Nicotto Town



漢字変換

「食べれる」と漢字変換しようとすると

<ら抜き表現>

と、いちいち注意される。

本来は、「食べられる」が正解。

しかし、「食べられる」という言葉は、「(誰かに)食べられる」という意味や、「食べることができる」という意味などがある。

「食べれる」と表現すれば、「食べることができる」という意味に、ほぼ限定される。

とすれば・・・

「食べられる」より「食べれる」の方が、意志が明確に伝わるので、進化した表現では無いだろうか。

#日記広場:30代以上

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2014/08/18 19:55
ぼこたさん、コメントありがとうございます\(^O^)/
コメントの件はお気になさらないで下さいませm(__)m

難しいところですね。
話し言葉として、「食べれる」は特に違和感を私は感じませんが、もしビジネス文書であれば、現時点でやはり「食べれる」は抵抗があるかもしれません。
それも現時点での価値観かもしれず、将来においては違和感が無くなる可能性もあると思います。
変化しても問題無いもの、変化したら良くないと思われるもの、その都度考えてみようと私は思ってます。

平和は・・・変化して欲しくはありませんしね。
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2014/08/18 12:02
今月初めにコメントを頂きました。
2週間以上INしていなかったので、気づくのが遅くなりましたがありがとうございました。

私はなぜから抜き言葉に抵抗を覚えて使わないようにしてますが、進化した表現と考えると意固地になって使わないのもなんだかな~と思ってしまいました。
言葉は生き物と言いますしね・・・。
日本語がかっちりしたものなら、いとおかし~なんて今も使っていたでしょうし・・・。
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2014/08/18 10:07
いしころさん、コメントありがとうございます\(^-^)/

放送大学の「現代哲学への挑戦」という講義で、舟木亨先生が言っていたのですが
「・・・られる」から「・・・れる」への変化は、私の書いた理由でも、発音のし易さの問題でも無く、他の理論的な理由でも無く、地滑り的に起きた変化だそうです。

「話し言葉」と「書き言葉」は、双方が影響しあって変化する様です。

文字も言葉も生き物と同じで、日本語も万葉仮名の時代から現在に至り、また将来に向けて変化していくものなのでしょう。
言葉によって経験しないことも理解できる様になり、文字によってより正確に伝えることが出来るようになったので、人間としてのアイデンティティが確立されたと思います。
一方、文字や言葉によって心が傷ついたり、心が安らいだり、誤解が産まれたりします。

聴いたり、読んだりしていて、心が幸せになる様に、そして誤解の無い様に、変化していくといいですね。

私は、いしころさんの言葉に、いつも癒されてます(=^0^=)
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2014/08/17 22:18
どんどん新しい言葉が大手を振って歩いていくような世界になってます
ら抜き言葉は、その走りですよね
なんでも省略されてしまう言葉たち\\
でもそれも時代の流れなのでしょう 
食べられる・・も、食べることができる って表現が短くなった言葉だしね
進化したと思えばいいのでしょう^^

日本語の美しさは、できるだけ残しておいてほしいなって思いますけれど
まぁ~世代交代ということであれば 仕方のないことかもしれません。
自分自身も だんだん言葉があやふやになっていきます。漢字も忘れていくしね
・・・悲しいことです でも、・・胸張って生きていこう~(^^)/



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