Nicotto Town



自分のこと好き?ですか。。


難しい問いですね。

自分のことを言えば、好きな時もあるし、見るのも嫌な時もある、ですね。
人それぞれだと思います。

自分のことがたまらなく嫌いになったら、逃げることもできないし、
心を傷めてしまうんですね。人のせいにして、被害者ぶっても
どこかで、自分を責めて、自分がダメなせいだと分かっています。
なんとなく、わたしにも、いえ、皆さんも覚えがありませんか。

『精神』という映画を観てきました。
こらーる岡山という、心を病んでしまった人が訪れる診療所の、患者さんたちを追いかけたドキュメンタリーです。
顔を出して、実名で語ります。
登場された患者さんのうち、3名に追悼という文字が、最後に現れて
複雑な気持ちになりました。

育児ノイローゼで赤ちゃんを死なせてしまった女性、生活の為に体を売って
いた女性、秀才だったのに、頑張り過ぎてタガがはずれてしまった男性
自分の身の上を語る人も、語らない人もいます。

カメラの前で話す内容が、哲学的であったり、心の中をうまく表現していて
魅力的です。

鬱病はなった人じゃないと分からない。そりゃあ辛いものですよ。
と言った女性は、患者さんたちとの会話の中で

よく頑張った、頭を撫でて、自分を褒めてあげたい

みたいな俳句を詠むんです。
この人は最後に追悼の文字が出た人でした。

診療所の山本先生は高齢(そう見えます)で、年金があるからと経営難ゆえ
給料は月10万しか受け取ってないそうです。診察料金も場合によれば
サービスしてしまうとか。
スタッフも温かそうな人ばかりで、訳のわからない患者さんの電話にも、歩調を合わせて話をしてました。

おまえはダメだ、ダメだと言われ続け、自分もそう思い込んで、追いつめられて生きてきた人ばかりだから、あんたはどうしたいんだ、と、自主性を持つ
ようにしてやってね、まず認めてやらにゃいかん。

山本先生は言われていました。患者さんにも

ほな、あんたはそれをどう思う?まず、自分がどないしたいかやな。

患者さんで詩と写真を披露する男性もいて
とてもいいんです。

苦しみ

僕の煙草はため息です
僕の汗は涙です
苦しみは
いつまで僕と共にいる




母ちゃんが死んで
12年がたった
腹へった
母ちゃん

若い頃のハンサムな写真が出てきて、女性の患者さんが
人間、変われば変るもんよと言って笑い合います。
笑顔は特徴があって、やっぱり胸がザワザワします。

わたしの心も擦りよっていき、「正常」と「異常」の違いは何か?と
感じ始めます。突き詰めれば、みんな少しずつおかしい所を持っています。
境界を分けるのは、薬が必要か、そうでないかかな。

そうしてラストで不条理な行動の人が出てきて、観る者を混乱させ
親近感を持ち始めた感情を突き放すかのようにして、映画は終わります。

詩人の患者さんが言いました。
自分の心の傷を癒そうと思ったら、自分に包帯を巻いても治らんのや
相手に、誰かの傷に巻いてやると癒されるんよ。

人の心は不思議ですね。

自分が好きだと、生涯裏切らない最強の友になりますが、
嫌いだと最大の敵ですね。逃げることはできないから。

いろんなことがあって、思い通りには生きてはいけないもの。
人はみんな、自分がどうしようもないと思うことに、ぶち当たります。
その時どうするか、諦めるのか、突き詰めるのか、
その時にならないと分かりません。少なくともわたしは。

いろいろと考えてしまいました。

案外もろく、弱い心、情けない心を覗いてみて
おい、元気かって
手を差し伸べて、慰めてやらないといけませんね。
ほら、ここにいるよ。わたし。

残暑お見舞いです。
皆さま、自分を大切にしてあげてね。

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2009/09/02 21:00
西の魔女さん★コメントありがとうございます。

素敵な一節ですね。
>自分のことを たいせつにして 誰かのことを そっと 思うみたいに

愛は与えれば返ってくる、キャッチボールが理想形ですが、思うようにいかぬものです。

交通事故で母が延べ入院日数が一年くらいでした。
時折、違う世界に行きつつある老いた母を看ている親族さんの姿を目にしました。
様々な形がありました。
ニコッとのお友だちにも、いらっしゃるんです。
大変だと思います。本当に…。

親が老いるとは、哀しいものです。
すべて老いに向かうのといのに、どこかで避けて考えてしまいます。
自分の老いと直結しているからでしょうか。

尽きぬ愛はないと言いたいけれど、やはり疲れには勝てません。

本当に小さな子ども時期以外、人と人の間には適度な距離感が必要だと思います。
特に成人した親と子に関しては圧倒的に距離が必要です。
親子といえ別の人間ですから。いやむしろ、それ以上にややこしいものです。遠慮がないから。
むしろ、他人との方が距離感が保たれ、関係がうまくいっているケースも多いものです。

ベストは、たぶん、ないと、わたしには思えるのです。自分も含めて…。
だから、それぞれ各々の決断の範疇のことです。

でも、個人的にはこう思います。
出来なくて申し訳ないという、罪悪感を少し持ったままの方がいいかもしれない。
介護に終わりもなく、尽くしても、尽くしても、当たり前にしかなりません。
他人が褒めてくれても、理解してくれても、通りすがりでしかありません。
そして自身が疲れ果て、摩耗し、傷ついて、倒れたり、あるいは一時、憎んだり…。
どこかで線を引き、自分の人生に戻ること。
その至りなさや、申し訳ない強い思いゆえ、優しくなれます。
愛された記憶も尊いものですが、愛した記憶も同じくらい大切なものです。
悔いはいずれにしても残るもののような気がします。
心は手強いから。悔いと一緒に愛が残れば、救いにはなるかもしれません。
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2009/09/01 14:50
初コメにお邪魔します。

ベタな言葉ですが好きなので、しばらく「つぶやき」に書き込んでいました。
小田和正の「たしかなこと」の一節・・・
♪自分のこと 大切にして 誰かのこと そっと 思うみたいに♪

情けないことの繰り返しなんですが、人は愛を注がれなければ心が涸れて
人ではなくなってしまいますからね・・・

今、求め続け奪い続けている母も
そろそろ、違う世界との境界を彷徨う顔を見せ始めました。
これからが、また大変なのはわかっています。
それでも、やはり愛して育ててくれた人に
少しでも、こちらの世界に多く踏みとどまってもらうために
愛を注ぎ続けていかなければなりません。

義務感なんかで出来ることではないんです。

だから、やはり自分も愛を浴びていなければ耐えられないかもしれませんね。
「自分が好き」という自己完結の愛でも。
それは、心が涸れないためには不可欠のことなのかもしれません。
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2009/08/29 04:03
yukinkoさん★コメントありがとうございます。

父は自分の母、わたしには祖母になりますが、溺愛されて育った人でした。(のちに叔母から聞いた話)
死の床まで手放さなかったのはその人の写真でした。早く亡くなったのを責めるように破られ、また、丁寧にセロテープで貼り合わせていました。
昔の長男の典型で、何でも特別でした。社会に出ると特別扱いはされず、
生きにくい人生を送ったと思います。

「お母さん、あなたが甘やかして、甘やかしてこんなにしてしまった兄さんを、あなたのもとにお返ししますから、どうぞ抱きとめてやってください」
通夜の席で叔母はそう言って泣きました。
わたしはといえば、泣きもせず、父にああされた、こうされた、と叔母に憤っていました。
父を見た最後は、小さな居間で、酒に酔い潰れて眠っている姿でした。
心は別れた少女の頃に引き戻されていました。
誰にも言ったことがありませんでした。溢れだしてくるのです。
「死んだのだから、もう許しておあげなさい」と言われました。

心の重い蓋を開けると、一番上に怒りがありました。そのずっと底に、父を助けたいと願っていた愛が隠されていました。どこかで父の抱える痛みを感じ取っていたのです。
心の糸は歳月と共にもつれていきます。糸をほどきながら、辿りつくまで思わぬ時間がかかり、悩み、格闘しました。

愛し方、愛の伝わり方、共に難しいことがありますね。

幼少期の辛い体験の傷はずっとそこにあり、消えることはないと思います。
むしろ、歳月を重ねるほど痛みだす場合もあるでしょうね。
そこにあることに気づくことや、どうしようもないこともあると納得するほかありません。

自分の力で生きていく歳になれば、それを言いわけにしてはいけないのです。
そして、自分自身が幸せになる努力をすることです。
少なくとも不幸にならない。

わたしには、十分に悩む余裕がありました。現実が大変な時は、目の前で手いっぱいですから。
苦労をたくさんしたからと言って、人は大人になるものではありません。
親から学んだことです。
苦労を苦労のまま放置せず、学びとって手放してやる、大変ですがその気持ちを忘れずいたい
親子とは、葛藤の連続ですね。エラソウなこと言いました。<(_ _)>
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2009/08/28 00:48
心のこもったレスを、大変ありがたく思います。

そうですね、血縁があっても、不公平があったり、疲れることも多いし、私もたくさん思春期から悩んできたほうだと思うのですが、実母実父というのは、「無償の愛」は注げなくても、何かしらの特別な思いを、わが子には感じてる人が大半だと思います、個人的意見ですけどね。「無償の愛」とはなんでしょうね?例えば、私は、今子供が一人しかいないので、究極の選択として、私の命と息子の命のどちらかしか選べないとなれば、私は迷わず息子の命を選ぶけど、それが=無償の愛でもないかと思います。

虐待を含め、親子に全ては連鎖してくというデータがあります。ご存知かもしれませんが「インプリンティング」というものです。でも、それを断ち切る人もいるし、そういう人間でありたいと思います。

親が子を宿し、まぁ、それなりの時期になるまで衣食住を与えてもらっただけでも、私はありがたいと思わないといけないと思っています。私も、たくさん、父母や妹に言いたい事はあるのですが、その次元で私が語っても、堂々巡りする
だけだと思うのです。

母は、父とのトラブルで夜にしょっちゅう家を空け、不安で泣く妹を励ました私の子供時代を知らないか、忘れてる。父は、ほとんど、朝にならないと帰ってこなかったわりに、えらそうにしてた。

でも、私はもう30代後半です。ちょっと幼稚な父母、妹すべて、私の血縁ですから、大人として、過去の事は水に流して、困ったら手を差し伸べようと思います。差し伸べられる範囲でね。

それでも、私は、今でも、妹の事を心から案じています。
「父は嫌いですが、愛していました」という告白は、とっても分かる気持ちでいます。

私より、ずっと厳しい血縁関係で生きてこられた手毬さんは、思春期に爆発できずに、今まで胸にマグマをしまってこられたのかもしれないと感じました。

私は、最低の親を持ったと思春期に感じて家を出たけれど、今になれば、親も大人とはいえ、未熟やら短所のある人間であったのだと思います。

文脈も、言いたいことも、まとまりがなくて、すみません・・・。
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2009/08/26 22:21
yukinkoさん★コメントありがとうございます。

幼少期、特に親との関係は、自分の核を作る上で重要ですね。
yukinkoさんは早い時期に自立されたのですね。だからこそ、お母様は愚痴を言う相手に
妹さんよりもyukinkoさんを選ばれたのだと思います。娘と言うより一人前の人間として
どこかで認めている証拠かもしれません。まぁ、不公平な話ですが、妹さんはまだ
自立していない子どもとして、存在しているような気がします。
これについては、当人同士は気付いていませんが。

わたしは血縁関係と縁が薄いのです。両親は他界してます。現在の母は養母です。
父の婚外子ですし、父や実母には子どももいます。会ったことがない兄弟がいるわけです。
父は弱く、壊れた部分がある人でした。働かず母に暴力をふるい、止めるのがわたしの役割という
感じの幼少期でした。父と別れたのは暴力が悪化したからです。

だから親子関係については、散々考え続けています。
子どもの力で家庭環境は変えることはできません。
親が先にグレていたので、分かって欲しいとグレることはできませんでした。
できれば、父を助けたかったのかもしれません。

父は嫌いですが、愛していました。実母は記憶が薄いのです。
どんな人か情報が少ないので考えないことにしていました。
それでも、実母が死んだ病と同じものになり(一応完治)
自分のルーツというものを、思わずにはいられなくなりました。

憶測ですが、両親ともわたしを愛してはいたでしょう。たぶん。
哀しいことですが、一番ではなかっただけだです。

無償の愛とは、自分よりも相手を大切だと思う心です。
それが、一度でも、はっきりとした形で感じられれば、人は十分に生きていく力を
得ることができると、わたしは思います。

10年くらい前に原田美恵子さんが主演した『愛を乞う人』という映画がありました。
母親に凄まじいDVを受けながらも、愛を求めていた娘の話です。
痛い映画でした。

子どもは親に愛を求めます。本能のようなものです。
これは死ぬまで変わることがないのではないか、そう思います。

大人になるにつれ、自分のどうしようなさに気付き
一人の人間としての親が辿った人生の哀しみを、想像するようになりました。
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2009/08/26 17:56
招き猫さん★コメントありがとうございます。

そうですか。それは日々、気を遣うお仕事ですね。

幸せはよく似ているけれど、不幸は個性的と、よく言います。
どのような不幸で、病に陥ってしまったのか、人ぞれぞれ、治癒する方法もきっかけの
また、千差万別なのでしょうね。
信頼を失っている人から信頼を引き出すのは、本当に大変だと思います。

映画のシーンには、ストレスから自分の赤ちゃんの口を塞ぎ、死なせてしまった会話でてきます。
深い後悔は語られますが、たんたんと事実を告げる顔の無表情さ。
泣きやまない赤ちゃんの姿が、わたしの中に浮かんできます。

あぁ…闇だな。闇がある…。

実際に目の前で話されたら、わたしはどう反応していいか分からなくなり
ただ、俯くだけだろうと思っていました。

以心伝心ですね。
好意を持つ者同士は一緒にいて楽しいし、反対は、すごく気まずい。
人生も、そういう部分はありますね。
奥様の明るさは、招き猫さんにとってかけがえのない宝物だったんですね。
お別れするにはあまりにも早すぎましたけど…。

今はとてもお辛いでしょうが、もう少し時が経てば、
奥様と過ごされた楽しい時間を、たくさん思いだされるようになるのでは、と。

愛し愛された時間の記憶は、生きていくゆえでの大きな支えです。
悲しみや痛みは、一時、大きく心を揺るがしますが、
人は、たぶん、生きている限り明るさや楽しみ、幸せになることを求めています。
楽しい処に寄りたくなります。
闘病生活のずっと前の、奥様との楽しい時間に、招き猫さんはきっと還っていけると
わたしは信じています。
愛があるからね。

人は悲しみだけで繋がると、会うのが嫌になります。
楽しみで繋がると、また会いたくなる。←よく、いろんなとこで書いてますが^^;
会って、笑いあって、あの時は楽しかったと語り合いたくなるものです。

壊れてしまった関係のまま別れてしまった夫婦は、哀しいものです。
わたしの両親もそうでした。
知人も何人かいます。かける言葉がありません。死別の場合、背負うものは肩代わりできないから。

どうぞ、悲しみに捕まり過ぎないでくださいね。
息子さんと、これから、たくさん楽しいことをしなくちゃいけないんだから。

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2009/08/23 22:51
皆さんのコメと黒猫手毬さんのレスを読んでいて、なんとなく、勝手に親近感を持ってしまいました。

私は、18歳で家を出ています。死のうと考えた日があります。
両親は揃っていますが、今でも何かと面倒な事が多く、(「もう、死にたい」と母から早朝に電話があるとかね)子連れで実家に行く日もあります。子連れでしか動けない私に、「男の子はじっとしてなくてしんどい」なんて言われると、だったら子供のいない妹に困った時は連絡してよ!って突っ込みたくなるんですが、妹は、「一切、両親の面倒はみない」と言い切って、友達の結婚式がある時などに、ホテルのように実家を使うだけなのです。
留学まで親のお金でさせてもらった妹が、そんな大人に育ってしまった事も悲しいです。

完全に個人的なグチですね。失礼しました。

無償の愛って、なんでしょうね?これもまた、形がなく、親も子も一人の人間であるがゆえ、注ぎ方、捉え方がずれれば、悲しいですね。

「自分の事が好きな人は大丈夫」とのレスには共感です^^好きと無理に思い込もうとしている人は危険ですが・・。

一度コメしたあと、境界線について、考えてみたんです。薬が必要かでなく、私の思う境界線はなんなのかと。
私は、「日常生活ができないかできるか」が境界ではないかと感じます。職場に理由があるなら、休養したあと、転職するか、できないか。買い物に行くのもしんどいのなら、体調のいい日にまとめ買いして生活を保とうとしているか、などです。

タイトルは「精神」ですね。DVDには、なりそうにないですね・・・・。いつかDVDになるか、深夜のテレビ放送になるといいです。
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2009/08/23 17:43
私もそういう方を相手にしなければならない仕事をしています。
今まで全ての人に否定されてきた人や、誰も話をまともに聞いてもらえない人。
人が聞こえない声が聞こえてしまう、そして自分が聞いた事しか信じられなくなる。
そういう方から信頼を得るには、ひとまず全てを肯定して聞いてあげることしかないんです。
信頼を得られた上で、いかに的確なアドバイスやカウンセリングができるか・・・。
非常に難しい問題です。

しかしながら、病気を克服しようと必死になっている方もいれば、何事もすぐに病気のせいにしている方もいるようです。
私は医師ではないので、そう感じてしまうのかもしれませんけど・・・。
どうしても味方になってあげられない方もいるんですよねぇ。

妻がよく言っていたものです。

一番大切なのは自分で、その次に大切なのが自分にとって一番大切な人。
何故なら、自分が幸せでなければ自分の一番大切な人が幸せであるはずがないから。

自分の事を好きになる事が出来ない人のうちのひとりである私は、彼女にどんなに勇気付けられたことでしょうか。
まだ自分をとことん大好きになれない私ですが、私を慕う小さな命のためにもがんばらなきゃ。
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2009/08/23 02:13
もこもこさん★コメントありがとうございます。

生きてる限りはきっと、いえ、必ず波があると思います。

前向きな性格のわたしですが、一度だけ、十代の頃、死にたいと思ったことがあります。
まぁ、それもいい加減で、取りあえず、今日を生きてから、どうしてもダメだったら
死ぬこともありか、なんですが^^;

その時、神社の境内で一羽の美しい白い鳩を見てました。
特別な感じしました。
灰色の鳩達の真ん中にいて、守られているようでした。
見捨てられた気持ちを抱いていたわたしは
あの鳩になりたいなぁと
羨ましく思ったのです。

近づくと、驚いた鳩が一斉に飛び上がり始めました。
バタバタ…。バタ。
最後に残ったのは白い鳩でした。
白い鳩は片足でした。

優雅に見えても
みんな、それぞれいろんなことを抱え生きている
最後に頼るのは自分の力しかない
鳩に教えられた一瞬でした。

それからいろいろあって、家を出ることになりました。
学校も休んで、いわば行方不明状態。
父が酷い状態だったので仕方なかったんです。

わたしは幼い頃から、特に人に対して期待を持たないように
自分を訓練してきた節があります。何もなかったから、何かに頼り
裏切られると、耐えていけない気がしていたから、先に予防線を張ったのですね。

友だちに軽い気持ちで電話すると
気丈な彼女が電話口で泣きだしたのです。
思いもよらぬことで、心に染みました。

学校なんて行かなくてもいいや、なんて思い始めていました。
ちゃんとしなくちゃいけない。
わたしは学校に、少し大変ですが戻りました。
彼女の涙がなければ、わたしの人生は大きく変わっていでしょうね。

思い返せば、誰かに助けられてます。
もう少し力がつけば、
やっぱり努力してね、誰かに、社会に少しは役立つ人間になれればなぁと
思ったりします。

明日が見えない日ほど、夢やら希望など、霞みたいなものですが
引き寄せて、忘れないようにしないといけない
そんな気がします。

もこちゃんも、今はお休み中なだけ。
また時が来たら、前に歩んで行けるように思えます。
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2009/08/23 01:42
阿衣さん★コメントありがとうございます。

人の心が何をきっかけに壊れていくのか
再生は可能なのか、
寛容な社会であるべきなのに
わたしたちは見ようとしていないのか

そして、わたし自身はどうなのか
本当にいろいろと考えさせられました。

心っていうものは、人それぞれですが
案外、壊れやすいものかもしれません。
たまたま、大丈夫なだけ。
人の痛みに鈍感になった時は
自分の痛みにも気付かないものかもしれませんね。

それは、人を大事にすることは
自分を大事にすることに繋がっていくのかもしれません。

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2009/08/23 01:34
♬ぢゅんぢゅん♬さん★コメントありがとうございます。

本音と建前ですか。。

わたしはぢゅんぢゅんがダメ人間なんて思えないけどな…。

いろんなことがあったんですね。
立ち止まったり、躓いたり、休んだりすることも
やっぱり意味があると思うんです。

ダメだと思う心があるなら、きっと何かを変えたいという気持ちの表れなんですね。
その気持ちを大事にして、ゆっくりと何かに向かっていく
絶対に可能ですよ。
だから、まだまだ自分を諦めないでね。

追伸「湖のほとり」でについて
遠くまで観に行かせちゃってごめんなさい。

友だち数人も分かりづらい所があると言ってました。
わたしは勝手に自分の思いを当てはめてしまったところがあります^^;

ラストは、16歳の少女がそこまで考えることができるか、という疑問があります。

わたしの解釈としては、人は記憶の中に生きる、という点でしょうか。

警部の奥さんは記憶を捨てますが、夫である警部と娘さんは、彼女との時間を覚えていて
そこには彼女への深い愛があります。愛は求めるものではなくて、赦しでもあるんですね。

あなたが忘れても、わたしが覚えてる。

少女と男の子の父親の間に何があったのか、正確なことは語られませんでした。
事故というか、見殺しにしてしまうまで疲れ果てた夫婦にとって、息子は忘れ去りたい存在
でも、少女は決して忘れないと決めたんです。
たぶん、男の子のことを一生胸に抱いて生きるつもりだったと思います。
だから、墓石の天使を大事にしてたんですね。

ところが死が思いのほか彼女に早く訪れることとなりました。彼女は男の子が忘れ去られることが
あまりに悲しかった。だから、必死に覚えておいてと告げたのか、罪を思い出させたのか
そこは、曖昧です。ただ、息子の父は辛かった。発作的か、どうかも分からないけど、
少女を手にかけて初めて、本当の犯罪になった。

少女も余命僅かでなければ、抵抗したでしょう。抵抗しなかったのは胸に抱いた男の子の記憶
父親として、罪を償うチャンスを得、そこまで障害のある息子を愛してくれた感謝の想いも
胸を過り、遺体をあのような形にした。

人は生きて、愛した記憶を、少しでも覚えておいて欲しい
そんな願いが感じられました

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2009/08/23 01:04
小チゲさん★コメントありがとうございます。

自分を好きでいることは、日々精進ですね。

欠点のない人はいませんもんね。
欠点をうまくカバーして、良い方向に持っていけば
長所に早変わりするんです。紙一重ですね。

自分を甘やかさず、大切にして頑張ってね。
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2009/08/23 00:06
カルカンさん★コメントありがとうございます。

人と人が理解し合える、本当にそうなれば、素敵で
助け合うことができます。
何もできなくても、心がすこしだけ軽くなりますね。
それは、根本的に人は孤独だからでしょうね。
現実には、時間の流れが目まぐるしくて
人を思いやるゆとりを失って現状があります。
上手く生きることが、良く生きることと思われがちです。
人それぞの歩みを大切にする
現代ではそれがとっても困難な時があります。
それは残念なことですね。

そして、辛い時ほど、自分を手放さないように
気をつけなくてはなりません。
これも、なかなか大変ですが…。
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2009/08/22 23:54
南の島のヒロさん★コメントありがとうございます。

たぶん、長い人生を頑張って生きてこられたヒロさん^^;
(亀吉さんがそう言うので、ごめんなさい)
豊富な人生経験の英知を、対等にお話してくださるのは
とてもありがたいことだと、思っております。

本当に、若い頃は自分の生き方に自問自答しますね。
自分は自分でしかあり得ないし、ヒロさんのおっしゃる通りだと
思います。

人生はある種の自己満足なんでしょうね。
「志」というものがあって
若い頃は苦しんでいても、必ず待っていてくれて、近くにあった気がします。
歳を重ねるごとに、忘れるな、忘れるなと叱咤することが多くなりました。

本当に、たとえ届かなくても、歩みをやめないように
努力せねばなりませんね。

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2009/08/22 23:29
ジュリアさん★コメントありがとうございます。

そうですね。自分が好きか嫌いかなんて、
改めて考える、なんてことは、あまりないかもしれません。
人生を変える出来事などに遭遇した時
自分の対処によって、思うことかもしれませんね。

わたしは欠点と長所は裏表なので、欠点をなくすと
長所にも影響を与えるのではないかと、思っています。

自分っていうものは、分かっているようで、分からないものです。
考え方も一方方向です。それに気づかせてくれるのが
他者なんですね。いろんな人の言葉や痛みに耳を傾けてみる
人の心に寄り添うことで、みんな頑張って生きているんだなぁ
共感ですね。
その共感の仲間に自分も入れること気づく。
孤独からのささやかな脱出ですね。
そこに、癒しの糸口があるのかもしれませんね。

わたしもみなさんのコメントにいろいろと
考えさせられます。
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2009/08/22 23:13
たいさん★コメントありがとうございます。

少し頑なな少年が、たいさんの中に棲んでいる。
わたしはそんな気がしています。気に障ったらごめんね^^;

性差を取り上げるのは、嫌なんだけど、やっぱりある気がします。
男性の方が、社会と自分との折り合いの付け方に苦慮する度合いが強い
その分、苦しむのかなぁと、おぼろげながら感じます。

自分はどう在るべきか、どう生きていくか
すごくまじめに悩む人なんですね。
ほとんどの人は手探り状態で、それに折り合いをつけている
そんな部分があると思います。

たいさんはまだまだ、いろんなことの途上にある人だと
思っています。
今回の資格も頑張ってくださいね。
コツコツ積み重ねる努力は、いつか何かに繋がっていく、それは確かです^^
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2009/08/22 20:40
いろいろ考えさせられそうな映画ですね…。
わたしは過去にうつだったことがあるので
この映画を見るのはとても勇気がいるかもしれません。

ただ…当時の記憶があいまいなくらいにしんどかったのに、
なんとか乗り越えて今があると思うと、まわりの人の支えって大きいなぁって
想うのですね…。

自分を好きな日も嫌いな日もあります。
それはたぶん雨の日や曇の日や晴れの日があって、
雨のあとにかかる虹に希望を見出したり、降るような星空に流れる星のように
奇蹟を信じたりするようなものなのかもな、と思うのです。
人生にも自分にも波があるってことなのかな…みたいな…。
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2009/08/22 14:56
KINACOさん★コメントありがとうございます。

実はね、自分を好きだって言える人は心配いらないんです。
大変な状況であっても、たぶん、大丈夫だろうなぁと最終的には
思えますから。
頑張り過ぎるということがあり、無理をして体を壊すなんてことは
要注意なんですが^^;

自分を好きになれないには、それぞれいろんな問題があると思います。

その中でも深刻なのは親との関係において
否定された場合かもしれませんね。
一概には言えませんが。
わたしにも、重くはありませんが、これがあります。
ニコッとにも多数おられます。

痛みは人を惹きつける魔力も持ってるんです。
何とかしてあげたい。わたしもすぐにそう思うクチなので、困ったもんです。
生半可だとね、相手も自分も打撃です。リアルでは特にね。

子どものうちなら、愛情を注ぎ倒すことで
可能な部分って多いと思うんです。精神医学上もそうだしね。

ただ、傷を持って大人になった場合は大変です。
無償の愛は、たぶん出会う機会が非常に稀になります。
基本的に、無償の愛は親しか持ち無いものだし、親との関係は切りたくても
切れないものですから。

大人の場合は、最終的には自分の力で立ち直らないと
無理なんですね。残念ながら。
人の力をあてにする場合は、常に一番を無意識に求めているようです。
大人同士だと、一時的には可能でも、続かず、苦しくなるでしょう。

一番の方法は、誰かに無償の愛を持つことなんだと思います。
人に求めず、自分の中に愛を見つけること。
でも、親から愛を教えてもらわなかったから、愛がどんなものか知らないことが多いんですね。
とても難しい。愛することの副産物は傷つくことだから
ボロボロになることだってあります。ボロボロになって心は救われるなんて
Mの世界ですなぁ。人生ってムゴイ。。

お前なんかいらないと言われて育った子が、自分の中に愛を見つけるのは
愛されて育った人よりも何十倍も大変だと思うんです。
でもね、わたしは言いたいの。

命はね、親の為だけに生まれてくるのものじゃないよ。
生命は、ただ、この世界に必要だから生まれてくるんだよ。
お願いだから、いろんなことを諦めないでね、

今のところ、そんなことしか言えないのが、ツライ。
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2009/08/22 14:26
歌穂さん★コメントありがとうございます。

一つの個性だと思うことは素敵ですね。
社会で多くの人がそう思うっていれば、受け入れて孤立せず
生きていく道が可能になります。

映画を観ていて、確かにおかしいことを言う場面もありますが
大半は哀しみが潜んだ言葉なんです。

患者さんの多くは普通の世界への隔たりを感じていて
その人自身にもよるのか、社会がやはりカーテンをしているのか
生きにくさ、というものが垣間見えるように思えました。

自分らしく生きる、自分を見失わないように
がんばりたいですね^^
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2009/08/22 14:17
さきもりさん★こめんとありがとうございます。

生きていくって迷路みたいなものですね。
はっきりと目標や道が見えている時もありますが
何かのきっかけで、
自分の立ち位置や、戻るはずの地図を失くしてしまい
迷子になってしまう、そんな気分になることが
わたしにもあります。

眠りは一つの自己治癒と言われるので
それができないと、体も疲れるし、本当に大変だと思います。
自分の心というのもは、自分のものでありながら
時に厄介な謀反を企て、自由になりませんね。
なだめすかしても、いうことを聞かないことの方が多いかなぁ
わたしの場合ですが…。

どうぞ、ご無理なさらないで、ゆっくりと
迷路から抜け出す道を諦めないでくださいね。
そして、緩やかで優しい眠りがさきもりさんに訪れることを願っています。
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2009/08/22 14:02
yukinkoさん★コメントありがとうございます。

わたしは子どもがいないので、なんとも言えないのですが
友だちが、「自分の嫌なとこが似てるの。鏡みたい」と言います。
似ているところに苛立ち、思わず叱ってしまい、自己嫌悪するのだとか。

人を育てるのは大変な作業だと思っています。

薬がどのような位置づけにあるのか、医療に従事されておられれば
また、異なる視点があるのでしょうね。

映画の題名は『精神』なんです。
診療所がこらーる岡山、
監督が想田 和広
映画祭でも賞を受賞しています。もしかしたら、DVDになるかな。
ドキュメンタリーは難しいかなぁ。ぜひ観て戴いて、感想をお聞きしたいものです。
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2009/08/22 13:53
ぷっちょ会長さん★コメントありがとうございます。

たいへんな思いをされたんですね。
大事に至らなくて本当によかったです。

健康を損なうことは、堪えますね。心も一緒に沈んでいきます。
素直になれて、誰かを受けれ入れることができたのは
常々愛情があったんですね。

ぷっちょ会長さんのブログの文章にも
愛情があふれています。

愛し、愛されることは、人生で大きな救いであり
生きる糧でもありますね。
愛することは、助けることもそうですが
受け入れることも大切だと思います。
でも、これも、案外、難しいものだったりもします。
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2009/08/22 13:42
アッシュさん★コメントありがとうございます。

わたしも時々思いますよ^^;
ちょっと病んでるなぁって。
それが長時間続くと、危ないのかもしれませんね。
心はくるくると変化しますからね。それと、なんとかしようと働きだすので
自分で治癒する方向になっているのかな。

境界線は本当にあやふやです。
あまり評判の良くない心療内科は薬をすぐに処方してくれるそうですね。
薬が悪影響を及ぼすこともあるとかで、
心というものは、不可解です。自分のものなのにね。思い通りにならない点においては…。
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2009/08/22 13:36
ルルさん★コメントありがとうございます。

そうだね。難しい問いをしちゃいました^^;

ルルちゃんと似ているところもあるなぁと、時々思います。
わたしよりもずっと、ルルちゃんの方が優しいし、聡明だけれどね^^

すごく頑張るのがルルちゃん。いつもね、家族の中で頑張ってきたんだと思います。
それで乗り切れて、自信がつくし、がんばると成果もついてくるしね
これは、病みつきになる^^;というか、頑張り癖がついちゃう。
闘争心もね。

でも、いつも心配なの。
人には、これもそれぞれだけれど、限界点があると思います。
そこに到達するまで気づかないものです。

笑いは人生に不可欠だけれど
泣くことも、大人になればかなり重要です。

本当に悲しい時に泣くことは、心を開放してくれます。
わたしは泣くことができなかった経験から
そう思い知りました。
たぶん、心が硬直するのね。

勝ち続けると、うまく負けることができなくなる気がするの。
実は、うまく負ける、ってことも
時には、たくさんのことを教えてくれます。

わたしは頑張り過ぎて、どうしてできないんだぁって
わたしがこんなにしてるのに、って
人を責める感情に行きついていた時期もありました。
それで解決したことが多かったんだけど、ネ^^;

人に頼らない性格なので、無理をしちゃったんですね。

ルルちゃん、時々は、自分を甘やかしてね。

わたしは自分を好きかって、
わりと好き、でも、あやふやな部分もあるね。
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2009/08/22 13:13
ゆみさん★コメントありとうございます。

年々、自分の至らないところは分かってくるものですね。
それを補って、励ましてくれる友だちがいるは
ゆみさんの人徳ではないでしょうか。
完璧な人はいないと、わたしは思っています。
みんなどこかしら欠けている。
だから、どんなに強いと思っていても、強くなったとしても
人は独りでは生きていけないんですね。

それをどう表現し、受け止めてくれる人がいるか、
そこが、人生を大きく分けていく気がします。コメントを違反申告する
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2009/08/21 03:14
本当に考えさせられる内容です

他人を認めること
寛容になれること

自分自身から目を背けていたら
デッドラインさえも見落としてしまうかもしれない

そのデッドラインを踏み越えた先にあるものが
他人を傷つける行為をとるか
自分自身を傷つける行為になるのか

どちらにせよ越えないためにも
自分を大切にしたいですね


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2009/08/20 22:15
対面上大好きと言う事にしています。。。


 でも実際は、ホントに大っ嫌いです!!こんなダメ人間いないって思っていますモン・・・
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2009/08/20 02:09
大好きです自分。キライな部分はたくさんあるけども、最終的に大好きです。
もっと好きになれるよう日々勉強の毎日ですわ♪
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2009/08/19 22:01
KINACOさん
お待ちしております^^なんて
また、順次コメントさせていただきます。

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2009/08/19 21:59
Ashiさん★コメントありがとうございます。

初めまして^^
訪問ありがとうございます。過分なお言葉、恐縮です^^;
褒められることに慣れない性質なので、読み捨てにしてくださいね。

患者さんたちの実態は、カーテンの向こう側みたいに見えず、タブー化されていることへの
危機感と好奇心。
観察し、悩めるその人たち自身のじかの声を聞くことによって、何かしら変わり
考えることができるのではないか、というのが映画の趣旨のようです。

患者さんの多くは自己否定の世界に入り、死ぬことばかりを考えるようになっています。
確かに痛ましい出来事がありましたが、すべてがそこに陥るわけでもありません。
何故、そうなってしまったのか、危うさが、患者さん自身にもわからないようです。

患者さんの一人がとても説得力あり口調で言います。

確かにわしはおかしい。それを横に置いておいて
普通だという人をよく見てみると、なんか、みんな、ちょっとずつ、おかしい。
正常な人なんておらんわけです。

自分のことに思いめぐらせ、そうだなぁと、苦笑いします。

人のおかしさや、奇妙さ、不思議さを、敵視せず、ある程度異質なものも共存できる社会が
健全なのですね。もともと、人の心とは不可解な部分があるのですから。
そんなことを考えさせます。

患者さんの心を助けるのは、やっぱり最終的に自分、自分をどこかで認めてやること
そこが、立ち直る手立てのようです。

患者さんたちの考えをどれだけ支えていけるか、大事にできるか
それが山本先生のテーマだそうです。

自分を大切にしてあげんといかんよね。
しみじみと患者さんが言います。
もう、自分を抱きしめてやる力がないんですね。
切ないシーンでした。

歳月を重ねるほど、自分の思いあがりを知ることも多くなります。
その分、人の痛みも分かるようになってきます。
若さを失っていくのは寂しいですが、
分かることが増えていくことも実感できますね。

人は死ぬまで、諦めなければ成長していけるものだ
そう思いたいですね。

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2009/08/19 21:52
お邪魔します<(_ _)>

 どうしたいんだ。という自主性を持つように
 する治療法^^ 
 きちんとした周りの理解があるからこそでき
 ることですね^^
 そこで、野次が入ったり、理由も告げられず
 否定されていては「ああやっぱり。」と消極的
 に、前に進めなくなり、さらに、自主性を持て
 といわれても、混乱するだけですものね^^
 相手に巻いてあげる包帯
 相手に必要とされている、自分でも相手の役
 に立てるということは、お互いが、お互いに思え
 大切なことなんでしょうね^^
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2009/08/19 20:37
ワテは、自分が好きです。 嫌いになったって、変えられない自分です。

ここに書かれたようなことも、青春時代に散々自問自答しましたわ。

ほんで、何があっても自分が自分から逃げられないことを知って、全てを受け入れて山と谷を一杯経験して来ましたわ。 今も、それの続きをやってますわ。

たった一度の人生ですもん、悔いの無いように生きたいですもんね。
例え、自分の願いやら想いに届かなくてもね。
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2009/08/19 19:36
色々考えさせられました。
自分のことは好きか嫌いかあまり良く考えたことがあまりありませんが
落ち込んだり 明るくなったり 毎日その時々の感情で生きているから
ダメなところと良いところはよくわかります。

>>自分の心の傷を癒そうと思ったら、自分に包帯を巻いても治らんのや
>>相手に、誰かの傷に巻いてやると癒されるんよ。

この言葉に深く感動しました。
自分の心の傷は そのとおりで自分では治せないですねぇ・・・
誰かに包帯を巻いてもらえば癒されるのかもですね^^

黒猫さんも自分を大事になさってくださいね^^
残暑お見舞い申し上げます。
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2009/08/19 18:39
以前、私のブログに書きましたが、嫌いです。
しかし、「最大の敵」とは、思っていません。

昔はもっとひどかったですよ。
世の中全て嫌いだったのですから。

哲学を勉強して(しかも結構初歩)、そのときの私の核が壊れてしまいました。
そんなものだったんですね。
そのまま自分の核を構築できずに、今に至ります。

日々を何気なく生きている感じがします。
しかし周りから見ると、それほどでもないように見えるかもしれません。
でも、漠然と生きてるんだなぁ。

実際はこんな中身です。
こんな自分が嫌いです。
しかし、自分ってこんなんです。
許容しちゃってます。
進歩がありません。
これではいけません。

しかし、資格取る勉強してみたり、何気に頑張ってます。


主観的すぎるなぁ〜。
ごめんなさい。

以上、私のイメージが変わるコメントでした。
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2009/08/19 15:31
ゆい★純正品★コメントありがとうございます。

自信ないですか…。
ブログを読ませていただいて、とても魅力的な女性に思えます。
自信があるようで、なさげで、浮いたり沈んだり、いろんな想いが去来しているみたい
そこが色気になってくるんでしょうね。

自分を好きであるということ。
恋愛においては、その人といると、とても素直でいれる心境、
いわば、その人といる時の自分が好き、これは相性になってしまいますね。

本当に好きになると、傷つくことを覚悟せねばなりませんね。
それをどう受け入れるか。
人と人は交わることで、喜びも楽しみも知りますが
同時に、傷もたくさん受けてしまいます。
その手当をどうするか、間違えれば膿んだり、悪化させたりします。
難しいところですね。

逃げ出したくなる弱い心を甘やかさない、
それは努力のいることだと思います。
自分のダメな部分を受け入れてやることも、大切な気がします。
時々、褒めてあげて、じゃ、次はここまで行こうとか。。

自分という聞きわけのない人と向き合うのは
時に、本当に大変です。
ゆいさんは魅力的な人なので、ひとつの壁を超えると
誰かを本当に好きになれるのではないでしょうか。
そんな気がします。
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2009/08/19 12:57
亀吉さん★コメントありがとうございます。

亀吉さんのブログなどを読んでいて
誰かを助けたいと願っている人だなと思っています^^

以前は、わたしもたぶん、自分を溺愛してました。
度胸も正義感もあるし、案外、可愛いし、困難にも一生懸命に立ち向かっていくしで
不遇な家庭環境中で育ったわりには、真っすぐな性格です。

それでも、いろんなことが相次いで起こり、折れたというより
体もそうだし、倒れてしまいました。とても疲れていたんです。
疲れていても、自分はまだ大丈夫と頑張って、思わぬ穴に落ちてしまいました。
それが、特別悪いことではないのですが、わたしには混乱を招くことでした。

自信を失って分かったことがたくさんありました。
人生の大半を逃げて生きて、逝ってしまった父や
記憶のない実母の生き方など
今まで、納得し得ず、反面教師にして否定していたことが
怒りより、生きることの哀しみにすり替わり、何を抱いて生きていたのか、馳せるようになりました。

人とは、どうしようもない気持ちを抱え込み、動けなくなる、
そんな時もあるのだと知りました。
人は負けて、弱さの哀しみを体現するのですね。
それで、赦しとは、と考えるのかもしれません。

自分を好きでいること、今のわたしは迷いの中にあるのでしょうね。
もう一度、自分を再構築しなくてはならない時期なのです。

いつも元気で頑張り屋の亀ちゃん
時々ね、本当に疲れたら、少しだけ休んでもいいよ。
おせっかいだけど、ちょっとだけ言ってみたりします。
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2009/08/19 03:10
自分が好き過ぎです。
自己嫌悪も含めて、大好きです。

自分を抱えてる自分が自分を愛せなくって、どうすんのさ!って思うんです。

でも、自分を好きになれないには、なれない理由があるんだろうなぁってこと考えると、
悲しくなりますよね。
そういう人には、愛を注いで注いで注ぎ倒さなくてはならないのでしょうが、
そこまでにはかなりの覚悟が必要ですよね。
中途半端ならば、始めからしない方がまし。。。なんでしょうね。。。

大変なことですね、人と関わるのは。
まして痛めてる人と関わるのは。。。
生半可ではやってけない。。。
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2009/08/19 00:52
あまり自分を好きか嫌いかと考えたことはないですね。
ダメかどうかはよく考えますが・・・
友達に鬱の人がいますが、その人の個性だと思って付き合ってます。
正常と異常の区別ってわざわざつけなくていいと思うのです。
私は自分が自分であるために、これからもがんばりたいですね。
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2009/08/19 00:28
う~ん、σ(・・*)は病人ですよ(><)

自分のことは嫌いかな。薬も、普通の人は飲むと「まっすぐ歩けない」または、

ものすごく眠くなるそうです。

それぐらいの薬飲んでいても、眠れない。

鬱ではないんですよ。抑鬱 と言って、鬱にならないように体ががんばり過ぎるそうです。
 #σ(・・*)は頭か?
天元ちゃんがヾ(^^ )ヨシヨシしてあげるワン♪

人様に包帯を巻いて治る方もおられます。

σ(・・*)はおそらくそれでは治らないでしょう。

それだけ強いストレスを、外部から受けてしまったのかも知れません。

詳しく書くと、とてもここには収まりません。

ただ、我を忘れるほどのストレス とだけしか言えないのかな?

好く、生きる時代が悪い、としか言いようのないとも言われます。
 #医者にもね。

ある意味では、自分が嫌いと言うより、この世界が嫌いなのかも知れません。

乱文失礼しました。

(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)
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2009/08/18 23:31
自分が大好きだった私ですが、子供ができたら「自己嫌悪」という感情を持つようになりました。

境界は、薬の有無でしょうか?早めに自分で気づいて服薬にたどり着く人と、取り返しのつかない事態になってから、病気と診断される人がいるかもしれません。私が医療従事者だったから、そう思うのかもしれません。

ドキュメンタリー映画の「こらーる岡山」を観たいです。DVDにならないかな・・・。

自分を大切にする・・・。この内訳というは、人それぞれなのかもしれないし、だからこそ、難しいですね。
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2009/08/18 19:56
私は自分が好きです。
数年前身体を壊して、それで思うように動けなくて、仕事も家のことも
子供を抱っこすることさえ出来なくて
イライラして、ちょっと危ない所まで行きかけました。
でも行かなかったのは手を差し伸べてくれる人がいたから。
そしてその手を素直に握れた自分も好きです。

ひとつひとつの文字を大切に読ませていただきました。
とても心に響く問いでした。

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2009/08/18 18:30
常々俺は、精神病んでるのではないかと、自分が心配になりますww
ま、何をもって正常ってするか、そのガイドラインてのはとてもあやふやでしょうね。

俺は俺を、けっこう好きだなw
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2009/08/18 17:02
手毬ちゃんはじめ、皆さんの考えを是非聞きたい問いかけね~
私は何を隠そう自分が大好きなのですっ(。→∀←。) ←おバカw
困難が続けば続くほど、おおぉぉっし!! やってやろうじゃないのーっ!!
私への挑戦、受けて立つ!! と闘志が沸くのが面白い。
これも「異常」よねぇ~(๑→ܫ←๑)ゞ
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2009/08/18 15:12
境界を分けるのは、薬が必要か、そうでないかというのが印象的でした。
私は自分が嫌いな部分は分かるので、
それが現れると「この性格直せないかな~」といつも思ってしまいます。
でも、そうゆう時に友達にちょっとした言葉でも励まされたりすると元気になれるので、
人は助け合いながら生きていくものだなと思います。
完璧でなくて良いんですよね。
色々な部分があってこそ人間味があり、人とのふれあいがると思いました。
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2009/08/18 13:58
また来るです。
ゆっくり来たいので、、、いいすか?
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2009/08/18 03:32
>>境界を分けるのは、薬が必要か、そうでないかかな。
まさにひとつの境界線だと思います。目の前で大量の薬を見せられた事があり、とてもショッキングだった経験があります。

黒猫手毬さんの映画内容の抜粋がとても分かりやすく、観てもいないのに良さが伝わりました。ラストの部分はバランスを取ることにより、脅迫じみたメッセージ映画と誤解されないようにしてるのかな?なんて思ってみたり。

自分のこと好き?と問われれば、素直に「うん!」とは中々言えないなぁw
年を取るごとに好きな部分が多くもなるし、嫌いなところもハッキリしてくる。
自分を表すポイントみたいなものは揺るぎ無く分かってきたし、まだまだ成長できてるってのも感じられるんで、悪い奴ではないよなぁ。みたいな感じで日々過ごしています。


他のブログも読ませていただきました。本当に文章がキレイでまとまりがあり、読みやすかったです。お気に入り登録させていただきました。また拝見しに参ります。よろしくお願いしまーす。
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2009/08/18 03:24
自分を嫌いな人に他人をほんとうの意味で好きになるのは難しいと
おもってるので、自分を好きになりたいのですが、自信のなさからどうしても
自分が嫌いで。。。
自分を好きになるのも努力がいるんだなって時々思いマス。
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2009/08/18 01:20
私は、自分の事、大好きです。
嫌なところもあるけれど、私が自分を愛してあげないで、どうするの。
もっと、もっと、好きになれるように精進しています。

人間も大好きです。
そうであるために、もっともっと強い人間になりたいです。




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