Nicotto Town



 「希望って何ですか 貧困の中の子ども」


以前、少しだけ書いたことがある新聞連載記事がネットで読むことが
できるようになっていました。

様々な理由から、人として基盤となる家庭というものを知らないで育った子ども達。
大人になって行く過程で、そしてその先で大きな不安と偏見に怯えて生活し続ける姿。

自分が親となった今、読んでいてとても切なくて。
子どもの立場と親の立場との両方から、これらの記事を読んでいました。

当たり前の事なのでしょうが、連載記事を通して家庭の大切さを感じたのでした。
ただ…1つ気にかかることがあります。
最近、時々目にする『毒親』という言葉。

私の周りでは見聞きすることはなくこれまで生活してきました。
しかし、実際には毒親と言われる親がいることも確かなのだと思います。
子どもの成長に多くのマイナス的働きかけが行われてしまう場合
その家庭から子どもを引き離す必要があります…よね。
施設で育った場合の方が、子どもにとってどれほど良いか…。
そういった場合もあるのですよね。

記事を読み直して、考え込んでしまう私でした。。。

http://www.shimotsuke.co.jp/special/poverty#top



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2014/03/04 08:14
> キヨ(0´∇`)さん

コメント、ありがとうございました<m(__)m>
思い出すのも辛い過去…書いて下さって本当にありがとうございます。

ですが、よくぞここまでりっぽにお育ちで…と思いました。
(気の利いた言葉が浮かばず、すみません)
今の時代、中卒での職は本当に限られてしまいますよね。
現在生活するお金が少しでも多くほしいという切羽詰まった状況下での判断では
中学卒業と同時に社会へ出るという選択もしかたないという考えも否定できませんが
やはり、長い将来を考えると…どんな方法であれ高校卒業程度以上はもっていて
ほしいと、私も思います。

私の家庭は父が職人だった為、社会情勢のあおりをもろに受けていました^^;
ですから裕福な育ちではありませんが、両親が元気で揃っていてくれたこと
帰宅すれば専業主婦の母がいて、家で仕事をしていた父もいて
「おかえりなさい」と言ってくれる毎日だったこと…幸せな子ども時代だったのだと
今更ながら思います。
子どもの頃は裕福な家庭に憧れていましたが…^^;

物質的な裕福さはなくとも、精神的には満たされていたのだなと思います。
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2014/03/04 01:19
沢山あります。親のすべてが子供の味方で、自分の居場所を
用意してくれる訳ではありません。その時は闘い自分で自分の
居場所を勝ち取るしかないのです。嘗ての僕がそうであった様に。

あの記事の少年も闘って欲しかったですね。高校に行き
ファミレスなどの飲食店でバイトすれば、お金も稼げ、まかないも付く。
高卒の資格も取れ、社保がある会社に就職出来る。
綺麗事では無く、そういった情報を大人達は発信すべきですね。

最後にですが、しのみいさんがブログで施設の事を述べて
いらっしゃいますが、毒親であるなら、それがベストだと僕は思います。

僕は幸い、伯母が助けてくれましたが、助けが無かったら、あの家庭で
育つより、施設の方が良かったと思いますもの、子供心に継母を殺害
する事すら視野に入れていましたからね。小学生の低学年の子供なりの
浅知恵ですが、ジャガイモの芽を集めて毒殺とか考えていましたしね。
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2014/03/04 00:59
記事を読みました。
僕も所謂「貧困の家庭」と「毒親」で育ちました。
正確には貧困と言うより、継母が「僕には金銭をかけたくない」
という生活環境でしたね。

父が1歳の時に離婚して、僕を引き取るも男親に1歳の
乳飲み子を育てれるはずも無く、伯母に育てられました。幼稚園までね。
小学校に上がると校区の問題で、父親の戸籍のある学校に通わなければならず
父の家に戻ると再婚しており、再婚相手にとって「邪魔者」でしかなかった僕は
虐待を受けました。殴る蹴るは耐えれましたが、精神的虐待は辛かったです。

ケーキを、わざわざ僕に、僕の分を除いた個数を買いに行かせ、継母と
その子供だけで、見せびらかして食べたり、学校の教材での水栽培の花を
咲く寸前でちぎったりとかね。

だから自分の身は自分で守らなければならず、様々な知識を得て闘いました。
児童相談所に自ら通告し、伯母の家に避難したのは小学4年生の時でした。
当事者の僕を除いた話しが行われたみたいですが、父も継母も死んだ現在では
真相を藪の中です。

中学卒業の時も「高校は義務教育じゃない」と言い復讐心から学費を出すのを
拒否した継母、中学の担任や親戚を巻き込み闘うも、何故か預金はおろか
父の保険も解約されていて、本当にお金が無い状況下の父の家庭。
それが僕を苦しめる為の継母の策略か本当に散財したのかは不明ですが
無い袖は振れず、奨学金で高校に行きました。高校を含め7年間の奨学金の
返済は経済的には重く圧し掛かり、普通に会社員をしてる友人の殆どは
結婚して子供がいて、家やマンションを購入してる現況に比べるとやはり
今も同年代に比べれば僕は貧しいですね。

しかし車も持て、余剰資金を株式投資にまわせる程度の財産はあり
あの環境から最貧困層に落ちなかった自分は頑張ったと思います。

それはやはり「知識」です。しのみいさんの紹介された記事で16歳の
少年が高校に行かず、肉体労働云々の記事がありましたが、あれこそ
「無知は罪なり」の典型的です。目先の数万円しか見えず「中卒」と
「高卒」の職業選択の広さをを認識していない。生涯賃金の差を理解
していない。父と子ともに近視眼があるが故の不幸です。仮りに親が
僕と同様の毒親で「高校に行く金は出さない」と言われても、様々な
方法を活用すべきです。その為の知識は「図書館」「ネット」「役所の無料相談」
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2014/03/03 17:28
> あるとさん

いいえ…とんでもありません。
つたないブログへ貴重な大変を書いて下って、ありがとうございます。

身内とは言え、なかなか出来ることではないと思います。
長い月日を要することですから。

また、色々とご教授いただけましたら嬉しいです。
ありがとうございました^^
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2014/03/03 16:52
しのみぃさん

ありがとうございます。
なかなか想像しにくいこととは思いますが
元嫁の母親はある新興宗教にはまっており
娘たちもその価値基準に沿って育てていました。
手間を惜しまず調べればすぐわかることだったのに、と後悔することしきりでした。

離婚するときも母親のいない状態でちゅんを育てることを躊躇ったのですが
自分の孫がそんなふうに育てられると思ったときに我慢できませんでした。
一時はもう一度なんとかならないかと息子家族ごとこちらへ引き取る(2時間ほどの場所だったので)
ことも考えましたが
すでに嫁の多重債務やらめちゃくちゃな生活ぶりを見て「これは無理」と判断せざるを得ませんでした。
外見が清楚なだけに信じられませんでした・・・。

息子が自分で判断してほしかったけれど
そのときにはあきらめきっている生活で、まさに私と夫は「レスキュー」って感じだったんですよ。
新興宗教は恐いです。
今でも大事な局面には私は神社に参拝して「力を」と祈ることが多いです。

そうは言っても私もトシですので、ちゅんを育てることがなければ
と自分のことばかり考えてしまうことも多く
こちらで書かせていただくことで改めてちゅんを育てる意味を考え直すことができました。
スペースを取ってしまってごめんなさい。
そしてありがとうございます。
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2014/03/03 11:46
> あるとさん

コメントありがとうございます。

ご事情があるとは思いましたが、そのようなことだったとは…。
ですが、ちゅんちゃんは今…愛情を注がれて生活することができていますから
十分に幸せだと思います。

どのように育つか…環境が人格成形には大事だと思います。
ちゅんちゃんの将来に幸多きことを願っています^^
(若輩者のお返事ですので、言葉足らずなど配慮に欠けるところがありましたらお許し下さい)
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2014/03/03 07:57
毒になる親のことですよね。
個人的なことですが、息子が結婚した相手の親が典型でした・・・。
気がついていたら結婚は反対したのですが、そのときは「毒親」のことは知りませんでした。
娘ふたりがいて、そのうちのひとりが息子の結婚相手だったわけですが
ふたりとも優秀で素質があったのに、育つ段階で間違いがあったために
私たちが想像もできないような方向にいっていました・・・。
外見が普通だけだっただけに息子にもわからないことだったのでしょう。

ちゅんには8才違いの父親違いの姉がいるのですが
その子も母親と同じようにめちゃくちゃに育っていました。
だから・・・ちゅんをまともに育てるためにはこの親子の連鎖を断ち切るしかなかったのです。
元嫁の母親も離婚させられており(その毒っぷりが原因です)
私たちが息子を離婚させなければ、全て息子の肩にかかってくるところで
生存の危機にまで瀕していたのでした。

結局のところ、元嫁の母親がおおもとの原因とは思いますが
その母親もいったいどんなふうに育ったのか、離れてしまった今となってはどうでもよくなっています。

ちゅんに母親がいないことについては私も時々考えてしまうこともありますが
いないほうがいい親がいることも事実です。
ほんとうは息子を結婚させないのが一番だったとは思いますが
気がつくことができたのは良かったと思っています。

そして、ちゅんをまともに育てることが私たちの努めとも思っています
個人的なことを書いてごめんなさい。
私も書いてスッキリする点があるので、コメント消してくださってけっこうですし
お返事もいただかなくて大丈夫ですよ~。
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2014/03/01 11:44
> ❦♀ショコラஜさん

こちらこそですっ(#^.^#)
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2014/03/01 11:43
◉○◌◍◎●◐◑◒◓◔◕◯◉○◌◍◎●◐◑◒◓◔◕◯◉○◌◍◎●◐◑◒◓◔◕◯◉○◌◍◎●◐◑◒◓◔◕◯◉
コンニチハ...φ(´ω`。) ㋜㋢㋖&お水お届けです☆。◕‿◕。)ノ♡☆,。・:*:・゚
3月もよろしくお願い致します

◉○◌◍◎●◐◑◒◓◔◕◯◉○◌◍◎●◐◑◒◓◔◕◯◉○◌◍◎●◐◑◒◓◔◕◯◉○◌◍◎●◐◑◒◓◔◕◯◉
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2014/02/28 20:13
> さゆたまさん

そうなの?
障害がある子どもさんが多いということ。
育てる自信なんて、最初は私だってなかったもの。
本当にたくさんのことがあって…そしてたくさんの思いや体験
経験があって今に至っている。

今だって自信があります…なんてこと、言える自信はないけれど
経験が不安を支えてくれる。
そういうものなんじゃないかなぁって思うけれども、入り口の時点で
諦めて他人様にゆだねてしまうのね。
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2014/02/28 13:43
私ね、「こうのとりの揺りかご」のシステム
いいと思うんだよね。
ただ、あずけられる子に障害をもった子が多いと言うのは
ゆるせないけど・・・。
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2014/02/28 05:38
> みゆきさん

同じだけの年数が…いえ、それ以上の年数をかけて消化していく必要があるのでしょう。
何かでそういった記事を見た覚があります。
過去には遡れないから、これからの人生で穴埋めしていくしかないのかな…。
一歩一歩行きましょう…か。
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2014/02/27 23:05
子どもをもうけた理由は、自分の場合
「堕ろすお金がなかった」でした。

他人とは違うと子ども心に思っていたのか、余所と違う事を誰にも話す事無く
未消化のまま大人になり、気付いた時にはかなり病んでいました。
今更取り返しの付かない人生、ただ消化するだけですねぇ…。
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2014/02/27 19:54
> みこたん

色々な経験をしているのですね。
また、そこまでのことをされていたとは…頭が下がります。

私が住む地域でもいました。
毒親というよりは、親が知的に少し低い部分があるが故に…という
理由から起きてしまっていた不幸だったのかもしれません。

女の子を筆頭に、下は三兄弟の4人のお子さんがいましたが
生活は荒れていました。
避妊に関する知識もなかったのかな?

一番上の女の子が途中から息子と同じ特別支援学級に転入してきました
クラスがかき回されて…もう、大変でした。
担任の先生は親指導から始めなければならなくて、学級を留守にすることも
度々あったようです(息子を通じて後から知りました)。
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2014/02/27 19:47
> ♪はなとり♪さん

おっしゃる通りだと思います。
子どもは自分から施設の門をたたくことはでいなですものね。
ある程度大きくなって、知識と行動力があれば別なのでしょうが。

でも、親に愛されたい…いつかは愛してくれるという呪縛的な考えから
親を悪者に出来ない子どもは、自分から周囲の人に「助けて…」の
メッセージを出すことすらしないのかも。

そんなことも思いました。
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2014/02/27 19:45
> ❀❤K.逢華✿♡さん

貧困=金銭的なこと
と、一般的には解釈すると思いますが、精神的なことなど
家庭がある数の分だけ、家族の形って違いますよね…実際には。

「家族という名の孤独」ですかぁ。
それが何を差すかは正直わかりませんが…マイナス的なイメージとして伝わってきました。
寂しかったですか?
(質問ではありませんので、お答えいただかなくて大丈夫です)
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2014/02/27 19:41
> ❦♀ショコラஜさん

最近、頻繁にニュースで耳にします。
親による子への虐待。
じゃぁ、なぜ子どもをもうけたのか?
(出来ちゃった結婚は別として)
「生まれて数ヶ月の子どもが泣きやまないから…ついカッとなって殺した」
そんなニュースが後を絶ちませんよね…。

核家族が増え、同居していたら受けられていたかもしれないサポートがなく
経験のない夫婦だけでの子育てからくる不幸な事件という理由もあるかも
しれませんが、そういったことが理由ではない場合のほうが多いのかなぁ。

子どもが昔から苦手だった私は、正直子育てが苦手でした。
今でも『子どもが大好き♪』という訳ではありません。
ですが、我が子には育ててきた情…それ以上のものがあります。
実際、かわいくて仕方がありません。
子育てをしながら親となっていったと言うのでしょうか。
そういうものだと思うんですよね。

悲惨な事件が少しでも減少することを願って止みません。
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2014/02/27 17:23
毒親で思い出しました。
家族3人(両親・子)のホームレスがいて、私はたまに差し入れをしてあげていました
母親はお腹が大きくて、子供を産むとすぐその子は施設に入れられました。
市の方でその家族に生活保護を受けられるようにして、アパートに住めるようになりました。
そして施設に預けていた子(3歳になっていた)を引き取り、家族4人の生活が始まったのですが
父親は働こうともせず、子供を学校や保育園に預けることもせず
子に虐待を繰り返し、食事もさせていなかった。ついに3歳の子は亡くなってしまいました。
殺すくらいなら施設から引き取らなければよかったのに。
親を知らないで育ったんだから、そのまま知らない方がよかったのです。
この家族と関わっていたので、ものすごくこの事件はショックでした。
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2014/02/27 15:36
毒親ほど自分の子供を手元に置きたがります。
施設に預ける決心ができる親はまだ人としての心が残っています。
「自分が育てるより施設のほうがこの子のためになる・・・」と思えるの
ですから。
虐待死した子の親はほとんどが毒親と言っても良いのではないでしょうか・・
アバター
2014/02/27 15:02
こんにちは
記事を読みました

普通って何でしょうね?
私にも今だ分からないですよ

私の場合は、家族と言う名の孤独でしたが
色んな貧困が有ると思います

家族の形も様々なのでね・・・
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2014/02/27 15:01
毒親・・・いますね 確かに・・・・ 

せっかく産まれてきた我が子に?なんでそんな事出来るのか・・
昨年だったか 近くで ゴルフバットで 女の子を殴り殺すという事件があり 
酷い事するものだと思いました・・・;;

私はまだ わからないんですけど 女の子の悲痛が聞こえてきそうで そのアパート前にすると
悲しくなります・・・



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