介護認定
- カテゴリ:日記
- 2014/09/02 11:36:43
今、姉から連絡があり
「お母さんの介護認定は2級だって」
と知らされました。
遡ること3週間あまり。
姉が介護認定を受けてはどうかとの話を実家でしたけれども
「まだ歩けるから大丈夫」
と、母は難色を示し…話だけでも聞いてみたらと言っても首を縦に振らず。
それでも姉は支援センターに連絡して担当の方とちょっと話をしたそうなんです。
そうしたら後日その方が実家を訪問して下さったようで…。
その時に両親の様子を見て、登録などの手続きも済ませてくれて下さったようなんです。
姉は母から支援センターの方から訪問を受けたことなど、全く聞いていなかったので
先ほどセンターの担当者の方と話をするまで知らなかった…という,
何ともまぁといった
ことになっていました^^;
父親の認定級については、脳こうそくで入院したことでおそらく変わる可能性があること
退院する間際でないとどの程度の麻痺が残りそうかといったことがわからない
といった理由から、日を改めて認定を受けることになるようです。
ですが明日、説明をしに担当者の方が実家に来て下さることになったそうです。
お風呂の湯舟に入るヘリを低いものに替えたいなど、、こちらとしても希望や
お聞きしたいことがあるので、姉によくよく聞いておいてもらうことになります。
少しづつ、着実にことが進みますように。。。
いえいえ…そんなそんな^^;
情報をいただけるのは助かります。
全く分からず、ネットで調べたりとあたふたしてますから^^;
ありがとうございます^^
具体的なことは分かりませんでしたが、
危険なので、今はやっていないのかもしれません。
当時の父は脳幹に近いところの梗塞で、オペもできないので、という事だったように思います。
とにかくよく分からないことを言ってしまい、
あやふやでごめんなさい。
そうでしたかぁ。
お風呂は直してもらう方向でお願いしたようです。
父が入院している間に進めておけることは進めておきたいので。
それより、みこたんの身体のほうが心配です。
1週間に1回、部屋の掃除に来てもらったり
部屋の中をバリアフリーにしてもらって車椅子が使用できるようにしてもらったり
色々やってもらっているようです
介護費用というのも毎月支払っているようです
市でやってもらえることは、どんどんやってもらいましょう
ご丁寧にありがとうございました^^
きっと父はこうした処置はされていないと思います^^;
ですが、絶対に安静とは言われたそうです。
トイレもベッド脇に簡易トイレが置かれ、それ以外はベッドから降りてはいけないようです。
心配は尽きませんが、良い方にいってくれればと願っています。
効果がなかったような…。
それ専門の(?)脳の医者がたまたま富山にいて、
すぐに、入院して、
私も父からの聞きかじりで、それも随分前のことなので
あまり自信がないのですが、
確か、うつ伏せになって、じっと動いてはいけない体勢で
ベッドに縛り付けられていたようです。
身の周りがどうケアされたのかは聞きそこねてしまいましたが、
確か酸素だか何だかの気泡を血管(?)に入れるとかだったような…。
大変に危険な処置なので、これができる医者はほとんどいないとか、言っていました。
何十年も前のことなので、今はどうなのかよく分かりません。
それほど広まっていないという事は、現在はどうなのでしょうか…。
あやふやな事ですみません。
抵抗があるものなのでしょうか…ね。
私もそういうところがありますから、わかる気がしますけれど
家族が一緒に住むことが出来ない今、受けられる支援は
受けてもらいたいのです。
そうすれば、不自由な生活も少しは楽になるかな?
そうなってくれるといいなとの、願いもあります。
面談のときは元気をアピールしてラジオ体操なんかしてたけど、
結局訪問をうけているうちにボロが出てどんどん介護等級が上がっていきました^^;
まずは認定を受けてサービスを受けることがとにかく大事ですよね。
ご本人の気持ちも大切なんだけど、
介護する人のケアも大事ですもんね^^
私も…^^;
認定受けられるほうの年代に近いです(+_+)
もうそろそろ認定受ける時期かも
ピンクうさぎちゃんのお母さんも脳疾患を経験されていらっしゃるのですね。
その後は大丈夫ですか?
お風呂は元々心配な場所でした。
両親は父親が仕事(鞄職人)をリタイアした後、数年前に公団に引っ越しました。
古いんですよね…作りが、全てにおいて^^;
持ち家でないので、改修には申請が必要かと思いますので時間もかかります。
11階に住んでいるので動かない体で外出するのも大仕事です。
大変でも私が一緒に暮らすのがいいのかなぁ…と、考えたりもするんですよね。
(でも、義母のことや主人の想いもあるでしょうから…一筋縄にはいかないでしょうし)
お風呂は特に気になりますよね。
実家の母が数年前に脳出血で倒れてから
さてお風呂場はどうしようかということになったのですが
結局何もせずに終わってしまいました。
階段は危ないので手すりをつけましたが
退院後しばらくは2階へは行かせないようにしました。
本人も怖がっていたのもあるんですけどね。
お父様のマヒもどの程度残るかわかりませんが
しのみぃさんの心配が
少しでも軽くなりますように^^
温かいお言葉ありがとうございます^^
姉がいてくれたことで、父の状態がより進行してしまうことを防ぐことができました。
後は、今出ている麻痺が少しでも改善してくれることを願っています。
大変な介護体験をされていらっしゃったのですね…。
頭が下がります。
実の娘だとしても、なかなかできないことです。
酸素テント…ですか?
後で検索してみてみたいと思いますが、父は血栓を溶かす点滴ぐらいしか
していないと思います。
どうも脳外科の先生も病院にずっといる訳ではなさそうで、1日のうち数時間
外来に出るためにどかか別の病院から来ているように思います。
(定かではないのですが)
入院してから、直接先生から説明を受けたことはないようなのです。
温かいお言葉、ありがとうございました^^
それが気がかりだと姉には話してあるのですが…その点の進展はないようです。
褒めてくれてありがとう^^
もうね…子どもの頃から姉の性格はよ~くわかっていますから^^;
気が小さいから吠えること吠えること…。
それも言葉が汚い。
わざと汚い言葉で言って、スカッとさせている感じなのかな…。
でも、体が弱い姉が一生懸命私に負担をかけまいと動いてくれているのは
よ~くわかりますので、本当にありがたいと思っています。
感謝感謝です。
姉も「今は気が張っているから」と、自分の置かれている状況を客観的に
見ているようです。
姉に負担がかかっているので、今度は姉の膝や腰が悲鳴をあげなければと
そちらも心配です。
さすが…考えが行き届いてますね。
文章も理路整然としていて、とてもわかりやすいです。
出来る出来ないは別として、栃木の方へ父を連れてきて病院へ通えれば
自家用車が使えるのでその方が楽になります。
実家は誰も運転が出来ませんので、公共機関かタクシーですが
1人で通えないとなると付き添いが必要となりますが、母は絶対に無理ですし
姉も独り身なので自分の生活を自分で何とかして行かなくてはなりません。
ずっと甘える訳にもいかず…。
正直、不安な思いが大きくなってきています。
かと言って、父を連れて来たら息子の通院や迎えの他、父の通院や世話に
追われることも想像できます。
家全体のバリアフリー化やお風呂の改築、色々と手を加える必要もあるでしょう。
知らない場所に連れて来られて認知症を発症し、進むことも懸念されます。
そして、母を1人で住まわせることも心配ですから、両親に来てもらうことになるでしょう。
そうなると、3年前に出て行った主人の母が知るところとなり…どうなることか。
騒動になりそう…。
義母は気に入らなくて15年同居した後に自分から出て行きましたが、依存心が強いので
帰って来たくて仕方がないようなんです…。
年に数回、アパートの支払いが出来なかったら…〇〇さんもアパートを出て行ったから
など、様々な理由を口にして私達から「戻って来たら」といった言葉がでてくることを
待ち望んでいる様子が見受けられますので。
私はもう、義母との同居は望んでいません。
次に同居するときは自分の親の番だと思っています。
私の親と同居するとなると、今住んでいる家を出て行く覚悟が必要なのかもしれません。
義母が激怒するでしょうから…。
↑
最後は愚痴です。
すみません^^;
でも、お姉さんがいて心強いことと思います
何とか落ち着かれますように・・
麻痺が残ったりしませんように、軽く済むと良いですね。
私の父も脳梗塞は患いましたが、
酸素テントに1週間ほど入り、幸いなことに後遺症は残りませんでした。
その後、いろんな病気をしましたが、
最終的には前立腺の癌が肺に転移して、
肺炎で亡くなりました。
その時にちょうど養母も脳梗塞になり、2人で病院に入り私は富山と東京とを
仕事をしながら高速バスで往復しながら、
看護と介護をしてきました。
途中で、娘が1年ほど富山に行ってくれて、私と交代で二人の面倒を見ていました。
あの時の娘には今でも頭が下がります。
それがなければ、とても続かなかったことでしょう。
いろいろありましたが、周りの方々のお力をお借りして
何とか、父を、そしてその4年後に養母を看取る事ができました。
お近くにお姉様がいらして、良かったです。
これからもいろいろあると思いますが、いろんな援助をどんどん利用して、
何とか、できる限りベストの状況が保てますように!
しのみいさんもいろいろ抱えていらして、大変のこととお察し申し上げます。
状況が少しでも良い方向に向かいますようにお祈りしております。
知れないけど、あれこれリアルタイムで手をさしのべてあげられないのは
もどかしいね・・・。
実際はおねーさんに動いてもらう事になるので、とにかくおねーさんとの
密な連絡は欠かせませんよね・・・
1つ前のやりとりを読んで、今後も気持的にやきもきする事もあるかも知れ
ませんが、とりあえずの大きな山場は過ぎたような気がします・・・。
あとは支援センターの方がうまく勧めてくれる事を祈りつつ・・・。
それにしても、しのみぃさんのおねーさんへの対応は大人だなぁ・・・と感心しちゃった。
おねーさんも身体に不調があるからきっと色々と大変なんですよね・・・うん。
私の両親と同じです。
父は、身体的介護で2。
母は、認知症で要介護2。
介護保険を使えば、リフォ-ムも自己負担1割で出来ます(一部適用外のものもあるので、要注意)
離れて暮らしていると、死角が発生します。
聞いたかどうか覚えていない。言ったかどうか判らない。こんな事が数回あったので、
私の場合、連絡は、全て私の所に来るようにしておきました。
そして、連絡ノートも利用、共用して、みんなで把握するように、体制を整えました。
でも、父が「24時間、自分達を見護ってくれる環境が欲しい」と言ったので、
昨年、父の入院を機に、平井に引き取りました。
今は、心身共に安定している様子です。
お父様の麻痺が、軽度だといいですね。
見護る家族も、心身の負担は大きいものです。
ましてや、老老介護の環境では、お母様もお疲れになる事でしょう。
お父様が退院されたら、もっと踏み込んだ介護が必要になるかも知れません。
今だけを見るのではなく、その先の準備もしておくと安心です。
私の父は、今は、車椅子で何とか通院していますが、そのうちに歩行不能になる可能性が大きいので、
在宅医療(往診)も取り入れています。
私の性格で、その時になって慌てるのが嫌なんです。
出来る準備はしておく!
自分が安心して、気持ちに余裕があると、本人や、家族にも迷惑をかけずに済みます。
ましてや、私も父も、土地勘のない地域での生活。
情報は、ケアマネや、地域医療の主治医から、いろいろと教えてもらってます。
そういった記事が載ってましたか…。
身近にいると、余計なことまで見えてしまって心配なあまりについつい言ってしまう
ということもあると思うのですよね。
私の場合は幸か不幸か距離があるため、両親の近況は本人たちと姉から聞くしかなく
心配させるようなことなどは、私の耳には入れないので、今回の様に大変な状況に
なってから私のところに連絡がくる…ということになります。
私も実家で暮らしていたときは父のことを毛嫌いしているような態度だったと思います^^;
心配だったことから、きつめの口調で父に言ってしまうことも少なくなかったかも…。
年に1度しか会わず、電話で時々声を聴く間柄になってしまってからですかね
優しい言葉をかけてあげられるようになったのは。
親不孝な娘です…。
こちらの新聞で半年前ほど
老齢の両親が、離れて暮らす子供と喧嘩して
勝手に引っ越してしまい、引っ越し先や両親の様子などコーディネーターの方が教えてくれない
(子供は意地悪だから絶対教えるな。と両親が言っていると言う理由で)
と困った事例の記事を思い出しました。
親身になってるのに(子供だからこそキツイ事も言う)
誤解されると言う悲しさ
しのみぃさんの所は、支援センターさんが親切そうで良かったです。
上手く事が運びますように。