Nicotto Town


収納や本のことを書く予定


あの日の自分

しっかりした意見とかないので、日記的にしか書けないな。


2011年3月11日は図書館にいたんだよね。
たぶん結構本に没入してたから、初め揺れてるのに気付かなくて、周囲がザワザワしてから顔を上げたんだと思う。
窓がガタガタ言って本が落ち始めて、ボーっとした私もさすがにヤバイって感じて、立ち上がった。机の下か外に出るか一瞬迷ったような気がする。
私がいたのは窓を背にした席だったから、窓が割れたらどうしようみたいなことを考えて、そこからとにかく離れて、そのままの勢いで外に出た。

外に出てもかなり揺れてて、これは本当ににヤバイと思ったわ。普通地震って、建物内より外の方が小さく感じるから。

で、1回目の地震が終わったんだけど、その後はまあケータイだよね。でも私のガラケーだったからあんまり役に立たなくて、近場にいたスマホの人にニュースを見せてもらった。

震源と震度の画像が出てた。私がいた場所と震源がかなり遠かったから、相当な巨大地震だって感じた。
親が地震関連の仕事してるから、地震の大きさって震度×距離ぐらいのことは知ってた。
それから震源が海底だったからなんとなく津波のことは考えた。

この後図書館はチェックのために一旦立ち入り禁止になった。結構な人が荷物を図書館に置いてきちゃってたから、図書館前の広場に皆集まって残ってた。バスも止まってたしね。
あと図書館は公共施設、だから地盤も建物も普通よりシッカリしてる。しかもその図書館のそばには自衛隊の施設もあったから、他の場所より安全ってことも考えてたのかも。

私もスマホを見せてくれた人と喋りながら時間を潰してた。
そしたら2回目の地震が来た。できるだけなにもない空間に行ってしゃがみ込んだ。
いよいよもってヤバイな…と感じた。でも自分のいる地域に関しては命の危険までは感じてなかったから、その面では呑気だったかも。

図書館は今日は完全終了ってことになって荷物だけ取りに入らせてもらった。
バスも動き始めたから私も帰った。

家の中はちょっと物が落ちてたけど、別に荒れてはいなかった。
とりあえずニュースをつけた。津波の映像だった。
死亡者ができるだけ少なくて済みますようにと祈った。

その後は家族にメールを送って、安否確認をした。





私の母は宮城県出身。母に比べると、私の東日本大震災への感情はどこか遠いのを感じる。だからっていきなり意識が変わるわけじゃないから、とりあえずなにか書いておこうと思う。放って置くと流れて消えてしまうから。





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