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シン・ドラマ汁


ドラマ【八重の桜】

八重の桜
NHK 日曜夜8時~
【あらすじ】大隈重信が爆弾で襲撃され右足を切断せざるをえなくなったという話を聞き、募金のため関東を回っていたは、何のための国会だと憤る。そしては、前橋を旅行中に心臓の持病が悪化したため倒れ、大磯で療養することに。しかしは、心配するからと、頑なに八重へ報せるのを拒み、病を押して大学設立のための手紙を書き続けた。一方八重は、からの手紙の筆に力がなくなってきていることに気づき、夫の身を案じていた。

【感想】まず、右足切断になった大隈ですが、それでもなお政治活動を続け、そのうち短期間ではありますが総理大臣にまでなりました。この人の人生も実に劇的でしたね。大隈に限らずこの時代の有名人は、劇的な人生を送った人が多いですけども。さて、今回は八重の二番目の伴侶・襄の最期と、襄亡き後の八重が新しい道を歩み始めたところまででした。夫の身に異変を感じ、療養先に駆けつけ、最期を看取るという、感動的な別れでした。襄が前橋で倒れたのが明治22年11月28日。そして大磯で死亡したのが翌年の1月23日。その間、襄の看護をしていたのは弟子・不破惟次郎妻で、北里柴三郎の従妹にあたるユウという女性だったそうです。八重に倒れたことが隠されていたのは本当で、報せが行ったのは1月19日、死亡する4日前でした。21日の朝に、八重と蘇峰、そして弟子の小崎弘道に、2時間ほどかけて遺言を残し、その2日後に亡くなっています。なので、ドラマのように最期まで会話をしていたということはないでしょう。まぁ、祖父母や両親などを看取った方は、大抵そうだとは思いますが、臨終の時はほぼ意識がないのが普通でしょうから、最期まで会話することはほとんどないというのが、現実でしょうな。「グッバイ、また会わん」と八重に言ったことは本当のようですね。当時、襄48歳、八重46歳でした。襄と八重の仲はよかったという話ですが、辛抱強い襄が本当はどう感じていたかは謎ですね。自分の身に降りかかることを、すべて「神の思し召し」だと思ってしまう人ですからね。逆に言えば、だからこそ八重との夫婦生活を続けていけたのかもしれません。しかしそれにしても、東京の貧乏長屋で人知れず死んでいった最初の夫・尚之助と、えらく扱いが違いますよねw さて、寡婦となった八重は、看護婦への道を歩み始めます。何故それまで襄が情熱を傾けていた同志社英学校や大学の設立ではなく、まったく別の道なのか、疑問に思う方もいるでしょう。実は八重は襄の門人たちとはそりが合わず、続けていくことができなかったようです。本当に、あちこちで軋轢を生む女ですよね…。思うに「ならぬことはならぬ」という、どうしても他人に譲れない彼女なりの基準があり、それを曲げることができない女だったのでしょう。最近のキャラでいうと「斉藤さん」でしょうかw 恐らく融通がきかず空気を読まない人だったんでしょうね。八重は86歳まで生きたので、残りあと2回ですが、まだ40年も残っていますw あとは八重が何をしたかというよりも、今までの登場人物との今生の別れが続く感じになりそうですね。




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