いいやとんでもねえ
- カテゴリ:日記
- 2014/04/10 19:53:22
いつぞやの大ヒット曲で、
「NO.1にならなくてもいい
もともと特別なonly one」
つーのが流行りましたが、
あっし、この歌詞信じてませんww
というのも、
「お客様は神様です」
の意味をはき違えてる方が多くなったのと同様、
この歌詞の意味を取り違えてる方が多くなってないかなあ、と思うからで。
この歌詞や「神様」が、
相手に対して敬意を込めて言われるのでしたら、大賛成。
自分に向けて言うのでしたら、ハイさようなら、です。
だってね、
「あたしゃ神様だよ」
なんて言う人がいたら、
誰しもその異常性に気付くものでしょ?
「親バカであれど馬鹿親になるな」
は自分のモットーでもあります。
最近は子どもが子どもを再生産してる、
とは、口が裂けてm(ry
ま、「お前が言うな選手権」で
優勝できそうな勢いの人間の言葉ではありますが。
逃げかもしれませんが、
そういうときは、
「自分だったらこう考える」という風に伝えます。
どっちが正しい、では無くて、自分の考え。
あくまで個人の意見だから、相手と違ってていいし、
話し合いの余地も生まれます。
少なくとも「こういう考えをする人だ」という、
お互いの考えを認め合う事はできるのかなあ、と。
「~が常識でしょ?」
って事です。
最低限の一般常識は無くては困ります!のでいいんですけど、
そうでなく、「~が常識っていうのは、自分だけのことでは?」
と思ってばかりになると、「自分がルール」になるな、
と感じたときから、口に出さない、出たら考えるようにしようと。
難しいですけど。
余り考えすぎても、穴にはまりますしねΣ(`L_` )
「決まりは破るもの」
確かにそんな感じですね。
もう一歩進めて、「自分がルール」になってる気がします。
個性尊重されるあまり、「自分が正しい」となってないか。
個人の考えが正しいかどうか、というのは、
対になる「公(おおやけ)」の中でしか判断できない、と思います。
「人様に迷惑かけるな」
とはよく言ったものです。
これが大前提。
んで、自分の考えを推し進めていく際、
他人の利益とぶつかる時が必ずある。
そのときに必要なのが「気遣い」なんだろう、と思うんですけどね。
「○○して当然」と考える人には、これが無いんですよねえ。
気遣いあるだけで人間関係が円滑になるんですけど、
その辺ドライ、というか、いらぬ実力主義、というか。
古いタイプの人間は馴染まないんでしょうかね。
私も「お前が言うな選手権」に出たら優勝に食い込みそうなので、
注意をつい飲み込んでしまうことが多いのですけど…
子供のことについては、当時自分が大人に教わって出来たことを、
大人が「まだ小さいもんね~」とかいうのは「自分が面倒くさいだけだろ?」
としか思えません。
本当に世間には「馬鹿親」「馬鹿ジジババ」が増えたなと思いますよ。
「決まりは破るもの」としか思ってないのかな、とも。
「No.1にならなくてもいい」
の下り、受験、数字でばかり左右された年代には当時言いたかった本音
だったのでしょうけど、それこそ頑張って、頑張って、それでも「1」という
数字に泣かされた人には染みる言葉でしょうけど、
そうでない人にはただの言い訳にしかなりません。
正直、花屋の店先にはそこそこのいい花が並んでどれもみんなきれいですけど、
その前に商品にならないと判断された花たちがあり、
それらはあっけなく捨てられている、ってことが現実でございます。
でも、花屋にとって花は形が最善の評価ですからね。
それでいいんです。
正直、世間的にはNo.2、3でも、そこに至るまでの苦悩があり、
そのポジションでしか得られない学びもあるわけです。
比べること、違うことが悪いわけでもなく、
それによって上下や順位を付けて満足する空気感があることが、
人を苦しめるのだと思います。
コメントありがとうございます。
大概すぐさま行動するのは悪い結果になるので、
ワンテンポ置いてから(というかクールダウンしてから)
実行するようにしてます。
ストレスは、忙しすぎて感じている暇がありませんww
るぅさんも早く体調が戻りますように。(-人-)
嫌な御時世になりましたなぁ~(--;)
あたしだったら ズバリ 言っちゃうでしょうww
師匠・・ストレス お溜めになりませぬ様に┌○ペコリ