三島由紀夫『金閣寺』書評
- カテゴリ:30代以上
- 2014/12/01 13:29:33
午前中に、本の予約をしました。民主主義の本。難しい内容ではなくて、昆虫の生態系を例にしたもの。
なぜ読書が必要になったのかというと、ある本を読みたかったためです。読みこなすには、前提の知識が必要と感じました。いつも、その繰り返しなので、1冊を読むのに最低数冊は平行して読まなければ、気持ち悪く感じてしまいます。数冊を平行して読む期間は3日ほど要します。
1冊の本について、誰かにその内容を伝えようとする時、あとがきの参考文献リストに載っている本を読んでいないと、文脈を理解しているとは言いがたいのではないかという不安にかられるのです。
それをさらに繰り返すと、ねずみ算式に読まなければならない本が増えていくわけで、学生の頃は何千冊読んだかわかりません。きっと図書館で借りた書籍代を計算すると、大学の学費を凌駕してしまうのではないかと思います。
読んだ冊数が多いことを自慢しているわけではなく、読まなければ納得出来ないので、このような追求する精神で居続けてしまうのです。精神論と仕事を結びつけるのは、無理があるかもしれませんが、限られた納期で最大限の成果を出すような業務に息苦しさを感じることがあります。
そうかと言って、私はエリート路線を走るような出自ではありませんので、知識的な職業に就くべきではないと思っています。育ってきた教育環境・家庭環境を公にしにくいということは、死ぬまで何かを抱えて隠して生きていかねばならないものです。
ここで、気分を変えて、今年2014年で最も心に残った本を挙げます。
三島由紀夫の『金閣寺』です。
全ての欲望が、金閣寺の美しさに帰結する過程を追っています。展開に飽きることなく、一気に読み進められるのは、欲望が満たされ得ぬものというテーマを繰り返し突きつけられるからです。欲望を満たしたいのに満たされない、だけど満たしたいという読者心理を喚起します。
主人公に与えられた状況は、欲望の構造をより鮮明にする働きをします。誰にでも存在する、触れられたくないものを露呈することに躊躇がありません。触れてはいけないものに触れた、登場人物同士の行動に、欲望の緒があります。
最後に主人公が、金閣寺を眺めた際に言い放った言葉は、生きることが欲望全てであり、それを完全な美しさに置き換えられないことを証明しているかのようです。その時点で、死を意味しているのに、主人公の最終的な行動は読者を潔く裏切ります。
裏切りに込められているものは、「私はこうしたけれど、あなたは?」という問いのような余韻を残します。
三島由紀夫文学が好きな理由は、問いの投げ方が直球だからです。わかりやすい問いは、生きるのに難しいと感じた時に引き出しやすく、多少なりとも身軽になる手助けをしてくれるのです。
作者が、死を目の前に、ある剣道の大家に質問を投げかけた一節を思い出します。その場面が描かれた書籍は、某政治家が記したもので鬼気迫るものがあり、ぜひご一読いただきたく思います。私は、特に団体や個人を偏愛しているわけではなく、歴史から学びたいと思う成り行き、ただそれだけが自分を支えています。
書評ブログが好きで、いつも拝読しています。ある書評ブログ(某新聞社の元記者の投稿)があまりにも簡潔で美しく、隙がないために憧れのままなので、もやもや状態継続中なのです。
憧れは、遠くにあるから好きでいられるのに、インターネットは近くなるような錯覚に陥るので、バランスをとるのが難しくなります。でも、それがインターネットの素晴らしさでもあるんですよね。
ニコッとタウンのブログは、検索にはどう影響するかわかりませんが、様子を見たいと思います。今気づきましたが、文字数をチェックできるんですね。ここまでで約1500字。スマートフォンで閲覧するには長めかもしれません。
文章構成はあまり考えず、連々と書いていきます。思っていることを言葉にする練習です。