破れ三味線の風情と情念
- カテゴリ:日記
- 2014/07/03 09:40:35
杵屋一門の長唄をテレビで拝見、誠に心に沁みる。
伯母の形見の細棹三味線を放置してたのを思い出しました。
皮が破れてて修理にはギター1本買える程度のお金がかかる。
庭に来るおネコさんに協力を依頼しようか。でも捌くのはイヤだなー。
和物って、機能的に不完全な点を愛でる楽しみ方がありますよね。
年代物の欠けた茶碗や盃、着古した袷、ちびた下駄とか破れ番傘とか。
骨董趣味もある私、破れ三味線にもそれなりの風情があるのではと考えたのですが。
しかし時代劇で三味線の皮を破るシーンというのは大概、
行き場を失くした女の情念が爆発するような、おどろおどろしきシーンばかり。
山田五十鈴が撥を突きたてる表情なんか思い出すと、ほとんど怪談の域です。
伯母は坂東名取、かなりの額をつぎこんだと思われる。
その裏には旦那との複雑なモロモロが関係したという話も伝え聞く。
うーん、やはり破れ三味線って風情じゃなくて情念のカタマリなのかな。
夏に向け、縁側で長唄モドキを浴衣で唸り、町内の顰蹙を買いたい気もするが、、
楽器に漂う情念の残滓みたいなものを失ってはいけない気もするのです。
形見の品全般に言えることなのかもしれませぬ。
以前専門店に持ち込みましたところ猫皮とのお話で、
張り替えには中級ギター1本分のお値段が呈示されスゴスゴ退散したのです。
弾くなら安い練習用を買い、これは破れたまま残そうかな……という方向に傾いております。
先日我が家の三味線を修理に出した時お店で聞きました。
今回は糸巻きの破損だったのですが皮も練習用とはいえ結構かかるそうです。
乾燥すると敗れてしまうそうなので保管に注意が必要だとも言われました。
弾きたいと思ったときには是非直してあげてくださいね^^
伝統的な芸事には様々なお付き合いやしきたりもございますからやむを得ないですね。
鼓などは最終的に『血筋』という部分に帰結するという話を聞いたこともあります。
お花やフラワーアレンジメント、観るのは好きですが概念が全くわからず、叔母の手ほどきで数回やり匙を投げられ今日に至ります。
かくいう私も生け花の教授・・・(汗