Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


北斎展 1


とある平日、お待ちかねだった「北斎 ボストン美術館 浮世絵名品展」(二〇一四年九月十三日─十一月九日、上野の森美術館)に行ってきた。土日はかなり混雑するというので…。美術館のある上野へ向かう。早朝バイトした後、家で早い昼食を食べてすぐ出かけたので、眠かった。電車の中でうとうとする。上野駅とアナウンスがあり、なかば寝ぼけながら、電車を降りる。ねぼけまなこの眼前に飛び込んできたのは、ホームに設置されたパネル広告…二つの展覧会のものだった。菱田春草展と北斎展。《黒き猫》とおもに(というのは、他の絵も配されていたから)《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》。先週出かけてきた展覧会と今から行く展覧会…。この二つが飛び込んできたので、『うわっ』と、思わず声に出して驚いた。そばにいた見知らぬ女性が、その声に驚き、あたりを見回していたほどだ。私の行動がそこに具現化されてあったようで、それが眠い頭にとても心地よかった。観てきた展覧会と観に行く展覧会。猫と波。
 さて、上野は東京都美術館、大好きな北斎…、もしかすると日本で限定すれば、一番好きな画家かもしれない、そんな彼の…、だったが、正直、展覧会としてはいまいちだった。
 いや、ほとんどわたしの側の問題なのだ。いくら好きでも、冨嶽三六景、諸国瀧廻りなどは、もう何回も見ているものだ。そこが浮世絵だ。肉筆画と違う。何枚も同じものがあるということは、ここでいえば、ボストン美術館所蔵のものでなくとも、それらを観ることができるということだから。それでもなるほど、たしかにこの展覧会で見た浮世絵たちは、刷りの状態がいいものばかり…だと思ったけれど。いや、同じものを観ることになるのは解っていた。
 回顧展っぽい展示の仕方なので、葛飾北斎(一七六〇─一八四九年)の、初期から晩年までの紹介をしているのだが、やはりわたしはどうしても、晩年のものが圧倒的に好きなので、それも原因かもしれない。本当なら、若い頃…といっても四十代とか五十代とかのものが多かったが、ともかくそうした頃の作品の中から、晩年の彼の筆致を見出し、感嘆するべきなのだろうけれど、どの北斎の展覧会でも、そうしたことが殆ど起きないのだった。だからそれもおそらく想定内だった。多分そうだろうなと思っていたので、それが原因でもない。原因の小さな一端は担っていたかもしれないけれど。
 もしかすると、単純に…、平日にも関わらず、混雑していたから、そのことが原因の最大要素かもしれない。美術館の外にまで長蛇の列…ということはなかったが、館内はかなり混んでいた。浮世絵は概ね小さい。おおざっぱに言うとB4とA3の間ぐらいではないか。それをひとの頭ごしに見るのは、結構疲れる。並べば、間近で見れるのだが、人たちに気おされてしまって、そうした気が起きない。ああ、若い頃のだし、人物だし(わたしは人物を描いたものが苦手だ。浮世絵は特に。北斎のものでも晩年の肉筆なら、別なのだが)、まあいいか、特に列に入らなくても…と、頭ごしに、なんとなく観て、なんとなくだいぶ来てしまう。具体的には百四十点以上の展示とある、そのうちの五十点ほどまで、章でいうと一章から五章半ばまで。その通り過ぎたもののなかには、冨嶽三十六景もあった。人の頭ごしに、見て…。あれはどこだったか。静かにゆっくりと眺めることのできた《冨嶽三六景 凱風快晴》(一八三一年頃)、通称赤富士は、何度めかに観たものだったけれど、わたしに語りかけてきてくれるものだった…。だが、この同じ赤富士はよそよそしい。雲の間からわずかにみえる富士山の姿よりももっと。それは他人の、他者のための富士のようだった。




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.