人間はそれぞれ違う価値感を持っている
- カテゴリ:日記
- 2013/12/08 00:29:19
価値感が統一される事は無い。
違っているから「そこに」楽しさがある。
ボクの価値感は「歪んでいる」事をボクは知っている。
それでも「そこから歩く」
そこから歩く道が一番やさしい。
敵を許す。
この言葉を実行するなら・・・
特定秘密保護法を否定する人たちを許す事だ。
どう許すのか?
「許します」と、唱えてみる。
どう許すのか、人間の頭で考えてもわからない。
「許します」
と、三回唱える。
三人の人と争ったからだ。
「許します」
苦しみたい自分を「許します」
不思議と殻が外れる。
苦しみたい自分を「許します」
インスピレーションを信じる。
集合無意識を信じる。
「許します」
やはり、ボクはこの言葉が好きだ。
「許します」
あい
これは思い込みですね。
もし、本当に価値観が統一されることがないのなら、どうして日本人は、現在 まかりなりにも国を保てているのでしょうか。それは、人間の中に共通点が存在している証拠なのです。人間だけではなく、動物も植物も同じように調和されているのが、この世界です。
例えば、りんごが2つあります。1・・・2・・・ と数えて、りんご2つあるとほとんどの人間が、理解できるのです。5までしか、数字がない部族もありますが、2までなら一致するところでしょう。
この地球は1つしかない。これもほとんどの人間が理解できるのです。月も1つしかない。これも理解できそうです。
そうやって、1つ1つを的確に、証明していけば、何が真実で、何が嘘やまやかしなのかが見えてきます。
証明されるものが、多ければ多いほど、それが本物だと理解できるのです。
証拠を出しても、「いや!わたしは信じない!」という人は、それはそのひとの勝手なエゴにしかすぎません。自分こそが正しい、自分の考え、自分の許し、自分の優しさが正しいのだ!と言いながら、世の中を分裂させようとしているにすぎないのです。価値観を一致させないのは、価値観は一致しないという人間がいるからにすぎないのです。世界は1つの流れで一致しているのです。この1つの流れと違う道を選ぶ力を人間だけが持っています。
1は1であるのに、「わたしは、3だ!ひとの勝手だろ!?」というものは、本当の神様にケンカを売っているだけなのです。
3だという人は、現実と違うことをしているのですから、他人を傷つけるわけです。許すと言いながら、3だと言った人を傷つけられたひとは、許しません。3だと言ったひとは許すと言える立場ではなくなるのです。
そのうち結果が分かるといいますが、それで傷つくひとが出たら、どう責任を取るのでしょうか?原発と同じことをしているのです。大丈夫大丈夫と言って、結果的に大丈夫ではなかったのです。何を根拠に、オカルト政党を信じれるのでしょうか。
どれだけ、おなじことを繰り返えし、他人を傷つければいいのでしょうか。
危ない要素があるのなら、自分が嫌われても危ないということのほうが、論理的な考えで本当の優しさなのですね。