貧困の連鎖…
- カテゴリ:日記
- 2014/01/09 20:44:14
今、地元紙(下野新聞)で貧困についての連載記事が載っています。
これを毎朝読むのが日課になっている私。
(主人が会社に持って行ってしまう前に急いで読みます)
記事の主人公は家庭の事情で施設で育った30代の女性。
小さい時に
「友達がいっぱい居るところに行こうね」
と、親に手を引かれ施設に連れて行かれ…そこで育ったそうです。
だから『普通の家庭』を知らず、結婚した直後は「自分はちゃんとできているのだろうか」
との不安がとても大きかったそうです。
現在NPO法人でお仕事をされていて、同じく施設で育った方々のサポート的な
ことなど行っているようです。
毎朝記事を読む度に、胸がぎゅっとします。
自分も決して裕福な家庭で育ってきた訳ではありませんが、少なくとも
普通と言われる家庭はわかりますし、頭に思い描くことも出来ます。
だからそれを目指そうとする努力も出来ると思います。
ですが、特殊な環境で育った方が『普通の家庭』と言われるものを
作り上げていこうとした時に、普通ってどんなだろう…これって普通なんだろうか
と、思い…悩むのでしょうね。
うまく表現できないのですが、記事を読む度に切なくなってくるのです。
そうですね…。
育ちのなかで身につけていくことは、人として基本的なことですから
極端に『知らない』とか『経験できなかった』という差は、社会へ出てから
場面場面で苦労することは少なからずあると思います。
知らない…わからない、ということが言えない場合は本人にとっては
相当苦しい思いをもちながら社会に適応していこうとしなければ
なりませんから、私が想像する以上に辛いことなのだと思います。
血の繋がった身内との場合…他人よりもやっかいだということ
分かる気がします。
想像でしかありませんが、そんな気がします。
そこに家庭があったかといわれたら、疑問です。
施設に入ってしまうのも悲しいですが、入らずとも家庭がない家で育った人にしても、
自分が親になるとか家族を持つとか、親が親として、親子の関係が機能していないと、わからないことだらけです。
きょうだいやしまいなんて、軽薄だと他人よりやっかいな関係になってしまう。
一緒に暮らさず、さっさと施設で育ち縁がない方が、良い場合もあるかもと思うほどです。
人それぞれやと思いますが、どちらにしろ辛い心情で育つわけで、なかなか難しい問題かなと思います。
そしてまた、この記憶がやっかいなことに、後の人間関係にあたえる影響も大きいと、私は感じています。
親に教えてもらっていないし、あたえてももらっていないなんて当たり前な事だしなぁ。
そんでも、前を向いて明るく暮らしてる人もたくさんいるしなぁとかも思いますが。
そうでしたか…。
嫌なことを思い出させてしまっていたら、すみません。
深入りはしなくとも…ニコタでほっと出来る瞬間があると嬉しいです^^
着飾っても電子データ、空間が無くなれば無に帰すものですし…。
一応妹はいますが…親のイヤな所を引き継いでいて、「ああ親子だなこの人達」
と、眺めてました。
少しだけ付き合いのあった頃、何かあったら困るので合い鍵を渡していたのですが
勤めに行って留守の間に借りていた物を無断で取りに入られ、全く信用出来なくなりました。
(法的にも窃盗罪なんですよね)
それからはもう親族でも他人でも必要以上に親しくしていないです。
裏切られる事や、突然冷たくされる事などは当たり前になってしまって
それが暴言だとか、悲しい事だとかに気付くまでに時間が掛かるようになり、
心を病んで症状が出るまで我慢してしまうのが一番困ります…。
こんななので…もうかなり取り返しが難しいんじゃないかなぁ、と思って諦めてます。
ニコタはほっとできる場所ですか?
そうなら嬉しいのです…私が言うのもなんですけれど。
お聞きしては申し訳ないと思いつつ…。
ごきょうだいがいらして、そちらで仲の良い付き合いが出来ればまた違いますか?
身内とは言え、みんながみんな仲良くお付き合い出来る場合ではないこともありますが。
血が繋がっているが故にやっかい…ということもありますよね。。。
そうなんですよね、家に帰ってほっと出来るって一番ですよね。
学校でも今で言ういじめに遭い、わたしは独り暮らし始めるまで
居場所がなかったと思いました。
親にはなんの感情もないですねぇ…。
生存はしているらしいですが、会っても顔すら解らないかと^^;
大きな居場所は安らげる場所であってほしいですよね…。
外で嫌なことや辛いことがあっても、家に帰ればほっと出来る。
ほっと出来る場所があるから、またがんばれる…。
子どもに限らず、全ての人がそういう世の中ならいいのだけれど。。。
そういう事がありましたか…。
今どきの言い方で「毒親」という親御さんですね。
ちょっと話がそれますが、親から虐待を受けて育った子どもに
発達障害に似た症状が見られるのだそうです。
以前、講演会で聞いた内容です。
虐待という行いはそれだけ大きなダメージを子どもに与えてしまうんですね。
脳も正常に発達できなくなるようで、虐待を受けて育った子どもの脳みそは
通常の子どもよりも小さいそうです。
身体だけでなく心も大きく傷つく虐待。
極度の貧困と合わせて、回避できるにこしたことはないのですが…。
この記事の主人公の女性は結婚当初、普通の家庭に自分の家庭を
近づけようと努力したようです。
でも「普通の家庭」を知らないので…不安なことだらけ。
夕食のおかずも何品も作って食卓へ。
ある日、ご主人から「カップラーメンが食べたい」と言われて拍子抜けしたそうです。
そして「そんなにがんばらなくてもいいんだよ…」とも言われ
普通を目指して日々頑張る彼女はそこで初めて「がんばらなくてもいいんだ」と思ったと…
そう書いてありました。
私たちが思う「普通の家庭」にはばらつきがあると思いますが、大きく違うことはない
部分もあると思います。
ですが、特殊な家庭で育つことを余儀なくされた子どもは「普通」ということを
見当すら出来ない…ということなのでしょうね。。。
いいのだろうと思います。
たとえそれが始めはお芝居でも
毎日の『大好き』が本当になっていくのだと思います。
「普通の家庭」は「大好きな居場所」だと・・・
普通の家庭・・・受け止め方、考え方で、人それぞれ違うのかもしれません
でも、家族がいつも一緒で、ご飯を一緒に食べて、みんなで話して家族で出掛けて・・・
いやいや、それは理想的な家族かもしれませんね
(ちゃんとできているのだろうか)と考えられるだけでその人は素晴らしいと思います
そういう人こそ、温かい家庭をつくることができるのではないでしょうか
そうですね…。
何と言ったら良いのか。
基盤は重要ですよね…やはり。
人と比べるための意味合いだけではなく。
そういうものがあって…というところがあるような気がします。
自分で立ち上げたブログですが、レスの内容に迷うというか…
難しいです~^^;
以前のブログだったでしょうか…読ませていただいているので
少しだけその部分は存じ上げていました。
何を言えばいいのか、何も言えずにいる自分がいます。
何を言っても上っ面なものになりそうで…言葉にできないでいます。
すみません。
ですが、ほんの少しでもいいから諦めの気持ち以外のものも
心に抱いていてほしいと思います。
諦めと憎しみからは何も生まれないと言われますが…私もそう思います。
何も悪いことをしていないのですから、顔を上げて歩いて下さい…ねっ^^
マシかも知れません。
本当に劣悪な環境で育った人間というのは、それすらも考えが及ばず、
死ぬまで世間からズレた生き方をするでしょうから。
どんな家庭でも大なり小なりの問題が必ずあり、家庭の形というのは人
それぞれなので、他人に迷惑さえかけなければ、どんな形でもアリなの
かも知れませんね・・・。
自分がそこに存在している事に幸せを感じ、家族に必要とされているのを
実感できれば、その家庭はほぼ100%成功してるんじゃないかなー、って
私は考えています。
要は本人次第って事かも・・・。
「家族揃って楽しく食事」とか、解らないまま今に至ってます。
結局家出同然で家を出て、戻りたいと思った事は一度も無いままです。
一般的な「普通」があの家庭には無かったですねぇ…。
今にして思えばいっそ施設に出してもらった方がよかったんだろうなぁ、と思ってます。
子どもは産めても、親になれるかどうかは別物だと思い…
今の自分に経験として絶対足りない・埋めようのない所には
諦めと絶望しかないです。
産まれた事も自分で否定して、きっとこのまま終わるでしょう。