ドラマ【軍師官兵衛】
- カテゴリ:テレビ
- 2014/11/10 11:36:33
【感想】事実は小説よりも奇なりと言いますが、史実を元にした話はまさにそうですね。人が作った話なら、ここで熊之助が死ぬ必要はまったくないのです。しかし現実は、予想もつかない悲劇が起こるものですね。ちなみに熊之助が死んだのが1597年7月で、長政の長女・菊子が生まれたのも同年です(月はわかりませんでした)。あと、ネタバレになってしまうかもしれませんが、ここまでやるかどうかわからないので書いておきますが、糸の娘・菊子は後に九郎右衛門の息子と結婚します。普通大名の娘は他の大名や公家に嫁ぐのが一般的で、事実長政の次女や三女も大名に嫁いでいますが、長女であるにも関わらず家臣に嫁いだのには、何か理由がありそうですね。おっとここまでにしておきましょう。さて、今回のメインは何と言っても秀吉の最期につきます。最期のシーンはおねと2人の静かなものでしたが、その前の如水との別れのシーンは本当に見物でしたね。わしは間違っていたかと問う秀吉に、殿下は信長様にこだわりすぎたのですと答える如水、秀頼を支えてくれと手を握り頼む秀吉に、その手をすっと離し天下は器がある者が治めるべきだと諭す如水、天下を取るつもりかと尋ねる秀吉に、ただ殿下の下で平和な世を作りたかったと答える如水、それを聞きおぬしはまったく変わらぬと、如水の剃った頭を撫でながら言う秀吉。このシーンで、中国大返し以降2人の間に横たわり、次第に大きくなっていった溝が一気に埋まったような気がしました。と同時に、再び中国攻めをしていた頃の仲には戻れないこともわかったでしょうし、何故修復できないほど2人の仲がこじれてしまったのか、特に秀吉は何故如水のことを信じることができなかったのかという疑問、引き返せないがゆえの後悔が、涙となって落ちたように思えます。秀吉と別れた後、如水が廊下で泣き崩れてましたが、如水があんなに泣くのは珍しいですよね…。で、ドラマでは死期を悟り気弱になった秀吉が如水を朝鮮から呼び戻したように描かれていましたが、実際はどうだったのか調べてみようとしたんですが、ちょっと調べたくらいではわかりませんでした。しかし、秀吉の没年1598年には戦いが一旦収束し、多くの兵が日本に帰ってきていたというので、それと一緒に如水も戻ってきていたのかもしれません。ドラマでは描かれていませんでしたが、慶長の役と言われる朝鮮出兵後半でも、かなり激しい戦闘が繰り広げられていたようです。この朝鮮出兵に駆り出されたのが、中四国九州の西日本の大名たち。豊臣にとって最大の脅威である徳川の軍勢は温存され、なじみのある西日本の大名たちの軍団は疲弊したわけです。朝鮮出兵も、徳川の世が築かれる大きな要因の1つとなったのかもしれませんね。となるとやはり私も、秀吉の「わしは間違っていたのか」という問いに、「はいそうです」と答えざるを得ないですね。