Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


幻想たちが現実をかえる 横須賀美術館3


 杉浦非水(一八七六─一九六五年)は、《東洋唯一の地下鉄道 上野浅草間開通》(一九二七年、リトグラフ/オフセット)の作者として知っていた。ホームで、たくさんの人が、電車をまっている。待ち望んでいる、といった風な、たのしげな様子で、モガ・モボの人たちが。一九九七年か二〇〇七年、八十周年か九十周年記念の地下鉄の行事で、知ったような気がする。
 今回は彼のポスターではなく、「非水百花譜」(一九二九─一九三四年(原本・一九二〇─二二年))という木版画集からの花を描いた作品の出品に、心が動いた。
 緻密かつリアルな植物の描写は、植物図鑑のようだが、西欧のそれは、なにか植物標本のような気がしてしまう、どちらかというと死を感じさせる、あるいは生きていないようなイメージがあるのだが、比べて杉浦非水のものは、生が宿っている感じがした。なにか酒井抱一や鈴木其一的な日本画や、北斎の浮世絵的なものすら感じる。これらからは共通して生の瞬間を感じるからだ。植物とともにあること。というか、杉浦非水のものは、西欧的なものと日本的なもの、それらの中間、西欧と影響を受け合っていたというデザインの、それを体現しているような感じがした。私が今あげた日本的だと思う画家たちのそれよりは、どこか生が希薄である、けれども、たしかに生がある…。生と死の狭間ということなのか。「いかりさう」「のぶだう(野葡萄)」「りんだう(龍膽)」…。
 展覧会会場を出て、常設展、そして、屋上へ。海を見渡すことのできる展望スペースがある。
 もはや春ではなく、初夏の日差しがまぶしい、暑い。この暑さに海の青、そして空の青がよく合っている。新緑の緑が、夏とは違うことを、そっとささやきかけてきて。
 車は美術館の駐車場へ止めたまま、観音崎のほうへ、すこしだけ。さきほど来る途中でちらっと見かけたように、いつもより人が多い。いつも…というか、わたしが来たとき、いつもここはひとけがない。ひとけのなさも、好きだが少々心配になる。観光としてなりたつのか…。だからこのにぎわいはすこしばかり喜ばしい、といった気持もあった。岩場ではしゃぐ子供たち、バーベキューをする人々、のんびり散策をする人々。岩場や浜に打ち寄せる波、波紋。海の青さが空の青さと決別のように、色を変えている。
 横須賀…今度は本当に横須賀だ、横須賀にある、おみやげとか買える施設に立ち寄って帰る予定で、そちらに車をすすめる。猿島が海の向こうに見えた。小さな島だが、私にとってながらく幻想の島だった場所だ。幻想の空間として、近くなのにながらく訪れたことがなかった…去年ようやく訪れた場所。今日の展覧会と共鳴しあうような島だと、出逢いにひとり、微笑む。日がだいぶのびた。まだ辺りは明るい。家に帰るころ、ようやく夕方、境目の時刻になった。幻想と現実。




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.