Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


鶴の羽

 七月末に一泊二日の小旅行に出かけた。車だ。箱根にある岡田美術館に行こうと思って、湯河原へ。湯河原・箱根間は、車で二十分ぐらいだという。箱根はもう何度か泊っているので、近くの別の場所、はじめての場所へ泊ろうと、湯河原にしたのだった。それにこちらのほうが箱根よりも海に近い。わたしの好きな海に。
 まだ、どうも言葉的に調子が出ない。なにかたちが重なって、わずかばかり、負のサイクルを作ってしまっているのかもしれない。展覧会にゆかない。本もあまり読まない。言葉が、というより、心が動かない。日々のなかで、かれらと会うことが、うすれてくる…。
 だがこの負のサイクルは、ちょっとしたことで抜け出せそうな気もしている。それは言葉への勝手な想い、信頼関係からくるのかもしれない、あるいはとりまく彼らが、おおむねわたしに、まだ微笑んでくれている、そんな気がして。
 最初は真鶴へ。うちからだと湯河原の手前。真鶴半島、そして突端の真鶴岬。上から見ると岬部分が鶴の頭、半島のあたりが鶴が羽をひろげているように見えることから、真鶴の名前がついているのだとか。美しい名だと、いつからか思っていた。鶴瀬、鷺の宮、砧、笄町…関東、というか、わたしが住んだことのある場所近くで言うと、これらのような、どこか背景が気になる言葉の音をもつ地名なのだった。
 真鶴は、遠足か何かで行ったことがあったと思う。林間学校か修学旅行かもしれない。岬の突端にある真鶴ケープパレスで食事をした後、海を背景に記念写真を撮った気がする。集合写真が撮れるように、段になった長椅子があったような。
 真鶴ケープパレスは平成十六年から、ケープ真鶴となり、それまで小田急資本だったものが、町営になったという。訪れた岬には、長椅子もなかったが、見晴らしのいいそこをバックに写真をとる人々がいた。なんとなく昔と変わり、けれども今もなんとなく変わらない姿。ケープ真鶴になって、以前訪れた場所、ケープパレス真鶴がどうだったのか、ほとんど思い出せなかった。片隅で、かすかに、熾き火のように、訪れた記憶がともっていた。だが、同時にどこかで、はじめてくる場所のような心持になっていたのだった。
 ところで、わたしは残念ながら、木の名前はあまり知らない。けれども真鶴の半島、とくにケープ真鶴があるあたりの林は、内陸でみる林などとは趣きが違う木が茂っていると思った。あるいは海の気配が、木の間から、感じられるからなのか…。トンビが啼く、トンビが飛ぶ。潮の香り、海の近くの空の色。木の名前が判れば…と思う。花なら多少はわかる。花を呼ぶみたいに、木の名前たちが、わたしを取り囲んでくれたら。海に向かった斜面に、ハマユウ、ハマオモトが咲いている。白い花を海の青さに投げ出すようにして。大きな葉、大きな花が、夏の雲ともよく似合っている。名前がわかるとほっとする。彼らを呼ぶことができること、彼らが旅の中でしばし微笑んでくれること。
 海と接する岬の端、鶴の頭は、ケープ真鶴などのある丘陵地、比較的高い所から降りられるようになっている。降りたところの最突端は、水面から巨岩が三つ、せり出したような景観の三ツ石、そして岩場ばかりの海岸。
 ああそうだ、真鶴にくる前のことだ、車窓から、やはり突然海が見えたのだった。有料道路を走っていた。市街地をぬけ、緑が多くなる。その緑、小さな山たちのなか、ねむの木が、あわい桃色の花を眠りのように咲かせていた。満開で、ふわふわとして。そんな山の緑の景色が続いていた。と思ったら、市街地に出た。そしてカーナビの画面では、突然、前方が海をしめす空色になっていた。だがまだ街の景色、海は眼前に出現しない、本当に海があるのだろうか、そう少し不安を感じた瞬間、眼の前に海が。当たり前のことなのだが、見えたことに心底ほっとする。同時に、海を前にすると、ほのかな恋心でも抱いているかのような、ざわめく優しさを感じてしまう、そのことをまた思い知らされるのだった。いつもそうだったと、海をみつめながら、思い出す、そのことで、以前のわたしたちと再会をはたすみたいだ。海に視線が釘付けになる。よせては返す、二度と同じ形を描かない波しぶき。その波の文様をいつまでも見ていたくなる。
 真鶴の磯にもどろう。鶴の頭に降りれることを知らなかったか、降りたことがなかった。だから真鶴には、今まで崖のような突端のイメージしかなかった。せりだして、海と距離があって。だから、そのイメージをこわしてくれる出逢いがうれしくもあった。突然の感じがした。だから、来る途中での、突然見えた海を思い出したのだ。
 まだ、言葉と体験が、自分のなかで、うまくかみあってくれない、どこかたどたどしい。舌足らずで。けれども、すこしづつ、海に近づいてゆこう。
 降り切った海岸。磯というか、岩場というか。ともかく、その足元は岩でごつごつしていた。わたしはサンダルを履いていた。歩きやすいスニーカーでなかったことを少し悔やむが、仕方ない。足場を探しながら、海に近づく。夏休みだからか、人はそれなりに多い。家族連れ、バーベキューをしている人たち、あとは釣り人か。けれども、概ね静かだからか、あまり気にならない。彼らはわたしのように海をもとめてきている。そうしたことがあるからか、あるいは、夏の海の景を、それぞれ作りあげているからかもしれない。
 タイドプールにカニや小魚、ハゼ。海の近くまで、やっとくることができた。この小さな海のプールに、足をひたすことだってできる…。そうしている自分を夢想する。だいぶぬるくなったであろう、小魚のおよぐ海の水に。けれどもそれをしないのはなぜなのだろう。することとしないことの間で、想像と現実のあいだで、うちよせる波のようにとまどっていた。そのはざまで、まさに岬的なとまどいだった。階段を上って、ケープ真鶴のほうへ。ハマユウが空の雲とよく似合っている。しらない木たちの緑の息。




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