今日のMY釣り堀
- カテゴリ:ニコット釣り
- 2014/10/19 11:45:11
ニコット釣り で遊びました。
- 売った魚
- +34
釣った魚
- メダカ
- 3匹
- 3.54cm
- アメリカザリガニ
- 4匹
- 7.74cm
- ニゴイ
- 1匹
- 41.73cm
- ギンブナ
- 1匹
- 20.74cm
- バケツ
- 1匹
- 24.44cm
今日は、明日以降の試し釣りとして、「GET」の文字の下あたりで釣ってみました(^。^)
逃げられた魚は、ザリガニ。
ニゴイが自己ベスト。
いろいろ釣れている様には見えますが、逃げたものを含めて、ザリガニが5匹、メダカが3匹、バケツ一個と、やはり呪いは溶けず・・・(;^_^A アセアセ…
でも、自己ベストのニゴイで、本当に久しぶりのクマオとクマコの声援がありました(#^.^#)
さて、釣りをしながら、放送大学のラジオ放送をいつも聞いているのですが…
今日は、保育に関するものと、教育に関するものの二つを聞いていました。
なんか、こう、両方とも、社会に人間を合わせる為の小手先の方法を話している様にみえました。
しかし、いくら小手先の方法を試しても、現代社会を見れば、歪な社会であることは明白です。
歪な社会に人間を合わせるのでは無く、人間に社会を合わせる方が本道では無いのかと私は思います。
現在の日本の権力者が、政治家か、財界か、官僚か、フィクサーか、アメリカか、それともそれらの複合体かは置いておいて、彼らにとって、社会の根底を変化させることは、彼らにとって著しく不利益となるのでしょう。
根底を変化させると言っても、革命を起こすとか、共産主義にするとか、帝国主義にするとかでは無く、人間の本質的使命、例えば人類の存続とか、人間の生を中心に戻すことが重要なのです。
人間の生にとって重要なのは、衣食住であり、幸せとは衣食住を満たすことだと思います。
そして、人類の存続に必要なのは、性もそうですが、育児も重要です。
今、放送大学の保育学や教育学で論じられているのは、現代社会の中で、どうやって衣食住を満足させるか、どうやって育児を行ったら良いか…です。
しかし、それは逆では無いでしょうか。
衣食住を満足させる為に、育児を無事に行う為に、どの様な社会が必要かを論じるべきでは無いでしょうか。
確かに、現代社会を生きていく為には、その様な机上の話をしても仕方ないのかもしれません。
しかし、大学という探求の場においては、もっと根本的なことを考えなければならないのでは無いかと思います。
少なくとも、いままで積み重ねてきた文明、社会を、正しかったと受け入れて考えてしまっては、結局小手先の議論で、いずれは破綻するもの、いや既に破綻し始めていると言えるでしょう。
個としての人間が集まって、しかたなく社会を形成しなければならず、そして今の社会が世界的に見れば、貧困と戦争、異常な犯罪で満たされていて、衣食住や人類の存続が脅かされている以上、現代社会が不完全、いや失敗作と言っても過言では無いのでは無いでしょうか。
レア魚、おめでとうございます\(^O^)/
今のレア魚って、今でもトリート・ポットでしたっけ(^◇^;)
やはり、餌・・・・でしょうか(;^_^A アセアセ…
うんうん、その通りです。
衣食住と育児が満たされれば、心は豊かになる筈なのです。
心が豊かになれば、愛に満ちた平和な社会が生まれる筈なのです。
ところが、そうなってはいません。
「物欲は際限がなく 比較の社会では金儲けのために命を削って…」
そうなっているのです。
それは、何故か?
「紫水晶さんへのコメント」(他の方への返事を参照して頂くことをお許し下さいm(__)m)にも書きましたが、人間が哺乳類へ別れるずっと前から受け継いでいる野蛮遺伝子によるものだと私は思います。
「己を知り、敵を知れば、百戦危うからず」(孫子)、「無知の知」(ソクラテス)も言っていますが、まず人間自身のこをを知ることが重要です。
しかし、それは「自分の弱点や有利な点を知る」とか、「いい気にならない」という意味では有りません。
人間は、まず人間自身のことを知るということであり、生物としての人間の人類学的考察をして、目指すべき社会を見定めなければならないと私は思います。
放送大学の人類学系の講座においても、「人類学」が廃れ、「文化人類学」ばかりで、「マイノリティの文化の研究」についてしか論じられていません。
それでも、「人間が個の生物である」と論じたのは、その「文化人類学」の講義の前振りでした。
今こそ、「人類学」そのものの研究を進め、それと現在の地球上の状況との整合性を見極めつつ、人類が目指すべき社会を考える時では無いでしょうか。
今のチンパンジー並の知性で構築された社会、しかし原始的であるが故に強力で野蛮な社会からの修正をするには、女性の感性が極めて重要だと思います。
何故なら、人間の社会は、哺乳類の原初的社会、つまり「母子の社会」から始まったからです。
西洋医学と東洋医学の違いは、非常に分かり易かったです。
全くその通りだと思います。
西洋医学は、対処療法的で、医学は症状を抑えるもの、身体を治すのは人間の自然治癒力、治癒力を支える食事は栄養学、運動はスポーツ学、気持ちは心理学(精神医療は薬物治療なので対処療法の一つ)と、いわゆる縦割りです。
その点、東洋医学は、医食同源を基本としています。
西洋医学は、今の先進国社会の弊害と同じですよね。
「女性に社会に出ろと言ったり…(以下略)」という矛盾は、まさに歪な社会に人間を合わせようとする小手先の対処でしか無いのです。
その為に、すぐに破綻してしまうのでしょう。
大学という探求の府においてさえ、この様な小手先の議論しかされて無いというのが、病んだ日本の現状では無いでしょうか。
私は10分釣っていますが…釣りランクQの為なのか、餌の違いなのか、メダカ・ザリガニのオンパレードです(;^_^A アセアセ…
アヒージョ…えと・・・オリーブオイルで煮込むということでしょうか?
それとも、オリーブオイルで炒めて、水を入れて煮るということでしょうか…いや、水に煮込んだら煮込み野菜になってしまうか・・・・ん~、難しい・・・;;
衣食住が満ち足りて、本来それ自体が幸福である筈です。
それでも、何か違和感を感じてしまいますよね。
戦後の日本の道も誤魔化しの歴史だったのでしょうけど、恐らくそれ以前の世界、つまり18世紀産業革命以降の方向が間違っていたのだと思います。
そして、恐らく農作物の栽培が始まった紀元前後からも、方向が間違っていたのでしょう。
農業と産業革命によって、衣食住が満たされ、道具も満たされ、人類に対する有力な敵も居なくなりました。
そして、地熱発電が始まれば、天然資源が枯渇することも無くなるでしょう。
衣食住と道具が満たされ、人類の敵も存在しなくなれば、それは人間の幸福の頂点となる筈で、他人の領土を奪う必要も無いでしょう。
世界を統一する国家とすることも不可能ではありませんし、戦争も必要が無い筈です。
なのに、そうなっていないのは何故でしょう。
それは、人間の心の中にある、闘争心や競争心では無いでしょうか。
人間は、個の生物ですが、その遺伝子の中には、他の生物から身を守り、または倒して生存しなければならない生物の野蛮遺伝子も引き継がれているのです。
その闘争心や競争心は、他人より上になりたい、他人よりいい気分になりたいという欲望に変わります。
しかし、地球上最強となった人類には、必要の無いものです。
本来、個の生物である人間が、個体数が増え、やむを得ず社会を必要とした時、常に他人が近くに存在するという状況から、その野蛮遺伝子が発動したのでは無いでしょうか。
その野蛮遺伝子は、他人より早く当たらしいものを発見したい、作り上げたいという思考に到り、科学技術が異常に発達するという効用もありました。
しかし、そこに人間の知性の発達が全く追いつかないのです。
前にも書きましたが、それは「三歳児が機関銃を持って歩いている」様な状況と言えるでしょう。
幼い知性の人間は、他人や他国より、金持ちになりたい、強くなりたい、という野蛮遺伝子によって、「もっと科学技術や権謀術数を発展させたい」という意識しか生まれず、現在最も必要な「知性を発展させたい」という意識は、その幼さゆえ、全く生まれ無いのです。
その結果、子供達の野蛮遺伝子を発動させる様な教育になるのでしょう。
確か、名人の竿5分と名人の餌だったかなぁ^^
5匹目あたりで釣れましたよ。
守り支え次の世代にタスキを渡していくことではないでしょうか・・
物欲は際限がなく 比較の社会では金儲けのために命を削っています
何もなくても心は豊か・・・それが本来目指す姿だと思いますけれど
今の世の中 行き着くところまでいかないともうだめなのかもしれないとさえ思います
せめて幼稚園に上がるまでは親は育児というとても大切な役割を
一生懸命こなさないといけないと思います 働くのは生きがいとかいうのも大切かもしれないけれど
生きていくのに必要なだけのお金を稼ぐためだと思います
子供をさずかったひとたちは 人類が生き延びていくための宝物を神様から預かったのだと思います
社会は そんな子供たちを大切に見守りながらすくすくと育ち合えるような環境や制度を
もう一度見直さないといけないと思います 子供によくないものは排除すべきだと思います
必要な愛情は惜しみなく与えないといけないと思いますし・・
社会との取り組み方は なんだか 西洋医学と東洋医学の考え方の違いに似てると思います
西洋医学は・・出た症状に合わせての治療 東洋医学は 出た症状のもとになる体全体をみて
その偏りをただしていこうとする治療
色々な困った現象には そのもととなる原因があるはず・・その根本的な根っこのところに重視して
よくしていこうとすれば・・かなりのことが改善されるのではと 本来の姿に戻っていくのだと
思うのですけれどね
ただ・・お互いのプライドが邪魔をして 協力できない社会があって 正しい政策が遅々と歩まず
って言ったところでしょうか・・
本当は みんな わかっているのでしょうけれどね 優しい社会を作っていくのは
各人の ちょっとした思いやりの積み重ねなのだということもね。
深夜に頭回らなくて 変なこと書いてるかも~^^;
おやすみなさい(^^)/
あたるさんはなぜこんなにも同じ種類の魚が釣れるんですかね@@;
私も今日はちょっと時間があるので、久しぶりに釣りをしてみようかと思います^^
ラジオを聴きながら、釣りをされているんですね~!いいですね^^
「衣食住を満足させる為に、育児を無事に行う為に、どの様な社会が必要かを論じるべきでは無いでしょうか。」
おぉ~~!素晴らしい意見ですね^^
女性に社会に出ろと言ったり、子どもを産めと言ったり、なのに保育所は足りなくて・・・・
男性に家事・育児に協力をしろと言うけれど、残業が多くて帰宅時間遅い、休日も少ない・・・
むちゃくちゃですよね^^;
ちなみにアヒージョとは、「ニンニクを入れたオリーブ油に魚介や野菜などの具材を加えて煮込んだ小皿料理。」だそうです^^
戦後、日本のたどってきた道が正しくなかった・・・
とは断言できませんけど・・・
どこか歪な形の日本になっている事は確かです。
子供の学力を上げるため、「土曜授業の復活」
さて・・・?学力をあげて何をさせるつもりなんでしょうか。
頭のいい子を量産する?
子供は政府の商品じゃないですよ。と言いたい。
それよりも、私は個々の才能を伸ばしたいと思っているのですが。