Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


瞬く刹那に住まうこと、一期一会の黄昏色 3


 もう一つの展覧会は、菱田春草展(二〇一四年九月二三日~十一月三日(前期・九月二三日~十月十三日、後期・十月十五日~十一月三日)、東京国立近代美術館)。前期は行ったのだが、後期…気がつくと会期終了が間近になっていたので、急いで出かけてきた。前期で殆ど書きたいことを書いているので(十月五日)、こちらも少しだけ。
 後期展にだけ出品される《黒き猫》(一九一〇年十月)に会いたかったのだ。柏の木、座るのにぴったりに曲がった幹の上に座った黒き猫。縦長の画面の上に配した柏の葉は、薄い色で装飾的、対して猫は究極に濃い黒という色で写実的。なにかたちが出合っている。薄い色と濃い色、デザイン化されたものと写実、彼が手本にした琳派的なものと、彼独自の。そしてそこには日本画に流れる歴史的な時間と、彼が描いた時点での現代、という時間たちも出合っていただろう。それらの出合いが絶妙のバランスをとっていた。黒猫はぼかしの技法も用いて描かれたそうだ。彼が以前朦朧体と揶揄された時から使っていたその技法が、絵画的空間を意識した後期、ちょうど《黒き猫》の辺りのその時に、使われたことで、連綿をさらに思った。この翌年、十一か月後に、彼は三十六歳で亡くなってしまう…。十一か月。わたしは自分の十一カ月前を思う。さして前じゃない。最近だ。そのことと比べて、生と死を思う…。いや、《黒き猫》を前にして、最初に感じたのは、圧倒的な存在感だった。絶妙な均衡のうえになりたった、その集約であるかのような黒猫。わたしはこれで、展覧会にあった猫たち、前期と後期のそれ、すべてを観たわけだけれど、この絵の猫はそのなかでもやはり圧倒的だった。この絵を観れただけでも来て良かったと思う。前期で感動した柿の葉の下にいる《黒猫》も、《黒き猫》に比べるとなにかしら、力が薄れているように思った。どちらも警戒心込めた眼でこちらを見ている黒い猫だからよけい比較してしまうのだけれど。
 そしてなんとなく思った。誰かの作品で、忘れられない力のある作品があるとする。だがほかの作品たちにも、彼のエキスはもちろん連綿と息づいている。菱田春草でいうと、《黒猫》《柿に猫》《椿に猫》などだ。すばらしい一つの作品が突出しているかもしれない。けれども他の作品たちにもそれが息づいている。うまく言えない。わたしは前期展でだけでも、彼を好きになるのは十分だった。けれども《黒き猫》は、突出している…。だからよけい、好きになるかというと、それはあるかもしれないが、ほかにみた猫やほかの景たちに感じた何かが損なわれるものではない。いや…何が言いたいのだろう、わたしは。
 実は本を出した後、どうも達成感とも違うのだけれど、言葉が、出にくくなっていた。そのわたしに、なぜか、この《黒き猫》は、背中を押してくれるような、ふくらみを持ってもいた、ほかの猫や、ほかの波、風、光たちとともに。そのことがどういうことなのか考えている。まだ考えが、これらを、適切な言葉を探すことができないでいるのだけれど、ともかく、菱田春草の展覧会、とくに後期展にいって、ちょっと心が軽くなったのだ。《黒き猫》は展覧会に出品するのに、周到に用意した作品ではなかった。差し替え品として、わずか五日で描かれたものだった。だが殆ど最高傑作とすら言える…。往々にしてありうることだと思う。すぐれた作品には、よけいな気負いがないものだ。そこから軽やかに離れたところで、傑作が生まれる…。そうしたことも含めて、警戒心をもった猫は、やわらかい毛並みで、わたしに言葉でないたくさんの言葉をかたりかけてくれた。
 そしてまた思うのだ。小泉八雲に帰って。絵もまた刹那を永遠にやきつけようとする行為なのではなかったかと。たとえば猫たちのあの表情は一瞬のものだった。

 「およそ天下に、夜を一日も寝ぬはあっても、瞬きをせぬ人間は決してあるまい。悪佐衛門をはじめ夥間(なかま)一統、すなわちその人間の瞬く間を世界とする──瞬くという一秒時には、日輪の光によって、御身等が顔容(かおかたち)、衣服の一切(すべて)、睫毛までも写し取らせて、御身等その生命の終る後、幾百年にも活けるがごとく伝えらるる長き時間のあるを知るか。石と樹を相打って、火をほとばしらすも瞬く間、その消ゆるも瞬く間、銃丸の人を貫くのも瞬く間だ。」
(泉鏡花『草迷宮』(『泉鏡花集成5』ちくま文庫)より)

 異界に住まう悪佐衛門、その住まいは人間の瞬く間であると同時に、長き時間にわたってのことだった。『永遠と一日』はこんなところにもあったのだ。
 わたしは『草迷宮』のこの個所が昔から特に好きだったので、私の書いた何かで、とっくに引用していると思ったが、意外なことに探せなかった。これも長きにわたって私にひっかかっていた、ということで、瞬く間に繋がるだろうか。

 菱田春草展のミュージアムショップ。前期展で売っているのを見て、後期展に来た時に買おう…と思っていた、《黒き猫》をモティーフにした黒猫のぬいぐるみが完売していた。前期展に来た時に買えばよかったのだろうが、その時点で観ていない作品のものを買う気にはなれなかったのだ。だがさして落胆はしなかった。一期一会だったのだと思う。いや、一期一会というのは、この場合、本来の意味は違うだろう。そう、ぬいぐるみとは、縁がなかったのだ。けれども《黒き猫》とは…、なんという縁だったのか。
 会場を出たときはまだ三時ぐらいだったけれど、自宅最寄駅に帰ってきたときはもう…まさに夕方、日が暮れる頃だった。日が暮れるのが早くなった。一期一会の黄昏の色。




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