Nicotto Town



人間は社会性生物では無い

表題の言葉は、放送大学の人類学で言われていた話です。

人間は、個の生物であって、社会性生物では無いことを受け入れた時、人間同士のいろいろなことが理解できる様な気がします。

社会性生物ではありませんが、社会を作らなければならないほど、個体数が増えてしまいました。

その為、社会性が必要となり、現在まで試行錯誤していて、未だに社会性は得られていません。

社会性生物の言えば、蟻や蜂ですが、その社会性によって形態が異なっている場合が多いです。

それら形態の違いは、遺伝的なものでは無く、食糧に含まれるホルモンなどの化学成分によって異なっています。

人間にも、多少の大きさの大小はありますが、形態学的にはそれほど違っている訳ではありませんし、身体が大きく、筋肉も多い白人は肉体労働と決まっている訳でもありません。

誰も居ないと淋しい・・・でも、ずっと一緒にいると、煩わしい・・・

広い大きな土地に一人でいると、気分が晴れ晴れすることもあるし、不安になることも・・・

人混みの中にいると、疲れるけども、安心する・・・

こういう矛盾した感情は、社会性生物では無い人間が社会を営んでいるというところからきているのかもしれません。

しかし、だからこそ、知能や知性が発達したのかもしれません。

ルソーの社会契約論も、それを受け入れたからこそ、生まれた哲学だそうです。

哲学や宗教、道徳などは、社会性を模索する手段と言っても良いと思います。

人間に近い類人猿であるチンパンジーは、一匹より群れでいた方が強く、生存確率が高まる…という、利害関係によって群れを作っているそうです。
つまり、チンパンジーも社会性生物では無いのです。
ニホンザルの猿山も、同じかもしれません。

つまり、チンパンジーは、敵が居なければ、群れで生活をする必要が無いのです。

私の父親の時代から、そしておそらく有史以来続いてきた「虐め」の問題を考えてみましょう。
虐める対象がいるからこそ、それ以外の人達が団結します。
しかし、その虐める対象が居なくなると、残った団結していたグループの中に虐める対象を見いだし、同じことが起こります。

仮に、クラス対抗などで敵を作ったり、怖い教師が敵の様に思えて、クラス全員が団結して、虐めが無くなったとしても、それは気を紛らわせているに過ぎないのかもしれません。

「敵を作って団結する」という、チンパンジー並の知性から脱却しなければ、真の平和を得ることは出来ないのかもしれません。



「人間は、本来、個の生物であり、社会性生物では無い」

「しかし、個体数の増加から、社会性が必要とされている」

この二つを念頭において、人間関係をいろいろ考えてみると、案外簡単になるのかもしれません。

「人間は、社会が無ければ生きられない」

と、考えてしまうから、様々な無理矛盾が生じてしまうのでしょう。

#日記広場:30代以上

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2014/10/17 17:31
ココさん、コメントありがとうございます\(^O^)/

うんうん、私もそういう心を持ちたいと思っています(=●^0^●=)

でも、なかなか難しい…やはり、いろんな処に固い部分が残ってしまいます。

例えば、だいたいのことは、笑っていられるのですが、車の運転とか、パソコンのソフト関係とかになると、なんかムキになってしまったり…(;^_^A アセアセ…
でも、そういう部分って、少しプライドやコダワリがあるものの、究極的には自信がない部分の様な気がします。
つまり、中途半端な実力の部分を突かれると、駄目なのでしょうね~。
昔のF1ドライバー、中島悟くらいになれば、運転で何を言われても笑っていられるのでしょう。
でも、それは無理だから、プライドやコダワリに引きずられないことが重要なのだと思います。
(#^.^#)
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2014/10/17 12:37
あたるくん

私はスライムかアメーバのようになりたいですw 人( ̄ー ̄;願 
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2014/10/14 17:23
ココさん、コメントありがとうございます\(^o^)/

うんうん、自分と同じ性格の人と一緒にいたら、自戒するキッカケにはなるけど、ずっと一緒は嫌な気がします(^◇^;)

でも、鍵と鍵穴の様に、ぴったり合う相手というのもなかなか居ないと思うので、相手の形の合う部分で部分的に付き合っていくのが良いのかもしれません(^。^)
また、自分または相手が、スライムの様に、自分の形が何であろうと、すっぽり受け止めるっていうのは素晴らしいかもしれませんね(=^0^=)
自らの形を決めてしまうと、相手がぴったり合う鍵穴、または何でも受け止めてくれるスライムの様な人でなければ、長く付き合うことは難しいことになります。
だから、自分も柔らかく、相手も柔らかいというのが、フレキシビリティがあっていいですね。
皆が、柔らかい包容力があれば、争いも減るのだと思います(=^0^=)
男女の場合、まずは男の包容力が重要だと私は思います。
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2014/10/14 17:15
ぽこたさん、コメントありがとうございます\(^o^)/

うんうん、人間の社会性っていうのは、本性では無く、能力なのです。
だから、英語や数学と同じ様に、得手不得手、伸びる時期に違いがあっても当たり前なのです(#^.^#)
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2014/10/14 16:05
おおおw

そんな考え方もあるのか!Σ(∀〃/)/
考え付かんかった!
そう言われてみればそうかもね?(≧∀≦*)ノ〃
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2014/10/14 13:50
ほおー。なるほど~社会性生物ではないけど個体が増えすぎて社会性が必要になったが・・・。
なんだか生き辛いのって性格だからではなく(対応能力もあるけど)、もともとそういう生き物だったからなんですね・・・。
これから、娘の幼稚園入園で集団に入るのが億劫だったんですけど、すこし気持ちが楽になりました。
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2014/10/12 15:51
ココさん、コメントありがとうございます\(^O^)/

結局、人間の知性が、敵を作ることでしか社会の矛盾を誤魔化せないからかもしれませんね。
学校教育においても、順位を争う、つまりライバルを敵として戦うことを中心に行われているので、ますます敵を求め続ける社会になり、その縮図として学校のクラスや様々な小さな社会で虐めが行われるのは自然の理ということでしょう。

同じ人格の人達だけ集まって…なんか、それって嫌な気がします。
気が合うということは、鍵と鍵穴の様に、またはパズルがぴったりはまるということでは無いでしょうか。
同じ人格、つまり鍵と鍵では、逆に衝突が起きる様な気がします。
でも、相手の嫌な部分は、そのまま自分の嫌な部分でもあり、自戒するキッカケになるかもしれませんね。
(^。=)
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2014/10/12 14:48
虐める対象が居なくなると、残った団結していたグループの中に虐める対象を見いだし
ってほんと世の中そうなんだよね
何でそんな事しなければならないのか されなければならないのか
辛くなりますね

そういう人だちから離れて 一人になりたいけど
まさに 誰も居ないと淋しい・・・でも、ずっと一緒にいると、煩わしい・・・
なんです
自分の本当に気の合う人とだけで人生送れたらいいのにな

中身は知らないケド
最近の映画の紹介で同じ人格の人だけの世界に分けられるというのをTVでやってたんですが
それならもっと気持ち良く生きれるのかねえ?^^;
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2014/10/12 12:39
ひなパパさん、コメントありがとうございます\(^O^)/

時々、釣りブログの後半にも、思考段階のことを書いてたりします(^。=)

自然人にとって、仕事とは、「生」と「性」を満足させる活動と言えるでしょう。

つまり、食べ物を探し、採って、食べること、そしてメスを探すことなのです。

そして、現代の人間にとっても、基本的に同じと言えるでしょう。
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2014/10/12 12:32
いしころさん、コメントありがとうございます\(^O^)/

「社会性」が人間の「本性」では無く、後天的な「能力」の一つであり、「能力」の伸びる時期や強さは、人それぞれです。
従って、その「能力」が十分で無い時期に、無理矢理「社会性」を押しつける様なことをすれば、個としての人間の精神が、攻撃的になったり、弱ってしまったりするのは当たり前なのです。

他人と溶け込めないからといって、自虐的になる必要は全くありません。
英語や数学、理科、社会などの能力と同様に、その時はまだ、少し不得意という程度の話です。
逆に言えば、現代の社会に違和感を感じる人こそが、新たな、より高度な社会性を発見や開発することが出来るのでしょう。

「敵対」を基本とする暴力的社会性に対抗できるのは、やはり「愛」を基本とする社会性かもしれません。
「愛」の社会性は、原初的な「母子の愛の社会」、ボノボ型の「性愛の社会」があります。
しかし、それだけでは、「敵対を基本とする暴力的社会」を回避することは出来ないほど、個体数も増え、欲求の種類も増えてしまいました。

社会契約、つまり法律やルールは、それらを回避するアイテムの様なものですが、所詮沸騰した鍋を無理矢理押さえつけている圧力鍋の様な状況に過ぎないと思います。
そして、圧力鍋の上部から蒸気を少しずつ排出する様に、国同士を敵対させ、戦争を起こし、いわゆる「ガス抜き」をしている様に見えます。
そして、増えすぎた人口を減らそうとする自然の圧力の様なものもあり、戦争という手段や、暴力的な事件を起こす自然の欲求も起きるのかもしれません。

つまり、いしころさんの様な、「より高度な愛の社会性」こそが、これからの人間に必要とされているのだと思います。
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2014/10/12 12:13
しずくさん、コメントありがとうございます\(^O^)/

社会性の中で、最も原初的なものは、恐らく育児期間における母子の関係だと思います。
これは、哺乳類が始まった頃からの特性で、原初的な愛の社会です。

そこに、今日の釣りブログで書いた様なボノボ型の夫婦愛の社会が加わり、家庭という社会が成り立っているのだと思います。

ボノボ型の夫婦愛の社会は、より高度な社会性であるが故に、脆弱でもあり、「夫婦の縁は切れても、母子の縁は切れない」ということになるのでしょう。

「人間は社会が無ければ生きられない」と勘違いしてしまうと、社会に溶け込めない人間は、「人間失格」の様に感じて、自分を責める様なことになりかねません。

もともと、人間は社会を必要としないのですから、社会に溶け込めない時期があっても当たり前なのです。

知性にしろ、知力にしろ、人それぞれ能力が伸びる時期が異なる様に、社会性という能力も人によっては遅く伸びる人もいて当たり前だし、その能力の強さも人それぞれなのです。

「社会性」は、人間の「本性」では無く、後天的な「能力」の一つなのです。
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2014/10/12 06:51
うんうん、久しぶりの博士の講義、読ませていただきました^^

自然人は、不思議な生き物ですね^^
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2014/10/12 00:43
あぁ・・もともと社会性がないのですね。
だからいろいろな感情が起こって ときには
暴力をふるったり 自分に閉じこもったりするのですね
なんだか 目からうろこのような論説で とてもよくわかりました
色々な感情が起こってはいけないと思ってたけれど もともと少し無理をして
群れようとするから矛盾が起きるのですね  わぁ~すごく納得です
でも・・社会は必要ですね  アリやハチなどのように秩序正しく決まった役割を
黙々とこなしてるのは 本当に驚きでした  人間がそうではないことに
むしろ感謝してるかな・・人として 人と向き合うときに できれば
優しい気持ちだけで 交わることができたら みんなで思いやる心を持ち寄れば・・
社会の中で孤立感はたまにあってもみんなで交わっていけるのではと思います
本当は 一人のときもみんなと一緒の時も きっといつも幸せ一杯感じられるのだと
思います。そんな風に感じられる感謝の気持ちを忘れなければ・・人間すてたものじゃないと
いつも思ってるのですけれどね・・せめて二コタの中では 自分らしくいられたらいいな。
いつもわかりやすい内容に 感謝一杯です。 今日の内容は なんだかとても納得でした
ありがとうございます。いつもの笑顔おいていきます。おやすみなさい(^^)/
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2014/10/11 21:21
こんばんは^^

私は割と個人主義?なのかもしれないのですが
家庭も好きです✿


利害が一致で団結はわかる気がします☆


あたるさんが書いている2つの事を念頭において生活すると
人間関係が簡単になるっていうのもありそうですね✿


ちょっとした意識で生きやすくなるのかもしれないです







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