Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


菱田春草展 その3


 この《月下雁》が一九〇七年に描かれたとあり、次の章、最終章でもある四章は「「落葉」、「黒き猫」へ:遠近を描く、描かない 一九〇八─一九一一年」となっていて、時系列でいうと、四章よりも一年前でしかない。だから猫たちと共通点がみられるのだろうか。
 だがこの四章にある作品たちは、もはや「朦朧体」的なものが、ほとんど見られなくなっている。ぼかしは部分的になり、菱田春草の言葉によると、装飾的になった分、距離が犠牲にされた遠近感、ということになるらしい。何も描かない背景により、対称性を増していったともある。
 実はこの四章の目玉のひとつである《落葉》(一九〇九年)には、あまり惹かれなかったのだが、この絵での距離は、後ろの幹が薄くぼんやり(まるで朦朧体のよう)、前のそれがはっきりと描かれていることで、遠近感を出している。地面は落葉が降り積もっているけれど、まばらで、それ以外は何も描かれていない。それが対照的、ということなのだろう。
 そして最後近くに、猫たちがいる。猫たちを集めたので、若干年代がとんでいる。一番早い時期のは《白き猫》(一九〇一年)。こちらは前期のみの展示。そして《黒き猫》が後期展示…、前期と後期という対照性のなかに、白猫、黒猫という対照性も組み込まれているわけだ。
 前期のみの《白き猫》の理知的な、夢見るような顔の猫も良かったけれど、似たような猫…。猫ペアチケットになっている、白い身体、しっぽ半分と、おでこあたりに円形の黒、《春日》(一九〇二年)のそれが特に響いた。白梅の下、身体を丸めて座っている猫。ほとんど眠りそうなほど、眼を細めている。そのことで春の温かさを感じさえする。そして白梅の白が、背景に透けそうで、さらに猫の白も、背景に殆ど透けそうで、そのことで猫と梅が互いに呼び合い、均衡を図っているようなのだ。あるいは春という日を、梅と猫が感受している…、その究極の謂いであるような、春を感じた。
 そして《黒猫》(一九一〇年)。黒き猫ではなく、黒猫。柿の実がなった柿の木(枝だけだが)の下で、黒猫が、今度はちょっと警戒するような感じで前方を見ている。わたしたちと眼はあわない。その距離感が、わたしの身のまわりにいる猫っぽくて、親近感がわく。わたしのみた猫たちを思い浮かべることができるという意味で。展覧会のどこかの絵のキャプションで、黒というのは平面的になる、アクセントになる、といった意味のことが書かれていたと記憶する。その平面的な色の猫が、写実的に描かれてある、その対比が面白いと思った。それは薄く描かれた柿、柿の葉、枝たちの写実と、好対照をなしている。
 ここまで書いて…展覧会後に注文した『週刊アーティストジャパン 31 菱田春草』(デアゴスティーニ、二〇〇七年)が届く。同時にネット・オークションで注文した菱田春草展のチケットも。この偶然が楽しい。
 展覧会図録にも、『週刊アーティストジャパン』にも菱田春草の琳派研究のことが触れられていた。先に触れた猫と木など、植物と動物を配するのは琳派の常套手段であるそうだ。そして特に『週刊アーティストジャパン』では、「具体的な対象としては、宗達や光琳よりもむしろ、酒井抱一や鈴木其一ら江戸鋼機の琳派系作家でその作品との近似性が指摘されている」とあったことに、なるほどと思った。私もどちらかといえば、酒井抱一や鈴木其一の絵に惹かれるので、そうしたものに傾く傾向に共通点があるのかもしれないと親近感を抱いたのだ。
 さらに『週刊アーティストジャパン』では、春草の画号が「身近な花鳥的自然風景」から採られたのでは、とあることが興味深かった。
 わたしも周りにある花や水たちに大切なものを頂いているが、彼の絵から、特に雲や鳥から、それを感じた、そのことも含めて、命名された名前が、咲くようにわたしに見え始めたのだった。あるいは見過ごしてしまいそうな空を、暈した筆が丹念にわたしたちにさしだしてくれている。それは雲や大気であると同時に、菱田春草の息吹で作られた幻想だ。わたしたちはその渾然一体となった見えないもの(絵という見えるもののなかで、これをいうのはおかしいだろうか?)を受け取るのだ。受け取ったなかでこそ、いや、花や空が、やさしく、近づいてくれるのかもしれない。

 菱田春草が一九〇七年、失明の可能性もある、重い眼病を患い、半年の療養を余儀なくされたこと、そしていったん癒えたが、その後も小康と悪化を繰り返していたこと、一九一一年八月下旬についに失明し、九月十六日、三十七歳の誕生日(九月二十一日)の目前、三十六歳で没してしまったことも、書くべきだろうか。網膜炎に腎臓炎を併発したものだったらしい。わたしは作者の実生活にあまり興味がない。だが、それとこれとは少し違うだろう、という気もする。彼の早すぎる晩年の、絵たちに、その力には、おそらくそうしたものたちが魂魄のなかに、混じりこんでいるだろうから。それも含めて作品なのだ、そして、作品にどこか落とした影、それだけで、十分だと思うからこそ、彼らの実生活はいいと思ってしまうのだ。だが、だからこそ、彼の死は早すぎる。

 昔読んだ…、塚本邦雄の歌で、うろ覚えの記憶では、キリストの年をとうに越してしまった…といった意のものを、うろ覚えのまま、かたまりとして温めていて、誰かの亡くなった年齢を越える度に、うろ覚えの歌を浮上させていたものだった。梶井基次郎、中原中也、宮沢憲治、カフカ、速水御舟…、その度に、ああ、彼の年を越してしまった…という想いとともに、塚本邦雄のことを思い出すのだ。この彼らは基本的にわたしに大切なものを作品によってか、演技によってか、くれた人々だ。作品によって、生を語りかけてくれた人々。
 だが、菱田春草…彼はなんというか、知ったと思ったら、とうにわたしの今の年齢よりも前になくなっていた…。彼のなくなった年齢を過ぎる実感もなく。うまくいえないが、彼の夭折、というよりも三十六歳という年齢を、惜しむ間もなく、知り合ったときに(というのは、この展覧会ではじめて顔見知り程度から大切な友人となったから)すでに、もう年下だった、そのことも含めてさびしく思うのだ。早すぎる彼の死を、同じ年齢の時に重ねることで、彼ともっと近づきたかった…。おそらくそんな気持ちがわき起こってきたのだ。うろ覚えの塚本邦雄の歌を思い出しつつ、逝ってしまった彼らの年齢を過ぎるとき、わたしはひそかに悼みの儀式をしていたのかもしれない。それが菱田春草には、もはやできなかった…。

 ちなみにこの塚本邦雄の歌…長らくうろ覚えだったのだけれど、つい先日、判明した。
 「キリストの齢死なずしてあかときを水飲むと此のあはき楽慾」

 展覧会を見終わり、常設などを見て回る。展示作品として、のように窓からの景色を眺められるスペースがあった。窓が額縁だ。お堀と木々と空、そして東京タワーが見えた。ああ、菱田春草の描いたものたちが、ここで息づいていると、ぼんやりと思った。
 そして、自宅最寄駅に帰ってきたとき。もはや夕闇がはじまろうとする、曇り空だった。だが、まるで菱田春草が、わたしに語りかけてくれるような、そんな暈したような空たちで、優しかった。わたしはいつも、こんな美しいものを見ているのだ、そう教えてくれるようで。




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