第5形態
- カテゴリ:30代以上
- 2014/08/26 12:02:47
天文学者によると
宇宙誕生によりエネルギーが生まれ、物質が生まれた
このエネルギーから物質への流れは必然的であり、物質はエネルギー第2の形態とも言えるらしい。
地球には、海が生まれたと同時の様に生物が生まれたことが地質および化石調査から分かっている。
つまり、海という物質群から生物が生まれたのは必然とも言えるらしい。
従って、「生物は物質の次の形態と言えるかもしれない」とのことでした。
そう考えると、エネルギーが第1形態で、物質が第2形態、そして生物が第3形態ということになるだろう。
しかし、最初にエネルギーが生まれた時は、無から有が生まれたのだろうか。
エネルギーの前の段階があったのではないか。
と考えると、エネルギーの前に、まだ現在の物理学で「定義されて無い何か」があったのでは無いか。
ホーキング博士によれば、空間も、何も無かったとのことでしたが、凡人の私にはその空間も何も無いというのが理解出来ない。
そこで、「定義されて無い何か」があったと仮定したいと思う。
すると、
定義されて無い何か→エネルギー→物質→生物
…となり、生物は第4形態となる。
では、次の形態、つまり第5形態は何だろう?
生物の原核細胞生物から人間を含むほ乳類への進化は、極めて偶発的で、必然的であったとは言えないのかもしれない。
そうなると、原核生物の段階から次の形態が生まれると考えると、真っ先に考えられるのが光合成では無いだろうか。
光合成は可視光のエネルギーを直接受け取って、酸素分子を作る反応であり、この酸素分子そして派生するオゾン分子は、生物無しには発生しないらしい。
勿論、生物が居なくても、ガンマー線の様な強いエネルギーを持つ光が物質を変換することはある。
しかし、可視光の様な弱いエネルギーから物質形態を変化させることは無い。
そして、その光合成をする植物の中に居る葉緑体は、太古の海では単独で生きていた原核生物であったと考えられていて、必然的に近いレベルで生まれてくると思われる。
しかし、どうもこの議論は気に入らない。
確かに、光合成という代謝反応は面白いが、所詮物質の存在形態を変化させているにすぎない。
第4段階の生物が、第2段階のエネルギーを使って、第3段階の物質の有り様を変化させているにすぎないのではないか。
それに、地球における原核生物から人間の様な哺乳類への進化は、確かに偶発的ではあるが、その偶発は隕石の落下や火山の噴火と言ったものだ。
ハピタブルゾーンの条件を満たした惑星の創世記には、隕石の落下や火山の噴火などは当たり前の様に起こっているのでは無いだろうか。
そう考えると、哺乳類かどうかをこだわらなければ、人間や他の生物の様に、精神を持った生物が生まれることは、必然的であったと考えられるのではないか。
そうなると、第5形態として「精神」を候補の一つにあげても良いのではないかと思う。
「精神」は、物質でも、エネルギーでも、生物でも無い、新たな形態と言えるのではないか。
精神は一定の観測をすることは出来るが、直接見ることは出来ない。
しかし、もともと、「定義されて無い何か」から始まったのだから、それも気にすることも無いのかもしれない。
・・・と、とりとめのない思いを辿ったのでした(;^_^A アセアセ…