今日のMY釣り堀
- カテゴリ:ニコット釣り
- 2014/11/10 09:42:31
ニコット釣り で遊びました。
- 売った魚
- +14
釣った魚
- メダカ
- 2匹
- 3.35cm
- アメリカザリガニ
- 1匹
- 8.02cm
- カワムツ
- 1匹
- 18.15cm
今日も、「GET」の文字の下あたりで釣ってみました(^^)
逃げられた魚は、ザリガニ2、コイ、黒金魚。
釣れた魚と逃げられた魚の数が同じ・・・
当然のことながら、逃げられた魚の方が豪華だ(^_^;
こうして、毎日の様に釣りブログを書いていますが、こんなショボイ釣果のものばかり晒して、読んでいる人達にしてみると、なんともツマラナイ記事だと思います。
でも、書くのです・・・200Cコインを得るために…シュ。シュッo=(°°dファイティングポーズ
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青色発光ダイオードの発明者が、以前その権利を巡って米国で裁判を起こしました。
それはある企業で研究していた時に、その研究者が開発したものでした。
ニュースや新聞でも取り上げられ、発明者、研究者の権利を守れ…みたいな風潮にコントロールされました。
さて、この研究者は、この発明後、米国に行って、どこかの研究機関に属したそうです。
その研究者の言い分としては、「その発明は、私がしたのだから、その権利も自分にあるはずだ」というものでした。
確かに、その開発を成功させたのはその人です。
しかし、その研究者が開発を出来たのは、その企業に雇用して貰い、その企業で一生懸命働いている多くの人達に食べさせてもらい、その人達の給料(報酬)を削ってその研究者の研究費を賄ったおかげでしょう。
それなのに、その研究者は、何故自分一人が発明したかの様な傲慢なことが言えるのでしょう。
修身雇用の時代、企業はある人材を育てるのに、始めの3~5年間は、その人材を育てる為にマイナスの利益、つまり損失を出します。
そして、その後はプラスの利益に転じ、損益分岐点、つまりその人材を育てた費用と、その人材が稼いだ利益がちょうどプラスマイナスゼロになるには、入社から約10年かかりました。
何故、損失を出してまで人材を育成するのでしょう。
それは、約10年かけた損益分岐点以降、更に数十年利益を出し続けてくれると期待しているからです。
そんなに長く、会社に貢献しなくてもいい…と思う人も居るかも知れません。
しかし、採用した全員が損益分岐点を経て、利益を出す人材になる訳ではありません。
定年まで働いてようやく損益分岐点に到達する人もいれば、最後までマイナスのままの人もいるでしょう。
それは、個人の才能や努力による差というものは意外に少なく、社会の状況、社内の状況、様々な不意の出来事など、運不運による対外的な要因が多いのです。
従って、利益を出す社員となるか、損失を出す社員となるか、結局ゼロの社員となるかは、運次第であり、誰がどの分類に入るか分かりません。
運良く功績を挙げた人達は評価され、出世しますし、運悪く功績が無い人達は評価されず、出世も僅かでしょう。
世の中とは、そういう不条理な世界であり、それが自然なのです。
自然人の話を、最近はよく書きますが、「食」に困らない自然人においても、気候変動などで果実が周辺に無くなり餓死することもありますし、うっかり樹から落ちて即死したり、動けなくなって他の野獣に殺されたりすることもあります。
誰もが平等な幸運を得ると思いたいですが、それは形而上、つまり精神的な世界においてであり、形而下、つまり現実においては客観的に不条理なものなのです。
しかし、終身雇用制の時代には、企業はその全てを受け入れ、その上で企業としての利益を追求していました。
たまたま幸運にも、功績を挙げた社員は、「自分はこんなに成果があるのに、なんの功績も無い人達とあまり給料で差が無いのは不公平だ」と、思うこともあるでしょう。
しかし、自分もその「功績が無い人達」の一人になった可能性もあるのです。
そして、アメリカから、「能力や功績に応じて、どんどん転職しましょう」という風潮を押しつけられる様になりました。
企業では、折角利益が出る様になってきた社員が、損益分岐点に到る前にどんどん辞めてしまいます。
そうなると、企業としても、利益を出す社員を、リスクを冒して雇用するよりも、リスクの少ない他で育ててもらった人材を、ヘッドハンティングやキャリア採用することになります。
勿論、そういう育った社員を雇用するには、通常以上の費用がかかります。
損失を出し続けている不運な社員を雇用し続けることは出来なくなります。
ヘッドハンティングやキャリア採用された人達でも、雇用後に費用以上の利益をあげていなければ、雇用し続けることはできません。
それでも、昔は、工場や倉庫など、不運な人達でも僅かずつ利益をあげることが出来る部署がありました。
しかし、今では、それらの多くが海外の発展途上国に移り、現地の人達が安く雇用されている為、不運な人達の行き場は在りません。
結局、アメリカからのヘッドハンティングやキャリア採用、契約採用という甘い言葉にのせられて、労働者自身が自分の首を絞めてしまったのです。
今や、企業はどんどん狭量になり、懐の大きなところは少なくなってしまいました。
国内の産業は空洞化し、若者の失業率は、いや不業率がどんどん増加しています。
青色発光ダイオードを発明した研究者を雇用していた企業は、彼がそれを開発する為に、彼を食べさせていく為に、どれだけの費用をかけたのでしょうか。
そして、幸運にも発明し、功績をあげたその研究者を生み出す環境として、どれほどの不運な何も発明しない、功績を挙げない研究者を、どれだけ雇用しているのでしょう。
それでも、その発明した研究者がその企業に残り、その発明により企業が利益を出すことが出来たとしたら、100人のうち一人でもその様な研究者がいたなら、企業は不運な研究者を雇用し続けることに躊躇しないでしょう。
結局、その運が良かったその研究者は、「自分は功績に見合った報酬が得られていない」と不満を持ち、その発明をしった欲にまみれた米国の研究所から誘惑されて、その恩在る企業を辞めてしまいました。
それでも、その企業がその発明の権利を有し、利益を上げることが出来たのなら、これからも同様に多くの研究者を雇用し続けるでしょう。
それにも関わらず、その権利すら自分のものだと言い張り、その企業に損失のみを押しつけました。
なんという傲慢な研究者でしょう。
その企業は、多くの研究者を雇用するというリスクの高いことはしなくなるでしょう。
例え、雇用しても、多くの制約条件をつけることになるでしょう。
そして更に、そのことは他の多くの企業にも影響を与え、多くの企業で研究者の雇用に慎重になるでしょう。
それは、つまり日本の企業開発力が損なわれることになります。
結局、一人の傲慢な研究者の為に、研究者が研究者自身の手で、自分の首を絞め、多くのこれからの研究者の前途をふさいでしまったのです。
何故、その様な傲慢になってしまったのでしょう。
それは、米国に移った彼をそそのかして、欲にまみれた米国の企業がその発明を安価に利用しようとしたのです。
そして、日本の開発力を貶めることが出来れば、米国にとって一石二鳥ということです。
その様な傲慢で、欲にまみれた研究者が、ノーベル賞を受賞し、彼の様な人達に前途を閉ざされた民衆に賞賛される様なことがあれば、それこそ不条理の極みと言わざるをえません。
ノーベル賞がろくなものじゃ無いという理由がそこにあります。
…いや、他にもたくさんありますが…;
私も10分の釣りですが・・・かなり違いますね(^_^;
ほぼ毎日釣っているのですが…
でも、最近はさすがにあまり面白く無くなってきました(¨;)
すみません、タウンには行ってません。
やはり、なかなかタウンで過ごす、ゆったりとした時間が…というか心の余裕が無いといった感じでしょうか。
実は、Cコインは結構余っています(;^_^A アセアセ…
どうも、欲しいものが無いので…(__;)
Cコインでトレンチコートでもあれば、買いたいところですが…(^_^;
向上心と欲は、表裏一体と言えるでしょう。
子供の頃から、家庭でも、学校でも、「向上心を持つことはいいことだ」と教えられます。
「人類社会は、向上心が無ければ発展しない」とも言います。
私も含めほとんどの人が向上心を良いこととして考えていて、その結果として欲はどんどん強欲になってきました。
しかし、本当に「向上心を持つことは良いこと」なのでしょうか。
未だに平和な社会を作る思想が生まれない人類社会は、本当に発展しているのでしょうか?
確かに、科学技術は進歩しましたが、それが結果的により酷い状況を生んでいます。
バランスが悪いと私は思います。
科学技術の進歩をコントロールするだけの思想が進歩していなければ、逆に進歩しない方がいいと考えます。
私がよく、「三歳児が機関銃を持って歩いている様なもの」というのは、その為です。
経済も高等数学を応用して進歩しましたが、それは架空取引、実物が移動しない、もしくは存在しない取引が助長され、在りもしない価値を血眼になって作り上げています。
明らかに間違った進歩です。
日本の今回の国債は、利息がマイナスで、購入すれば金額的に損をすることが分かっています。
そんな国債が売れる…そして買ってしまう銀行がある…それ自体が異常と言わざるを得ないでしょう。
お金は大切なものです…しかし、それ自体に価値はありません…物品取引があって初めて価値が生じるものです。
そんな無価値なものが金融市場で取引されている…そんな不安定なお金だからこそ、こんな異様なことが起こるのでしょう。
しかし、市民にとってお金は金額で管理していて、そのお金の金額を銀行に預け、運用を任せているのです。
その銀行が、金額が目減りすることは明確な債権を購入するというのは、銀行が狂っているということでしょう。
権力者は原理主義者を嫌います。
何故なら、原理・原則からズレた社会を作り、自らの権力基盤が自然崩壊するのを防ぐ為です。
だからこそ、私達は原理・原則から考え直してみるべきだと思います。
釣はいつも10分間だけ釣ります
レア 物は必ず1匹は釣れます 毎日は釣りしてません。
博士ぇ、イベやっとますかぁ?
Cアイテムつけて、タウンに行けば、毎日、ヒントの紙じゃなければ、100C貰えますよ^^
今の世の中に忘れ去られていこうとしている
人としての優しさが・・大きな懐が
昔の日本にはあったことを改めて思います。
義理人情の世界・・なんて言うと
やくざ?の世界とかになってしまいますけれど
利益をただ追い求める社会と成り下がってしまった今・・
町工場で細々と それでも物を作り続けていく人たちのことを
尊いと思います
あたるさんの言葉達は 本当に読みやすくて
当たり前のことを当たり前に書かれてあって
読みながらいつも嬉しくなってしまいます
ノーベル賞 はじめ ・・賞とつくものは競争以外の何物でもなくて
真の意味合いからどんどん外れていくようです
今夜もありがとうございました<(_ _)>
そうなんです。
あの裁判の時にも、多くの人が同じ様に思ったと思うんです。
でも、何故かあの時のマスメディアは、発明者の権利を守れ…的な論調だったのです。
変ですよね?
本来マスメディアは、スポンサーの関係から、企業側の立場にたつ筈です。
あの発明者が、もし中国やロシア、イスラム圏と手を組んでいたら、どうだったでしょう?
やはり、彼が米国にいた…というのが、大きなポイントだと思います。
ノーベル賞を受賞した全ての研究が価値がないとは思いません。
例えば、利根川進氏が発見したDNAのスプライシング(再組み替え)などは、免疫学の分野のみならず、生物学、医学の多くの領域における疑問を解決することができました。
相対性理論のアインシュタイン、量子論のディラックやシュレーディンガーなど、その分野での大きな分岐点となる様な研究も多くあります。
しかし、大学生の卒論レベルの様なもの、金さえあれば誰でも発見できただろうもの等々、つまらない研究がとても多く、恐らく選考の際に政治的にお金が飛び交ったのだろうと推測してしまいます。
つまり、ノーベル賞をとったから凄いのでは無く、凄い研究はそれだけで凄いのです。
ノーベル賞や、まして日本の勲章など、付帯事項であり、関係が無いのです。
ノーベル平和賞にしても、マザーテレサの様な偉大な人もいれば、民衆を騙した佐藤栄作までいます。
「賞」は付帯物であり、偉大なものは、それとは無関係に偉大なのです。
発光ダイオードの裁判の件は記憶に新しいですね。
・・・確かに・・・その人だけの「発明」とはいえません。
家で個人的にやっていたならともかく「勤務中に会社の設備を
使って」やっていたなら、それは企業の物でもあるわけです。
そして、失敗しても企業は彼を解雇はしないはず。
・・・たまたま成功しただけのこと。
彼は発明家ではなく、発明屋ですね。
そうそう、地元南九州市からノーベル化学賞の受賞者が出ました。
・・・といってもここらの大抵の人には関心はないのですが・・・
騒いでいるのは、よその土地の人だけのようです^^