Nicotto Town



今日のMY釣り堀

ニコット釣り で遊びました。

売った魚
+39

釣った魚

魚の名前
釣った数
最大サイズ
メダカ
1
3.02cm
アメリカザリガニ
5
7.68cm
長靴
1
23.24cm
ニジマス
1
43.85cm
ドジョウ
2
11.26cm
2014/10/27 18:35

先週末に引き続き、今日も、三つ並んだ水草の下あたりで釣ってみました(^^)

逃げられた魚は、プルーギル。

数だけは10匹と豪華ですが、やはりザリガニの呪いからは抜け出せず・・・;;


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

明日から、父親が戦友会の様な旅行に出かける為、少しの間家事が楽になるかも。

父親はティーンエイジャーの頃、予科練に行ってました。
予科練…海軍飛行予科練習生…つまり、特攻隊のことですね。

自動車やバイクでブンブン走らせている人達の特攻では、必ずしも自らが死ぬことを前提としていませんが、予科練の特攻隊は完全に死ぬことを前提としています。

何故、私の父親が、当時予科練に入ったのか、それはそういう時代だったということなのでしょう。
父親に聞いても、ただ笑って首を傾けるだけで、応えて貰えませんでした。
特に、愛する人を守るとか、両親を守るとか、そういう意識では無かったそうです。

航空隊ということで、何らかのエリート意識があったのかもしれません。
身体の検査や試験など、結構難しかった様なことも聞いたことがあります。

私の父親が入隊した時、先に入隊していた先輩方は、ちゃんと飛行機にのって訓練をしていたそうです。
しかし、徐々に飛行機の数が減っていき、父親は結局飛行機を操縦することはありませんでした。

代わりに、海に潜る訓練、つまり潜水訓練をしていたそうです。
そう、それは米軍の上陸艇が近づいてきた時、棒の先に付けた爆弾を爆発させ、撃沈するという戦術でした。
当然、爆弾を持っている人も死ぬことになるでしょう。

また、訓練においても、毎日数人死亡者がいたそうです。
※私が中学生の時に、昔の父親の手記を清書するというアルバイトをさせて貰った時に書いてありました。

もう少し、当時の大日本帝国が踏ん張り、米国が上陸してきても本土決戦をしていたなら、その前に父親達は出撃し、上陸艇の下で海の藻屑となっていたでしょう。
そうなれば、今の私も居ない訳ですが…(^_^;

そんな狂気に満ちた戦術を、死ぬことを前提とした様な作戦を、今となってみれば、狂っているとしか言えません。
しかし、父親達は、その時代に生きた、その時はそれが正しいと信じていたことも事実であるし、現在の見方も事実で、それらの整合性の狭間を漂っているのかもしれません。

しかし、それは紛れもなく、父親達の青春時代であり、今回の戦友会も、命をかけた仲間達との再会であり、格別の想いがあるでしょう。

そんな父親を送り出し、私は数日、楽な生活…と言っても自分の食事は作らなければなりませんが、それでもかなり楽な生活を送ることになります。
(^^)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

映画「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」での夢邪鬼が言います。

「時間なんてもんは、意識の産物や~思うたらええのんや」

これは、年齢を重ねると実感できてくる様な気がします。

確かに、化学実験においても、時間は一定の速度で流れていくものとして考えます。

しかし、宇宙誕生以前は、時間がありませんでした。

時間が生まれ、時間にそって物質が誕生しているので、物質は時間に準じているということになり、時間が一定の速度で進む根拠にはなりません。

逆に、標準的な時間を測定するのに原子時計、つまり物質の変化をもとにしています。

しかし、原子時計も、重力のゆがみの影響で変化することが明らかになっています。

そもそも、時間の後に物質や重力が出来たのですから、それらが時間の一定性を証明できることは無いでしょう。

宇宙誕生以前、つまり宇宙の外側においては、時間とは別の流れる何かがあったのかもしれません。
現在流れている時間が、その別の何かの流れに対して、一定間隔であるかどうか、確かめようが無いのかもしれません。

…とは言え、物質宇宙に棲む私達人間にとって、物質の変化と共に流れる時間が一定と考えても、現実的に問題は有りませんが…



さて、科学とは別に、年齢を重ねると共に、時間が早く進む様に感じます。

3歳児頃の時には、直近の記憶があり、その先は渾沌としています。
先が渾沌としているのですから、無限の長さがある様な感じもあるでしょう。

10歳の時の1年はそれまでの10%に当たり、20歳の時の1年は5%、50歳の時には2%、100歳の時には1%となります。

同じ1年でも、その人の人生における割合が、年齢と共に減っていきます。

それは、意識できる量的割合が減っているということであり、つまり時間を感じる意識の感じ方が減っていることになります。

その結果、10歳の頃にはもの凄く長く感じた1年が、60歳になると2ヶ月分くらいに感じ、時間の経つのが早くなった感覚となるのかもしれません。

人間からしてみると、「時間は意識の産物」という感じ方も有るのでしょう。



もしかすると、人間の意識が生み出した何かと同じ様なものが、宇宙が出来る前、そして宇宙の外側で流れているものと、類似しているのかもしれません。

#日記広場:ニコット釣り

アバター
2014/10/28 22:26
紫水晶さん、コメントありがとうございます\(^O^)/

ほんとに時間の感覚というのは、その時々でいろいろですよね。
デカルトによれば、感じている自分だけが真実だそうです。

特攻隊が飛び立って行った飛行場は、いろいろな所にある様ですね。
以前、テレビで四国での場所を紹介していました。

狂った作戦。
狂った作戦を信じて亡くなった人達。

日米戦争以外でも、203高地など、多くあります。
そういうものが当たり前に存在するのが戦争なのでしょう。

人間同士が殺し合うことを正義とする…その異常性すら分からなくなってしまうものなのでしょう。

日本は、米国と行動を共にする限り、巻き込まれてしまうのでしょう。

米国は、第二次世界大戦では、日独伊の三国を敵として戦争に参加しました。

それが終わるとすぐに、共産主義を敵として、朝鮮半島、続いてベトナムで戦争を始めました。

そして、東西冷戦。

ベルリンの壁が崩壊しても、共産主義の中国を敵とし、民主主義となったロシアまで敵とする様になりました。
ロシアの民主主義はおかしい…と、テレビで言います。
ロシアが日本に接触してくるのは、日本の経済力が目的だ…と、テレビは言います。
それは、本当でしょうか?
テレビ、新聞が米国の手先であることは前にも書きました。
だとしたら、その情報は信頼出来ないのでは無いでしょうか。

むしろ、米国の方が、中国やロシアと冷戦を続けているだけで無く、イスラム文化圏で内戦を扇動し、アフガニスタンと、そしてイラクと戦争してる、戦争大好き国家だというのが真実に近いのでは無いでしょうか。

新聞の国際面を見てみましょう。
中国とロシア、そしてイスラム圏の悪口は毎日の様に掲載されています。
そして、米国の悪口を書くことは、ほとんど有りません。

本当にそうでしょうか?

中国やロシア、イスラム圏は、そんなに不幸ばかりの国なのでしょうか?
米国は、そんな夢みたいな理想国家なのでしょうか?
アバター
2014/10/28 22:06
魔魔さん、コメントありがとうございます\(^O^)/

「時の流れに身を任せる」ことが出来るというのは、素晴らしいことだと思います。

人間は、意外と「流れに任せる」ということが出来ない生物で、もがき苦しんでしまいます。

まぁ、それも決して無駄なことではありませんが、流れに任せていると解決していることも多いし、また流れに逆らってもなかなか上手くいきません。

「今を生きる」というのは、とても素晴らしいことです。
アバター
2014/10/28 21:58
ひなパパさん、コメントありがとうございます\(^O^)/

人間魚雷…それはまだ動力がある分、マシかもしれません。
人間機雷伏竜というやつで、ただ潜水具を付けて潜って、爆弾のくっついている棒を持って待ちかまえているという部隊ですね。

そう、そんな作戦は狂っています。
しかし、私の父親を含め、生き残った人達は普通の人間です。

つまり、普通の人間が、狂った作戦に参加し、それが異常とは思わない…それが戦争というものだと思います。
特攻隊でなくても、自分を殺そうとする人間が相手にいて、自分はその人間を殺そうとしている…それ自体が異常なのでしょう。
そして、今もそういう戦争が行われています。

学生運動の安保闘争、その時代は朝鮮半島で、ベトナムで戦争が行われていました。
当時の学生運動は、そういう他国の戦争を、自分たちは知らない振りをしていていいのか、という反戦意識から始まりました。
確かに、学生運動は悲惨な末路を迎えました。
しかし、そういう当時の学生達の想い、それを現代の私達も忘れてはならないのだと思います。
アバター
2014/10/28 21:44
いしころさん、コメントありがとうございます\(^O^)/

本当に、本当に、間に合って良かったですね(^^)

自分が生きていたことを、いしころさんを含めた親族の心に留め、そして更に書物に記録できたことは、何にもまして幸せだっただろうと推察します。
夢中で一緒に過ごした半年は、多くの想いの交わりがあっただろうと思います。

母親の前回の入院、そして今回の入院も、当たり前の様に家に一緒にいた時間より、多くの話をしている様な気がします。
でも、私が小学校の低学年の時に、一緒に学校の遠足に行ったことも思い出します。
当時の流行だったのでしょうか、真っ赤な口紅、そしてお弁当は太巻き。
・・・ああ、なんか、いしころさんのコメントから、いろいろ昔のことを思い出してしまいました(^_^;

戦友会、今頃皆と話しているのだろうか…
予科練という異常な命がけの世界で共に頑張った仲間、そして私も含め今の人達には理解されない世界、そして今の自分自身の気持ちなども含め、その絆は深いものだと思います。
アバター
2014/10/28 19:44
こんばんは。
何だか、「したくない事をしてる時の時間は長く
好きな事をしている時の時間は短い」みたいな^^
そういえば、先日のお祭りは知覧町というところの
「特攻隊」の平和記念会館の公園で毎年行われます。
戦時中はそこから戦闘機で飛び立った場所で
今は、のどかにお祭りが・・・
本当に、もう2度と戦争は起こらないでほしいと
思いますが。・・・・今の政府にその祈りは
通じるのでしょうか・・・・
アバター
2014/10/28 07:55
おはようございますヾ(@゜▽゜@)ノ

時の流れに身を任せ√♪~。 なんて、お気楽に歌うしかできない私。

時間ほど、あらゆる者を【物を】を支配できてるのはないよねー。
忙しくしてり、もて余したり。隣の星まで光の速さで何年(о´∀`о)とかぁ言われても....計算できてもそれは、体験はできない時間やん!!
科学者とか、難しいこと頑張ってくれはるわー。

私は今が大事。(⌒‐⌒)いまこの時、この瞬間。有意義な時間を過ごせても、あーやっちゃった的な時間になっても。
アバター
2014/10/28 07:02
(^_^)/おはよー

もしかしたら、人間魚雷回天ですかぁ><
なんで、あんなものを作ったのでしょう。あの時代の日本人は狂っていますね。
とても残念です。
アバター
2014/10/28 00:53
父はがんになる以前から自分史を書いていました
もちろん戦争体験も詳しく書いてました
末期がんで 余命数ヶ月と診断されたときに
どうしても自分史を仕上げたかった。。
ほとんど原稿はできてましたから
あとは 出版社と掛け合って 自費出版することになって
私たちは 生きている間にそれを完成させてあげたくて
亡くなる直前に なんとか間にあって 上下に分かれた本二冊を
手渡すことができました・・今でも、その時の父の様子を思い出すと
胸が詰まります  年末の忙しいときに仕上がった本・・配達の車が
雪で渋滞に巻き込まれ・・気をもんだこと・・・
年が明けて すぐに父は旅立ちました。 

お父様・・いてくださるだけで それだけでいい 幸せなことですね
私は最後の半年を一緒に過ごしましたが・・もっといろいろ話をすればよかったと思います
夢中で過ごした半年でした・・
うちの父も戦友会を毎年開いていました。戦争という異常な世界で戦ってきた仲間たち
私たち戦後のものには決して理解できない繋がりが、そこにはあったのだと思います

いつもありがとうございます~笑顔おいていきます。おやすみなさい(^^)/ 

アバター
2014/10/27 22:39
ターキーさん、コメントありがとうございます\(^O^)/

離れて暮らしていた時は、たまに帰ると、とても有り難く思いました。

数年前から実家に戻ってますが、長く一緒にいると、優しい気持ちばかり…とは、なかなか行かないものです。
でも、居てくれて、それだけで有り難いと思っています。

最近は、本当に早く歳月が流れます…(;^_^A アセアセ…

でも、今までの経験で、他人の気持ちも推し量れる様になって、ある意味、経験していない人生の一端を感じ取ることが出来る様になりました。
それは、なんか、お得な気分かもしれません(^^)
アバター
2014/10/27 22:32
今晩は ワタクシはマイ釣りぼりで 釣っています

お父様の お話 貴重な体験ですね 今は戦争体験した人は少ないと 思います

お父様の事 お大事に お世話なさってあげてください、後で後悔しないように

ワタクシの両親は 亡くなっていません 年をとると 月日が経つのが早いです^^^^。



Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.