Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


菱田春草展 その2


 チラシなどから。
 「菱田春草(一八七四─一九一一)は日本近代で最も魅力的な画家の一人です。春草は草創期の東京美術学校を卒業後、岡倉覚三(天心)の日本美術院創立に参加、いわゆる「朦朧体(もうろうたい)」の試みや、晩年の装飾的な画風によって、それまでの「日本画」を色彩の絵画へと変貌させました。生誕百四十年を記念して開催する本展では、《落葉(おちば)》連作五点すべてに加え、《黒き猫》をはじめとするさまざまな“猫作品”や、新出作品等を含む百点を超える作品を、最新の研究成果とともにご紹介します。」
 生誕百四十年の回顧展として開かれた展覧会は、一章から四章まであり、基本的に年を追って展示されていた。第一章「日本画家へ:「考え」を描く」は東京美術学校へ入学した十六歳の作品にはじまり、卒業制作などが並ぶ。若描きで、とくに惹かれたというものはなかったけれど、《水鏡》(一八九七年)という作品で、美しい天女を映す水鏡が沼のように濁っていて、さらにほとりにさく紫陽花が花の終わりを思わせるくすみ方で。それで「天女衰装」を表し、「考えを画く」ことを意識したとあるのが、なるほどなと思った。考えを描くことが成功しているかどうかはわからないけれど、絵に対する強烈な意志を感じ、そこにほのかな共感を感じたのだった。
 二章「「朦朧体」へ:空気や光線を描く 一八九八─一九〇二年」。岡倉天心を中心とする日本美術院創立に参加した菱田春草は、横山大観とともに、新しい表現方法に挑戦した。それが黒の輪郭線を描かずに、空刷毛で色を暈し重ねたりした、いわゆる「朦朧体」だったとある。それによって空気や光線を描こうとした…。
 空気や光を…というところに、印象派的なものを感じた。そして、当時の批評家たちに、嘲笑をふくんだ言葉として「朦朧体」と呼ばれたとあることも、出たときに評価されなかった「印象派」との類似を思った。年代的な系列からすこし離れてしまうが、菱田春草が横山大観とともに一九〇三年にアメリカ・ヨーロッパに外遊したとき、思いがけず向こうで評価されたのは、彼らがそうした、どちらかといえば内的な共通点を感じたからではなかったか。絵が似ているというわけではない。だいいち日本画と油絵という違いもある。それらの壁をとおりこして、光や影が、画面のうえで、たたずんでいるのだ、ながれをとどめて、そこにあるのだ。
 ということは、つまり、印象派にひかれるわたしもまた、特に菱田春草のそれには…。そう、風景たちにひかれる自分がいた。ただ、二章ではなく(二章にあった作品たちにも、もちろん惹かれるものはあったけれども)、とくに次の三章「色彩研究へ:配色をくみたてる 一九〇三─一九〇八年」にあった作品に集中して。三章は、前述の外遊後、正反対の色たちを置くなどの補色の配置と筆触の強調による、色彩研究の時期、ということだったが、こちらでも「朦朧体」で描かれた作品は多かった。それらが、響くものが、静かに、けれども、たくさんあって、共鳴が鳴り響いて、やまないのだった。静かなにぎやかさ。そこには光にあふれた景があった。影をともなった景色があった。なつかしいような痛みをもった、共鳴がふるえる。
 《夕陽》(一九〇三年)の静かな海と空。長細い画面の四分の三近くが空。あとが平たんな岩場、ねそべるような優しさをもった岩場のある静かな海。空も劇的な夕焼けではない、ただぼんやりと、そっと色を変えているだけ。その下にある海もまた、そんな空の色合いをうなずくように、わずかに夕景に染まっている。ちらほらと、鳥のような白い帆の舟たち。鳥のよう、といったのは、菱田春草の作品には渡り鳥やねぐらに帰る鳥たちなのだろうか、あるいは獲物を探しているのか、ともかく空に点在しているそれが、多くみられるから(《曙》《夕の森》《春丘》《五月》)。そのことで、変化が生まれる。静のなかに動がわずかに感じられる。さざなみのような、かそけき動き。
 ああ、鳥そして海で、とくに立ち止まったのが《月下波》(一九〇七年)だった。やはり縦長の紙に…月が出ているから夜なのだろうか。けれども空はおおむねセピア色だ、そこを雁のような鳥たちの群れがわたってゆく。それで静謐がわずかに破られる。そしてこちらはさらに画面下にある海でも、今度はもっと動きがある、波しぶきがたっている、蒼に白の、動きがある。とはいっても、それは荒れ狂う波ではなく、比較的穏やかな海ではあるのだけれども。この絵の時間はいつなのだろう。満月の月があるから夜なのだろう。けれども青い海、どちらつかずのセピアの空。朦朧体と称されたその手法が、光と影、そしておそらく風をも描くことに成功したように、そして菱田春草が、考えのかたまりをいれることにそうとはしらずに成功していたように、そこでは、やはり現実、そして幻想が、同時に住まう環境をもつくりあげていたように思えるのだ。昼であり、夜である、そんな矛盾が、払拭され、しずかに夜が月光の下、輝いている。それは晴れであり曇りでもあるかもしれない。すべてを混沌ではなく、まきこんで静かにうかぶ夜の明るさ。
 《海辺月夜》(一九〇七年)、《月下雁》(一九〇七年)など、月を描いた作品も多かった。月の輪郭線は書かれていない。ただ色がまわりと変わっている円形たち。そうしてわたしはどこかでこの月をみたことがあったと、ぼんやりと思う。それがなんであったのか、感覚としては覚えているのだけれど、家に帰ってくるまで、わからない。いや、正確には、家に帰ってきて、パソコンに向かい、菱田春草について以前書いたことを検索して、はじめて思い出したのだ。山種美術館でみた《月四題》だった。四枚セットで、一枚づつ春夏秋冬の月が描かれている…。やはり輪郭線のない月に幻想を感じていたというのに。いや、その感じだけが、もう再会していた。わたしはそれをおくればせに知るのだった。
 ほかの朦朧とした風景たちにも触れたいが、きりがないので、残念ながら省略する。このあたりでは、《月下雁》についてのべてみる。こちらはむら雲のかかった満月の晩、三羽の雁がわたってゆく姿。この雁たちは、めずらしく、点点と描かれた姿ではなく、はっきりとしている。余白というか、空の割合がほとんどだけれども、形がはっきりと見えるぐらいには大きい。輪郭線も描かれているようだ。いや空が薄い淡い色なのにたいして、濃い色の雁たちだからそう見えるのかもしれないけれど。だが羽などもしっかり描きこまれており、飛び方もリアルだ。なにか空、月の感じは、朦朧体に近いのだけれども、雁はそうではない、あの猫たちの絵が多く描かれた時代、四章への過渡期のようにも思えた。それはあとで触れるが、雁のなににひかれたのだろう。しばらく絵のまえから離れられなかった。後ろ髪のひかれかたがやさしかった。くぎづけになる、というほどではない、ただわずかばかりの心残りが…。そんなよわい力の後ろ髪だ。でもどこか懐かしい、ぬくもり。たぶん、それだけ書けば、ほとんど、《月下雁》について、わたしが感じたこと、だいたい表しているにちがいない。なぜかわからないけれども、やさしい力のはばたき。(続)




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