるのですか?
もう何でもありの此の国がおかしいのですよ。

こんなのが通用する事が異常だと何故誰も思わないのかと不思議でしょうがありません。

言っている本人達もこんな事が通用する国は可笑しいと思わないのでしょうか?



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2014/12/28 17:40
こんばんは☆
アイヌに成りすました朝鮮人(旭川アイヌ協議会)が、植民地支配にないする対する天皇陛下の謝罪と5兆円の賠償金請求ですって。
http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/



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