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シン・ドラマ汁


ドラマ【軍師官兵衛】

軍師官兵衛
NHK 日曜夜8時~
【あらすじ】信長が重臣を集め開いた茶会で、播磨を平定した秀吉は他の家臣から羨望と嫉妬の視線を浴びながらも、信長から讃えられ、播磨を切り取り次第領地とする許しを得た。しかし秀吉おねに、自分にはそのつもりはないと明かす。一方、秀吉が預かっている官兵衛の嫡男・松寿丸の鎧着初めの儀式が、善助太兵衛が見守る中執り行われ、播磨に戻った善助は、その様子を官兵衛職隆に語って聞かせた。そこへ左京進が訪れ、官兵衛が預かっているの娘たちを引き取りたいと言う。

【感想】いやー、面白いですねぇ。簡単に織田になびいたかと思われた播磨の武将たちが、まるでコマが一度にひっくり返るように、毛利に寝返ってしまったと。この時、秀吉が播磨の諸将を集め開いた軍議は、「加古川評定」と呼ばれているもので、ドラマでは別所吉親がわざと下らないことを延々と話し、秀吉の不興を買って、それを利用したように描かれていますが、そういう説がないわけではないですが、別所家の家老・別所賀相と重臣の三宅治忠が長治の名代として参列したという説が有力で、下らない話をしたのはその三宅だったというのは確定的なようです。ドラマでは人間関係を簡略化し、わかりやすさを優先したんでしょうね。しかし、秀吉ともあろう者が、こんな策略にまんまと引っかかってしまったのは、意外ですよね。そばに竹中もいたというのに。ただ、この頃の秀吉は、柴田勝家とケンカして信長の命に背き軍を引き上げたのに、その罪を信長から許されたり、茶器の名品を信長からもらったり、播磨をあっという間に平定したこともあり、かなり調子に乗っていたのではないかと思われます。そして、度重なる戦を切り抜けてきた自信もあり、播磨あたりで小競り合いばかりしている田舎大名に対する軽侮の念もあったのかもしれません。しかし田舎大名とはいえ長年小国がひしめく中、僅かな手勢で自分の領土を守ってきた彼らは、小国ならではの経験が豊富だったとも言えます。また、調べた中には出てきませんでしたが、ドラマであったように毛利の調略もあったかもしれません。様々な思惑を秘めた小国が渋々織田方についているような状態で、秀吉は肝心な時に気を抜いてしまったんですな。それと、小寺家においてライバル関係のように描かれている左京進ですが、いろいろ調べたんですが、どうにもはっきりしないことがあります。というのは、以前にもこちらで書きましたが、ドラマではもう死んだことになっている光や左京進の父・左京亮が、実はもっと生きていたという説がありましたよね。その説によれば、左京亮が死んだのは、加古川評定で櫛橋家が毛利方につき、自城である志方城に籠城するのですが、その時織田方に降参した際に、自分の命と引き換えに息子の左京進や家臣の助命を嘆願したと言うのです。となると、結構話は違ってきますよね…。ただ、もっと早くに左京亮が死んだという説もないことはないのです。元々ほとんど無名だった家で、この時代の動向を記した史料はあまりなく、それを利用してドラマではわりと自由に描いているんじゃないでしょうかね。ただ、大河ドラマに取り上げられたことで、研究が進むことがあるのは今までにも例がありまして、これから櫛橋家の新事実が明るみに出るなんてことも考えられないわけではありません。とりあえず毛利方に与した志方城の城主くらいに考えといたほうが無難でしょうね。




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