信じたいものを信じる
- カテゴリ:日記
- 2014/08/15 02:54:25
「NEWS23」 TBS
元日本兵の証言。
@niftyにTV番組に対して呟くサイトがあるんだが、
案の定、と云うか想像以上に『愛国者』で溢れていた^^;
・証言自体が嘘
・他の国だってもっと酷いことをしている
大別するとこの2種類かな。
日本軍の良いところも伝えないのは不公平、てのもあった(苦笑
想像でしかないけれど、直接に戦争を知らないヒトばかりだろう。
勿論ワタシもだ、言うまでも無い。それを踏まえて
「~さんは南京虐殺は無かったと言っている」
(なので日本軍はそんな酷い事をした筈が無い。)
何故こちらの証言は嘘だと判断しないのだろう?
他人が、同等かそれ以上に極悪なら
自分の醜悪さも許されると思っていられるのも不思議。
子供の言い訳か、それ以下><
自虐史観て言ってるヒトタチの方が、
実は後ろめたく思っているかのよう。。。
『誇り』で武装したいんだかね~~
お浚い中、以下ネタバレあり。
「捩れ屋敷の利鈍」
Riddle に利鈍、、、、はどうだろう^^?
保呂草と萌絵の、夢の共演。
本筋とは関係ないが、携帯電話を使用していると思しき場面があり。
VはS&Mより後の時代の話なのか? と云うとそうでもなく(笑い
両シリーズを通した伏線になっているのだった。
保呂草が変装している、て体にしたら映像化も可能かなwww
一人でも背に上れば声の遠さで大まかにでも高さはわかるでしょう。
情報は多いに越したことはないのでは?
>reiさま 記憶が当てにならないからこそ、早いうちに沢山の証言を
取って置かなければいけなかったのに、と思うのです。
客観ていっても、同じ記録で解釈が違ったりするしねえ><
当時の、、、については、今の人たちがそういう言い訳を持ち出すのが怖いのよ。
全体を知らないし、それまでの思い込みで見てしまうし
それらの話を、また思い込みの人が聞いて曲がっていってしまう。
なので、証言を基に客観証拠が必要になるんだと思う。
それをしてきてないのが戦後日本の問題だと思う。
あと、当時の社会常識と現在は違うので、現在の常識で断罪するのはと思います。
他の国だって~っていうのは免罪符にはならないけど、
当時の世界情勢を考えるのは必要だと思う。
まあ、ネット上のいいっぱなしだと、感情的にで終わってたのかもしれないので
corraさんの言いたいことと違うように取ってるかもしれない。
データに偏りが生じ、客観性は乏しくなりますわ。
わが国の戦争研究は、その種のものが多いです~(汗)。
想像に難くないし、たぶん間違ってもいない(どころかそれ以上)
と思うんですよね。
綺麗な所しか見たくない、てのは危険な兆候ですし
自分に汚い部分があっても、それ込みで自分だしー^^;
くらいのバランス感覚が好ましいんじゃないか知らん?
>カトリーヌさま 『群盲』の証言も、数が揃えば客観性を見出せるのでは?
わが国は、その辺りを曖昧にしてきた気がします~
個人の戦争体験だけで、あれこれ論じるのは不可能~。
群盲象をなでるようなもの。
その戦争の全貌が、正確に且つ政治的にも中立に、明らかになるには、
直接の関係者もいなくなり、誰にも利害関係が無くなった頃に、
多くの資料を公平に網羅して、初めてできるものですわ。。。
語っている人が信じたいことでしかないとゆーことだろうし、
当時を生きて、
ホントに嫌な目に遭った人は語りたく無いと思ってるだろうし、
忘れてしまいたいと思ってる人は、そもそも語ろうなんて思わない。
偏った意見しか出てこない場で、真実がどーだ、現実はどーだ、
語ってる人は誇大妄想狂にしか見えないと思う…
生きるためには、自殺したくなるよーな後ろめたいコトは、
たぶん記憶から消し去られてしまうことが多いハズ、
死んだ人々の生きた軌跡や、消し去られてしまいそうな事実の方が
当時の真実に近い言葉が埋もれているのかも?と、
わたしは妄想してしまう。
生き残るために、自分を生かすためには、自分の都合の良い
真実が自己の中に再構築されて行くのは…生き物としては
当然の有り様で、ウソをついてるからと責められるべきでは
無いと思う。ウソの記憶から透けて見える現実の過酷さが、
判れば、その人の役割は果たせたと思う。
ひとは死に行くけれど、死するために生まれてきたのでは無く
自身の生を生きるために生まれて来たのだと思う。
その人の語る言葉は、生きるためのその人の物語、
ウソの証言の中にその人が生き残るための言葉があって、
その後ろに見え隠れしている当時の現実をうかがい知ることが出来る。
わたしたちは想像力を働かせて、それを知ろうと努力する。
当時の過酷な現実を最悪の想定で妄想しても、
たぶん本当のところは、歯抜けになった、
肝心のところが判らない事実だけが残って行くのでしょう。
悲観的になり過ぎ無い様に、
自分をコントロールするだけで手一杯です。