宗教とボク
- カテゴリ:日記
- 2013/11/30 01:14:41
23歳の時、キリスト教に開花を受けた。
29歳の時、伊勢神宮の神主さんから言霊を授かる。
32歳の時、魂の誕生日を迎える。
2009年、3月26日 18時06分頃
33歳頃から仏教を学ぶ。浄土真宗と法華経と宮沢賢治の世界感。
原初のキリスト教と、現在のキリスト教は・・・全くの別モノ。
ボクは原初のキリスト教を信仰している。
原初のキリスト教はどこにも無いので・・・キリスト教信者ではない。
何故イエス・キリストは処刑によって死んだのか、ボクは友人たちに説明している。
だが、復活の事までは説明できない。
そして原初のキリスト教は・・・神道の根本となる考えとそっくりなのだ。
だからボクは毎年のように出雲大社へ参拝している。
大切なポイントは「願い事」をしないこと。
神社参拝で唱える言葉は
「来させて頂きありがとうございます」だ。
「生かして頂きありがとうございます」でもいい。
願い事と、「感謝」の違いは・・・。
願い事が「請求書」であるのに対して
「感謝」は領収書であること。
祈りとは・・・「領収書」であること。
今でも「聖書」一冊を4倍速で再生するCDを聞いている。
聖書のテーマを禅の言葉を借りるなら
「白も黒も忘れる」(両忘)だ。
この事について・・・クリスチャンとは何度も論争をした。
だから・・・この事では一切論争はしたくない
原初キリスト教を知っている人は知っている
それでいい。
例えば、リルルさんが「悪魔にもいいやつがいるからゆるしてやろう。傷ついてもそれも人生さ^^」
といって、自分の世界だけの判断で悪魔を容認したとします。そのせいで何千人も何万人も被害者がでるのです。その原因は、リルルさんが悪魔を容認したせいです。
悪魔は悪魔であり、悪なのです。
そして、聖書を理解できているのか、というご質問でしたが、聖書は無限であるので、人間には理解できません。
○と同じなのですね。どこが最初でどこが終わりなのか分からないのです。二元論ではなく多元論であり、一元論のです。どこがはじまりなのかは、わからないが、○は存在している。
どこから集めたのか分かりませんが、リルルさんがご自身でご質問された内容をご理解していますか?
聖書はゆるしであるのに、悪魔はゆるさないのか。というご質問でした。悪魔そのもののご質問から悪魔があることで、成長する話へと変わっていることをお気づきでしょうか?
人間の悪を把握するために、悪魔に許可を神様はゆるされてはいますね。でも、前回の質問はその話ではなかったはずです。
現実の世界には、多数の選択枠があって、どれを選んでも自由です。どれを選んでも学びはあるでしょう。でも、実際に選べるものは1つの選択なのです。多数を選んでも学びがあるという考えは、マクロ的考えであって、1つを選ぶというのがミクロなわけです。そのミクロのことをご質問されたのではなかったのですか?マクロとミクロを一緒考えては答えなんて出ません。
マクロで悪魔の存在を聖書で説明すると、人間の悪を知らしめるための存在であることもあるでしょう。その他多数あるでしょう。
ミクロで悪魔の存在を聖書と現実をあてはめると、悪魔は悪魔であり、悪である。
だから聖書は、神道と同じで、100であり1なのです
マクロとは、広い範囲からの視点。ミクロとは、小さい範囲からの視点。のことです
そして、悪魔をも助けたいと思う心は、人間の偽者の優しさであるだけで、まやかしです。ミクロからみれば、悪は悪だからです
リルルさんの優しさを悪魔は利用して、エバと同じように本質から離して騙しているだけなのです。これだけシンプルな考えをわからないようにしょうとする逃げる心も悪魔の誘惑なのです。
神様は人間のために、すべての”物”創られました。石も植物も魚も動物も人間のための”物”なのですね。
人間と動物との差は歴然としています。動物とは、動く物と書いてある通り、動くだけでありプログラミングにそった行動しかできませんが、人間は自分で自分をプログラミングできる存在です。良心・想像力・自由意志・自覚という4つの物を持っているのですね。必ず人間は、生き物を食べなければ生きていけません。微生物でさえ生き物ですからね。そのように、人間中心に不思議なことですが、この世界は創られているのは事実です。そこも聖書が生物学と一致しているところですね。
ただ、人間よりも優れた存在も創られたのです。それが天使ですね。
この天使とは、人間よりも知識があり、人間よりも知恵があり、霊的存在だけに、人間以上の行動力が可能のようです。ですが、この人間よりも優れた天使さえも人間のために創られた”物””存在”だということですね。神様は天使よりも人間を愛されました。
神様は、光に例えられます。世界に物質がなければ、光がすべてを照らしていたでしょう。しかし、物質をつくれば必ずそこには影が出来るのです。天使は人間よりも頭がいいので、かなり短期間で神様を超えようと考えたようです。それが悪魔へと変わっていき、地上に落とされたようです。
天使がいなければ、人間もいつかは、同じように悪を自分たちで、作り出していたでしょう。最初の悪は天使だったのです
人間の善と悪の区別は、間接的に蛇から伝えられたものです
ここに人間が救われるべき、道があるのだと思います。物質をつくりだした時点で影は必ずできるのですから、その最初の影を悪魔が人間のための”物”として補っているのでしょう。人間は物にも愛着を持つことができるように、悪魔にも優しさで哀れみを持つようですが、それは本当の優しさでしょうか?悪魔は本当に邪悪な悪魔だということです。そして、悪魔はちょっとした疑問でイヴに実を食べさせたように、人間の優しさを利用し、知らないうちに、神様に疑問を持たせるようにもっていくのです。悪魔は悪魔だという本質を見失ってはいけないのです。神様を疑う前に生き物を食べる人間の優しさ自体を疑うべきでしょう。
かなり驚かされました。
ひとは、必ず何かを信じています。それが本物の神であっても、悪魔の神であっても、進化論という宗教や家族や友情や人間の愛など、お金や仕事などを信じているから行動しているのです。
ここで大切なのは、どれが一番論理的で、証拠があり、極限まで本物かどうかを見極める知識と知恵です。
いくら悪魔の宗教だと証拠をならべても、普通のひとは、それをまったく認めたくないという感情が沸いてくるのです。論理的思考を邪魔するのは、「感情」というエゴなのです。
ですが、わたしがものすごく強く伝えた論理的考えをリルルさんは、正しいと判断されたことに、かなり驚きました。
それは、リルルさんの人生で、何が真実なのかを知りたいという純粋な心を育てて生きてきた証拠ですね。わたしは、自分のエゴをも克服して、論理的に少しでもみようと努力できるリルルさんは、すごいと思わされました。
もう一度、いいますが、「聖書」というものは、歴史・思想・考古学・物理学・宇宙学・哲学・預言などの科学的な証拠が存在しています。
かたや他の宗教は、たしかに正しいことを言っていますが、ほとんどが1つか2つの分野でしか証明できません。
インターネットにより、情報がながれはじめて、これからは、「信じなさい」という時代は、終わり、「認めなさい」という時代に来るのだと思います。実際の証拠をみて、論理的に認めなさいということですね。
では、サタンのことを説明したいのですが、正直いって、この問題は、「霊があること魂があることを証明しなさい」と言っているのと等しい問題なのです。
でも、実際には、霊があることを今の科学では証明できません。(わたしはあると信じていますけどね)
だから、まず聖書がどの分野にも正しいのかを判断する必要があるのです。どの分野からみても聖書が正しいのであれば、聖書がいっている価値観が理解できるようになる。
ですから、正直いって、今の科学では、サタンを説明する手段は、聖書に書かれているものを信じるしかないということになるのですね。
それらを通して、勉強されてはどうでしょうか?
ただ、それらの情報を知ると、この世の中の仕組みが理解できてしまうので、いいことに使えるひとでないと情報をながしていないのが現状です。ですから友申請をしないと見れない状態です。もしよければ、それらのブログ内容をみられたらどうでしょうか?
もちろん、わたしはただの人間ですから、間違いもありますので、「え!?これってちょっと違うんじゃないの?」と思われたときは、指摘をしてもらえると助かります。お互いに本当の真実や真理を助け合って、みつけていってみませんか?
友達申請を送っておきます。もちろん、断られてもいいです^^
あれだけ、きついコメントを受け止められた方なので、信用できる信じて、友申おくりますね。
>願い事が「請求書」であるのに対して
>「感謝」は領収書であること。
>祈りとは・・・「領収書」であること。
これ、リルルさんの言葉かな?リルルさんの心から生まれてきてるように感じるな。
わたしが探しているのは、本当にリルルさんが見つけた、リルルさんの心から生まれてきた
そんな言葉なんです。
わたしは信仰はないけど、すべての人は神へと至る存在、そう信じています。
それが、わたしの信仰なのかも、しれません。神に救いを求める、崇拝する
それは、どの宗教においても、他律でしか、ありません。
例えば、わたしが経験した苦しみは、神から与えられた試練かも、しれません。
伝えたいことは、自分で経験したこと、自分で発見したものが真理なんです。
それ以外のことは、例え守護霊や聖霊の言葉であっても、信じないで欲しい。
これが、わたしの本音なんです。
価値観が違うかもしれませんので、不快に感じさせてしまうかも、しれないのですが・・・
もし、そうだったら、ごめんなさい。
あなた自身が、あなたの神となられますように、お祈りしております。
では、逆にリリルさんへわたしの返答をさせてもらいます。
たぶん誤解されている疑問の多数をリルルさんは、頭の中でごちゃごちゃになってしまわれているように思いました。インターネットか何かで調べて、①ユダヤ教からの反論 ②グノーシスからの反論 ③ローマ帝国からの反論 が混ざっているのではないでしょうか?
例えば、かなり初歩的な質問。↓のローマ帝国でしか、神を語ってはいけない。イエスの罪は政治犯である。
ということですが、これはユダヤ教からの反論というか批判ですね。だって、ローマはキリスト教を認めてカトリックを現在しているのですからね。歴史の整理をしましょう
当時、ユダヤ教をしていたイスラエル国は、ローマ帝国に支配されて奴隷国にされていました。ですから権力を考えたら、1位ローマ帝国 2位同盟国(奴隷国)のユダヤ教 3位その奴隷国のユダヤ人からキリスト教ができた
2000年前に、この3つの勢力がありました。あきらかに、3位のキリスト教は、弱い立場でした。ただの新しい考えの勢力であり、クーデターのようなものでした
ユダヤ教は、もちろんイエスキリストを自分たちの救世主だと認めずキリスト教徒たちを迫害し、みつけたら石で殴り殺しました
ローマ帝国は、奴隷国であるユダヤ人たちから税金がもらえればそれでよかったのですが、そのユダヤ教の秩序をみだすようなキリスト教は、邪魔な存在だったので、キリスト教徒をみつけるとそれを捕らえて、ライオンなどに食べさせました
すべてに渡って、キリスト教を信じるとローマ帝国からもユダヤ教からも迫害されるので、信じるほうがバカです
では、なぜそれほどまで迫害されても、イエスを信じるユダヤ人たちが増えていったのでしょうか?
それは、旧約聖書を中心にしていたユダヤ人たちは、イエスが生まれる700年も前からものイエスの生涯がそのまま預言されていたからなのです。あまりにも700年前の預言とイエスの生涯が一致しすぎていたので、イエスが神であると認めざるおえなかったのです
イエスキリストの存在は、現在ローマカトリックが存在していることで証明されているのです。もし、イエスが存在しなかったのであれば、迫害をしつづけていたローマ帝国がキリスト教に変わるわけがないからです。
そして、ローマ帝国は、世界中にあった予言。女神が救世主を生むというエジプトの予言。ギリシャの予言とイエスキリストが一致する驚きを知って、このイエスこそがまことの神の子であったと認めたのでした。
キリスト教を迫害していたユダヤ教とキリスト教の力関係は、ローマ帝国が認めることで、逆転したのでした。
では、イエスを未だに神だと認めなかった勢力は現在どんな宗教をしているでしょうか?
①ユダヤ教→なんと・・・自分たちの元になった旧約聖書を捨てて、タムルードという悪魔の聖書を聖典としはじめました・・・。ユダヤ教は、今でも旧約聖書に大量の預言がされているイエスを認めずに、救世主はこれから来ると言っていましたが、あまりにもイエスと預言が一致しすぎたので、旧約聖書を捨ててしまったのです;
http://www.youtube.com/watch?v=BYTjYCgk15o
②グノーシス→これが悪魔の宗教 スピルチュアルやニューエイジというものに変わっていきます。現在でも、ダヴィンチコードなどで、ひとびとを惑わし続けています。
http://www.youtube.com/watch?v=55ONqCbEGag
では、キリスト教を信じたカトリックはどうなったでしょうか?
カトリックは、ギリシャ神話と聖書を混ぜ合わせて、イエスの本当の教えではなく、ローマ法王というただの人間が神だといいはじめたのです。聖書も当時の聖書ではなく、ローマ帝国の都合のいい聖書へと変えられて行きました。
そんなカトリックの教えは、原始聖書の教えと間違っているとルターが宗教改革を起こしたのですが、これは変えたのではなく、変えたのはカトリックだから、かえる前の本当の聖書に戻そうという改革だったのです。
それが原始宗教プロテスタントなのです。昔の聖書を都合が悪くてもそのまま伝えましょうという考え方なのですね。
本当のイエス様は、言いました
「教会とは、建物のことではありません。教会とはひとりひとりの心の中にあるのです。」
では、サタンに打ち勝つ教会とは、建物のことでしょうか?
↑の言葉を聞いて、そう考える方はいないと思います。心の中に正しい知識と知恵を持ち、うわべだけの批判をするのではなく、心からの正確な意見を口にすることが大切なのだと説いているのです。
仏教や心理学・哲学には、精神世界のことでしか、持ち合わせていませんが、このように、キリスト教は、歴史そのものが、聖書を証明しているのです。
ノアの箱舟も発見されました。モーセの海を割ったあとエジプト軍の戦車も発見されました。聖書のいうように、巨人の骨も大量に発見されています。恐竜と人間が一緒に住んでいたことも考古学で発掘されています。イエスの本当の墓も発見されました。そして何より、イエスキリストの血が十字架刑にされた丘の下から契約の箱が発見されそこには、血がついていたのです。それを調べてみると、女性の染色体しかなかったのです。聖書に書かれていたマリアが処女であったことも証明されたのです。そして、驚くことに契約の箱に血がつくことも聖書に預言されていたのです。
http://www.youtube.com/watch?v=m1GfJgV5CeA
そして、聖書だけが、預言もあり、考古学・物理学・生物学とも一致しているのです。精神世界だけではなく、現実も一致することが大切なのです。これらのことは、フリーメイソンやイルミナティにより全世界で隠されてきました。ですが、インターネットにより、何が本物で、何が嘘なのかが、はっきりとしはじめたのです。
以前からリルルさんには言っていますが、最後のほうで、リルルさんが何を言いたいのかが、いまいち分からなくなりました。それは明確に情報を整理されていないのではないでしょうか?ひとつひとつ疑問を深く読み取り、誤魔化すのではなく、自分の言葉で表すことをお勧めします。
①罪を認めないひとが正しいのか、②昔からの聖書をそのまま伝えているほうが正しいのか、たぶん、正常に考えるひとなら、②のほうが正しいと思うはずです。
敵をゆるせと言っているのに、サタンはゆるさないと言う事は、おかしいのではないか。
たとえば、リルルさんが、横断歩道を渡りたいのですが、信号は赤です。車がリルルさんの前を走っているのに、「わたしは、横断歩道は渡るものだから、立ち止まるなんておかしいじゃないか?」といって赤信号なのに渡ったら、車にはねられます。
重力がないほうが、空を飛べるじゃないかと言っても重力はあるのです。それがルールなのです。では、サタンという存在は、何なのか、それは天使という”物”なのですね。この地球は、人間のために創られたと聖書には書かれています。動物も木も自然も石もすべて、人間を中心に創られました。天使も人間のために創られた”物”なのです。ですが、天使は、人間よりも知力があるのです。ですが、人間のための”物”なのです。その天使にも自由意志を与えました。彼らは人間よりも先に悪そのものになったのです。人間が悪そのものにならないための”物”それがサタンなのです。人間とサタンは、別物だということです。人間と携帯は、有機物と無機物であるのと同じです
人間は必ず、生き物を食べないと生きていけません。微生物でさえ生き物です。それが嫌だと納得できなくてもしないと生きていけません。ですが、人間と”物”には大きな差があるのです
神様と人間との関係は親子だとよく言われます。リルルさんは、自分のこどもに犯罪者になってほしいでしょうか?普通ならなってほしくないはずです。悪いことをしてほしくないはずです。ましてや悪そのものである”物(悪魔)”をこどもにえらんでほしくないと言っているだけなのです。
そして、自分の中だけに答えを見つけようとしても人間は不完全なので、正しい答えなんて出てきません。善も悪も持っているからです。自分の世界だけではなく、現実と一致させることが大切なのです。
大きな違いだけ教えたいと思います
イエス・キリストはボクたちの「罪」を背負うために「死んだ」と説明するが・・
イエス・キリストは「神の子」を名乗って死んだのだ
当時、ローマ皇帝だけが名乗る事を許されていた「神の子」を自ら名乗ったのだ
ボクたちが「分霊」(わけみたま)である事を知ってもらうために
神の子は「皇帝」だけじゃない。と、伝えたかったのだ
それは「歴史書」に当たり前のように書いてある事柄だ
イエスの罪は「政治犯」である
そして「キリスト教」とは信者の迫害を率先して行っていた「パウロ」が広めたモノ
さらにその後、皇帝により保護され、書き換えられた・・
イエス・キリストが広めていた教えは「ユダヤ教」+アルファである
それも一つの違いだが
もう一つ気にいらないのは、悪しき出来事は「サタンの誘惑」であり、「サタンの罠」が、世界に充満しているからだと、説明するところだ
「敵にこそ許しを」
隣人を愛せよ
これこそが根本理念であるはずなのに
サタンを作り出し・教会に通う事で「サタン」からの誘惑と罠に打ち勝つ
それもおかしな話ではないか
「敵にこそ許しを」
イエス様とここからは書かしていただく
イエス様はそのために教会をお作りになった「神殿」を作るために「教会」を足がかりとしなさい
善と悪の知識から離れるには・・・教会という「神聖なる場所」で祈りを捧げなさい
そして・・・いずれは教会に居なくても、いつでもどこでも「神聖なる場所」を心の中に見つけなさい
それまでは教会を家にし、足がかりにして「祈り」を捧げるのです
あなたたちが請求書を嫌うように・・・まず「神」に救いを求めるのをやめなさい
神を信じて救われるという考えがあるなら・そんな神は捨てなさい
それよりも、自らの中にある「王国」、「神聖なる場所」を見つけるのです
そこに神はいます
これは聖書を熟読するとわかってくる事柄だ。故に10人に2人はそういう人がいる
残り8人は「ああ、神よ」で有名な「オーマイゴット」を言う人たちだ
残り8人を思うと悲しい