責任
- カテゴリ:小説/詩
- 2009/08/28 13:33:49
生まれてきた責任は
とらなくてもいいよね
自分じゃどうしようもなかったからね
死んでいく責任は
とらないといけないかもね
たとえ
ひとときでも
誰かの
何かの
太陽だったってことは
あったかもしれないんだから
【今週のお題】「太陽」
久々にアップしました。
生きるってなんでしょうね。
生まれてきた責任は
とらなくてもいいよね
自分じゃどうしようもなかったからね
死んでいく責任は
とらないといけないかもね
たとえ
ひとときでも
誰かの
何かの
太陽だったってことは
あったかもしれないんだから
【今週のお題】「太陽」
久々にアップしました。
生きるってなんでしょうね。
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巧いたとえですね。
線香花火、ほとんどの人の人生は打ち上げ花火のように
注目をあびることは少ないでしょうね。
パチパチと一人の手に収まるくらいの、似ているようで同じではない
火花のきらめきが、少しだったり、華やかだったりします。
終わる時は、ポットと哀しいくらい早かったり、
いつまでも小さな火花を散らしていたり。。
夜空を見上げて感嘆するのもよし
地面を見つめて、小さいけれど温かい線香花火に
ため息をつくのもよし、ですね。
どちらも美しく、
どちらも消えるのは同じ
どちらを選ぶかは、運命さんの役割で
選べなかった片方が、いつだって羨ましいものです。
そして、どちらも
愛でるのにふさわしい。。
イメージがつきやすいのですが、ハイ。どちらかといえば
グータラな方だと思って戴ければ、ありがたいです^^;;
単調な様でも、細やかな変化があり
時に劇的で、ストーリーもあるようなのに
全く予想もつかない・・・
あっという間に終わることもあれば
しぶとく輝き続けることも・・・
自分じゃどうにもなりませんが
どう見ても生きている。
少しは綺麗に見えるように、花火を見習わなくてはね。
話はとびますが、「ガスール」って有名なのですね。でも、ちとお高いなぁ、今の私には・・^^
あぁ、もう十分に眩しいくらい輝いておられます^^;
家族を持てばね、否応なしに発生すると思います。
いろんなことがあったにせよね。ないことはありませんよね^^;
たとえばですが、
好き勝手に生きたとして、それが家族の誰かの腹立ちを買ったとしても
その人自身が満足ゆく人生を歩んだとしたなら
やっぱり腹立たしい部分は残りますが
どこかで、ホッとするものです。
子どもはやがて大人になり、歳を重ね、親の人生というものを
辿るというか、反芻していきます。
親自身が納得した人生を送ったのであれば
子どもも、救われるような気がします。
でも、死に方は決めておかないとね。
穴を掘って埋めるだけってことは、絶対にできないものですからね。
意思をとういものを残せば、遺された人は
ずいぶんと楽になるものです。
あぁ…ずいぶん生意気なことを申しました。
読み捨ててくださいましね<(_ _)>
失くして初めてわかるものがありますね。
寂しさのむこうに記憶があって
優しい思い出があれば、人はそれを糧にまた
明日に踏み出して行けるような気がします。
とにかく、生きてる。 生きてるから生きないとアカン。
ただ、生きてるのでは面白くないから、楽しまないとアカン。
死んだ時には、適当にそこらに穴掘って、ポイとしてくれたらエエ。
元の土に返るだけやわ。
前に何回ともなくとても大事な人においていかれたので。
ほんと、おいていかれた悲しさの責任をとってもらいたいと思うのと
同時にそのヒトがいてくれたときの、暖かさとか幸せにも感謝したい
気持ちにもなります^^
ああ、そうですか^^;
そうですよね。
でも、ひまわりさんは招き猫さんの胸の中で
ちゃんと生きてますよ。
だから、招き猫さんと一緒に責任を果たしてる
そう思えてきますが…。
何かあれば、負けるもんかという一生懸命より、やっぱり淡々ね。
省エネモードっていうやつでしょうか。
細く、長くっていうのに、なっちゃいます。自然と^^;
それで何をするのが最善が、これまた淡々と考える。
昔はグワッって感じだったけどね、^^;
それでも、胸の中にまだ熱いものがいっぱい残っているから
喜びや痛さも、昔とちょっとばかし違う。
焦りもあるけど、諦めもあったり
希望や夢は、ずっと捨てず、
静かに変わっていく自分もいるんだなぁと
歳月という先生に教わったりします。
妻の事を想うと、いつもこう考えてしまいます。
なんだかんだ悩んでも、生きているだけで運がいいのかも・・・。
自分じゃどうしょもないから、仕方なし生きてくし、
一生懸命も、あまりにも虚脱でもなく、淡々なんだわさ。
そんなかで、ドタドタしたり、けつまずいてアイタっって(笑
きゃーきゃー、よろこんだり。
でも、生きてる間は、生きてきます。
長年の親友の訃報というものは、
切ないものですね。
会えなくなる状況になって、改めて
大事な存在だったと気がつきますね。
日本に帰られたら、寂しいとは思いますが
会いに行かれるんですね。
お悔やみを申し上げます。
わたしは子どもがいないから
今一つ実感としてわきませんが
命を育てるのは、とても大変な作業です。
たぶん、母となり、弱さというものを乗り越える
力を授かったのだと思います。
シンプルですね。
説明不要で、その通りだと思います。
この世に生まれた時点で、重力のごとく
すべての命は死に向かっています。
死が確実なものだから
生き抜くということを基本に命は誕生してきます。
命は時間ですから
次の世代を残すために生物たちは、必死で時間と戦いながら
コインの裏表のような生と死の中を生き抜きます。
人だけが離れて、死を考えるのね。死んだ先のことも。
憤り、少しあるかもしれませんが、
どちらかというと、『願い』の方が強いかもしれません。
生きていくパワーのある人、ない人それぞれで
失くしてしまった人に、ほんの少し考えて欲しいと思いました。
その通りなんですワ。
生きていくって、まぁ、時に大変なんですが
何がしかの役目があって、生かされている気がするんです。
生きていくってことは、部屋に物が増えるみたいに
いろんなものを背負っていくことでしょうね。
それが、重たく感じたり、時には、抑止力になり、ありがたく感じたり…。
そう、最期は誰にでも訪れるから、納得できればね、自分の人生に
自己満足を感じられればOKですね。
宗教と哲学が一緒になった感じですね。
プラスマイナスだったら、本当にヨシだけど、
そうじゃないのが現実ですね。
ただ、背負いきれない困難も訪れないと言います。
その人のパワーが大きい分、困難も大きかったり、たくさんあったりして
重たい荷物を引き摺りながら乗り越えておられますね。
覚悟ですね。
覚悟を決められるか、どうか
そこらへんが大変な人も多いでしょうね。
たぶん、「精神」の流れからきて、浮かんだんだと思います。
亀ちゃんもいろいろ乗り切ってきたんですね。
基本は自分を信じて生きることができれば
大丈夫なんです。
親友というものを普段は意識していなかった
ぐっときました。
今をちゃんと生きていきましょうって
ことなんですね^^;
ああ、焦るけど。。。
わたし自身ね。
死んでいく責任、ですね。いろいろ考えました。
日本ではかなり自殺する人が多いので、それはもちろん、当たり前で
遺された人の悲しみに責任があります。
病に倒れたり、寿命だった場合
自分の人生をどう終わるか、それは個々の問題だけど
どう生きたを自分に問いかける瞬間でもあると思うのです。
自分のすべてを引き受けられるか、否か、生きた人生を納得できるか
自分の人生に責任をとれるか、そんなことを思ってみました。
次に考えたのは、死んでいく責任のない命。
アフリカなどの後進国で、泣く元気も奪われ飢餓で死んでいく幼い子ども達
世界の在り方の歪み、死なせる責任ですね。
誰かの太陽であるはずの未来を奪うわけですから。
戦争やテロも同じで、誰かの太陽を奪うわけです。
子どもにおいては、罪が深いですね。
心ならずも死が訪れた時ですね、
たとえば、瞬時にして交通事故などで奪われたとして
無念は絶対にあります。
奪ったものに、大きな責任が生じますね。
たとえ不本意でも、死は人生の総決算です。
どう生き、どう人に接したのか、やり直すことはできません。
不条理でも、無理やり責任を取らされる結果となります。
う~ん、日々、取り返すことのできない時間を生きているってことですね。
日々、精進、そう考えると、ああ、キツイことですね。
こと、怠け者のわたしですから。
そうですね^^
辛いことや悲しいことは、経験したくはないけど
避けられないケースが多いから、傷つくこともあります。
でも、学ぶべきことや考えるべきことがたくさんあり
乗り越えた時、豊かになっている、
人生の経験値があがっている気がします。
大切なのは、苦労や悲しみはお勉強させて戴いたら
身に纏わないで、うまく手放してやるのが、コツですね。
頭の隅に少しだけ置いておいてくださいね。冷凍でもフリーズドライでも^^;
それで、何かあった時に思い出して、考えてみてね。
う~ん、わたしは逆に思えるの。
恋は終わるけど、愛は永遠よ。恋は一種の熱病ですからね。
かかっている時は分からないことが多いです^^;
患者さん、恋してますね。
ただ、恋をした時間は永遠にそこにあるから
思い出に還っていけます。
そうです。
重いですよ~^^;
アッシュパパ、頑張ってくださいね。
ハハ…<(_ _)>
ごまちゃんの中では生まれてきた責任はありますか。
そうなのね。
自分の力ではどうしようもなかいことは
いっぱいあるからね。それを宿命として受け入れたのね。
「おまえはいらない子だった」と父は言い
「好きで生まれてきたんじゃない。子どもは親を選べない」とわたしは言って
なんとまぁ、痛いことを言い返す小さい子どもでした。
嫌でも、すでに存在するわけで、じゃ、しっかりと生きていくしかないわけです。
父との葛藤した幼少期でした。
そんな父も亡くなり、父も哀しい人だと分かる歳になりました。
人には歴史があるからね、なぜそうなったとか、
生まれた時点では選べないけど、生きてうえでは、選択の連続。
巡り合わせというものもあるけど
自分の人生に責任は生まれてくるね。
体が大変なことは、どうしようもないことの一つ。
それを受け入れることは、とっても大変だものね。
ごまちゃんは早くから、いろんな人が支えてくれることの大切さ知り
小さなことにも喜びを見つけ出せる力を得たんだと思います。
腰は大丈夫?
お大事にしてね。
人は生きている限り、たぶん、誰かとふれあってます。
些細だと思えることでもね。
ワイングラスを見るたび
欠けたワイングラスが浮かんでね、
honeyちゃんを思い出すの。
あなたがわたしの太陽だって、大袈裟なことを言うと
ウソになるからね、とても言えないけど
ニコッとで、突然消えてしまったら
新しい門出なら、とても嬉しいけれど
違ったら、何かあったんじゃないかって
名前も顔も、実は、何も知らないけど
とても気になって、心配になります。
ただ、それだけなんだけど
知らない間に、人は誰かの心に引っかかっているものなんです。
気付かないだけでね。
お父様に治療を説得したきき、ああ、爆発したなぁと思ってました^^;
客観的にみれば、どちらの気持ちもよくわかるけど
家族を持つということは、大きな責任を伴うことだからね。
父ちゃん、解るか~!って^^;;
説得した分、ルルちゃんの肩に重いものが乗っちゃったね。
いつの間にか、みんなのお母さんになっちゃったか。嬉しくないね^^;
家族といものは、時々、誰かに大きくのしかかるもの。
いわば防波堤、最後の砦に選ばれちゃいましたか。
だからこそ、今の素敵なルルちゃんになったわけだけどね。
確かなことは
ルルちゃんのことを、お父様は誇りに思ってるよ。
なんで死んじやいけないんだろうとか悩んだこともあったけど…
自分が望んで産んだ子を責任もって育てる…
今はそれで精一杯…
生きたい
生きたい と言ってみる
死にたい
死にたい
死にたい と言ってみる
どちらも同じ意味だから」
という詩を昔の知り合いの方が書きました。
たった一度読んだだけで今でも忘れられない詩です。
人たちに訴えたいこと、伝わっていけばいいですよね。
この世の中は、魂のステージを上げるための修行の場で、
人は生まれる前に、どういう人生を送るか、神様と決めてから生まれるんだそうです。
病気でも、数々の困難でも、生まれる前に、ストーリーに納得しているのです。
生まれてしまえば、そんなことは記憶から除かれていますから、分からないで生きていきますが。
人生の幸せ・不幸は、死ぬ時はプラスマイナスっていいますが、そうでもないでしょう。
でも、本人が神様と決めて、腹をくくってこの世にきたんだと思えば。
それから、私の気持ちも、楽になりましたよ。
死に逝く責任はあるかもしれないですね。
証になりたかった人の心に残るかどうかは、悲しい事に選択できないけれど。
死んでいく責任、とは何でしょう?自殺なら、責任を感じる必要があると思います。どんなに孤独にかられても、自殺が生きている者に与える衝撃は大きいと思うからです。自分の意思と反して死に行く時は、責任は、感じないでいたいです。執念深く、成仏できなさそうだから・・・。
生きてると辛いことや悲しいこと
の方が多く、楽しいことは少ない
ですが、辛い経験を一杯した方が
楽しさを幸せを人より多く味わえる
かなっと、少ない楽しみを最大限に
味わいために生きてるてことで^^
誰にでも、誰かの太陽であると思い
ます^^
「?」ってスタンスです。分かりません。
決して考えないわけでもないけど、「何も必死になって、今意味を考えるってのもなぁ、、。」と思っちゃう。
健康で、毎日同じようなサイクルで働いて、生きてる実感もあまり感じる機会がない自分だからかな。
そういうのは、もっともっと将来に、ヒマな時間にお茶でも飲んで考えたいなと。それまでは自分に出来る範囲で、この生を楽しみたいなって思います。いつ死ぬのか分からないのであれば尚更。考える時間より、楽しむ時間の方が大事。
太陽。。
うん。確実に一人います。たぶん、死ぬまで「俺の太陽だ!」と思える女性が。
その人の中で俺も同じように、不滅の存在と思ってもらえたら、、、って祈ってしまいます。
愛は死んでも、恋は永遠なのかもしれません。
うーん
あるかあww
重たいねえ。
生まれてきた責任ある気がするなぁ・・・
責任というより、宿命というか運命というか・・・
私、理論ではね^-^
もちろん、死んでいく責任はもっとあるよ!!
思えるようになりたいです、
まずはそこから。
父は自分の病気を告げられた時、かっこつけて
「ここまで好き勝手生きてきたからもういい」と言って治療拒否したの。
けど私、泣きながら怒ったのよ。「母と私達への責任はどう考えてるのか」って←キツ~イw
自分から生きることをリタイアしたいと思ったとき、
周りの人の為に生きられないかと、チョットだけでも考えてみて欲しいなと思うのです^^;