Nicotto Town



昔は波平お父さんは居たなぁ・・・・。


サザエさんのお父さんの波平お父さんの様な人は
昔は近所に2・3人は居たなぁ・・・。

私の子供時代は遊ぶ時に避けて通った記憶がある。

子供が元気に外で遊べと言っている割に
塀の外で騒ぐと「うるさい!」と怒鳴られた気がした。

今の日本の人は北海道の歴史をよく解ってないと思うが
恐らく網走刑務所のイメージが強いので
北海道の開拓は囚人がやったと言う印象なのだろう。

英会話教室でオーストラリアから来た教師がオーストラリアの歴史を説明する時に
北海道と同じ様に囚人が開拓したと説明していたが誤解も甚だしい。

確かにそう言う部分はあった。
特に厳しい公共事業(線路を作る)とか道を作るとかはそうだっただろうけど、
殆どの最初に住み着いて農地を開拓したのは
元徳川方の侍の家の次男、三男等の家族だった。

「北の零年」を読んで貰えば解るだろうが、格藩ごとに場所を与えられて
屯田兵と言う名を与えられて開拓を勝った官軍の見張りの元に
させられたのである。

つまり元侍の家が意外と北海道には多かったので
結構頑固じじィが私の子供時代には居た。

サザエさんの磯野家も元はお侍だったとか?

で、理屈なんて通らないんだから、
子供時代(小学校低学年)から屁理屈をこねまくっていた私とは水と油で
よその家の女の子で殴るわけにもいかないし、
「あーで、こーで、そーだから、可笑しい(矛盾している)」と
聞きつけては其処の家に「失礼します」と上がり込んで
仁王立ちになっておじいさんと喧嘩するので
私は其処の家に立ち入り禁止になった。

その後に祖母に人の話を聞くときは正座して手を膝にぐーで置いてと
聞かされたので
色々な家におじゃましますと上がり込んで
おじいさんに質問をして回った。

小学校高学年になると行かなくなった。
図書館で自分で調べる事を覚えたのである。

おじいさんは寂しがっていると其の家の家族から聴いたりもした。

高校も過ぎる頃にどこどこの家のおじいさんがなくなったとか言われて
お葬式に行くかい?と親に言われる頃には
顔がうっすらと覚えている程度だった。

唯、私は頑固じじぃでよく怒鳴っているおじいさんも
丁重に質問をすると答えてくれる事を子供ながら知っていた。

そう言うおじいさんは駄々をこねる子には厳しかった。

それが大切なんだと思う。

何故、日本人は其れをしなかったのかと
在日の特権を見て思う。

一番大切な何かを此の国はしてこなかったと思う。





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2014/02/05 19:40
たく様
ほんと、近所のハゲオヤジに怒られましたよ。(^O^)

今はそんな事はなくなったけど、子供達をお爺さん、お婆さん、おじさん、おばさんが
見待っていてくれていると感じられましたね。

あの感覚は懐かしいです。
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2014/02/05 14:29
広場から失礼します~(^O^)
社会の授業でも習いましたよ~
屯田兵(^-^)
昔はおっかないおっちゃんいましたよね(^_^;)
でも知らない人が怒ってくれる・・・
今の世ではあり得ない有り難い事なんだ~って思い出します(^-^)
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2014/02/04 22:14

安奈様
そうなんですよ。
まあ、オーストラリアの歴史の説明だったのですけど、
引け目に感じているらしくって・・・。

それよりもアボリジニ対してやった事やカンガルーをどうやって殺して焼いて食べているかを
考えてから自分達でシーシェパードを何とかしろと言いたいですけど

赤軍と関係があると言われて居る辻本氏を組閣する国では
赤軍が世界でどんな凶悪極悪残虐な犯罪をしてきたかを考えると
人の国の事は言えませんけど。

あれ程日本と言う国が情けなく思った事はないのと世界に対して恥ずかしかったです。
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2014/02/04 22:09
生命体5618様
多分 ○○○は 「おばはん」では無いかと・・・・。(^_^;)

ぽちっ♪をありがとうございました。♥
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2014/02/04 22:08
ADICTS様
糞左翼が自衛隊を「反平和キャンペーン」に利用する前は日本人の北海道民と戦後の農地法で北海道の土地を得た在日朝鮮人で帰化した人たちにとっては「自衛隊様」でした。

理由は大きな自衛隊基地が米軍が北海道から出る条件として道民の要求でも有ったのでありました。

北海道は北方4島からの引き上げ者が居ましたので其の人達から聞いて
現実にソ連兵の残虐さを知って居ました。

糞左翼がどんなに隠しても無視していても、私達は戦慄する其の実体験を聞いていましたから。

白旗を上げても無視だったそうです。何の意味も持たなかったそうです。


次に北海道は広いので其の広さに見合う警察や消防局を作って居たら、
どれくらいの箇所になるのか、経費がかかりすぎます。

それで地方の役所は地方財政の乏しさからも自衛隊を災害救助に念頭に入れています。

土砂崩れで必要な重機と人手と機能性がありますから、
一人でも多くの人を救おうとすると少ない消防隊と警察だけでちまちまと
自衛隊を呼べば助かる命を見殺しにしたら、次の選挙は落ちるだけでなく
その場で吊るし上げになります。

あの~、此処だけの話、ご存知だと思うのですが、
富士の樹海の様な場所は規模を大きくして其処いら中にありますので
山菜採りに行って帰って来ないとなると自衛隊なしでは見つけるのは不可能と言っても良いくらい。

勿論、自衛隊を呼んでも何日かで見つからない時は諦めるより他にないのですが。

マジに自殺志願者じゃなくても、一人旅を気取って道がそれると夏でも人知れず死にます。

二日歩いたら何処かの民家が見えてきたと言うのはラッキーです。

フラフラで発見されるのは、自殺志願者ではなく
本州から行き先も決めずに歩いて一人旅と言う学生が多いです。

今は携帯が有りまして山でも通じるので助かるでしょうけど

車道から奥へ入らないことを勧めます。





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2014/02/04 21:25
今晩は。
>北海道の開拓は囚人が...
いくら網走刑務所の印象が強いからと言って、
そんな想像はしてみた事もありませんでした^^;
そう思う人もいるんですね~。
というか、そのオーストラリアの先生失礼過ぎ。
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2014/02/04 20:46
こんばんわ。今日から暫く、ちょっとだけ忙しくなくなります。 ぽちっ♪

「地震、雷、火事、○○○」の○○○は、今は何でしょうかね~?
ちょっとスレ違いかな~?
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2014/02/04 20:23
ただの新潟県人ですけど
網走刑務所の囚人が過酷どころじゃない道路工事に従事したと知ったのは
旅行で網走を訪れてミュージアムを見てからです

囚人だからってそんな目に合わされたのも非道い気もしますが
その当時は北の大国が攻めてくるかもしれない脅威と
闘わねばならない時代性というものがあったのだろうかなとも思います
生活保護受ける若者てのは、ちょっと強制労働に駆り出すのも手かなと ( ̄ー ̄)ニヤリ

北海道では本土にくらべ自衛隊をリスペクトする気風にも
なんとなく歴史上のなにかを感じざるを得ませんでしたねぇ



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