Nicotto Town


きいてニコタリーナ


ぐるぐる行き止まり

うおー昨日に引き続きすごい風。ネットの接続が不安定。

バイトはまあ普段通りにできました。

それはそうと、昨日お布団の中で眠りに落ちる寸前、

なんかすごく大切なことに気づいた気がするんだけど

まあすぐ眠りに落ちてしまったのであまり覚えていない。

なので例によって、ここに書いて考えながら

昨日の思考の道筋をたどることにしようか。



えーと。私が前にほざいたこと曰く、

「見る者の安易な共感と所有を拒むヒトガタを作りたい」だったか。

しかし、そういう存在感を持つものを作りたいなら、

私はまず、私自身の「安易な共感と所有」を

徹底的に排して創作を行わなければならないのだろうか。

前はここまでだった。でも昨日、ふと思ったんだ。

「作り手の共感と所有を、圧倒的な思い入れと愛情を、

全身全霊で注ぎこまれた魂を持たない創造物って、面白いか?」

いや、創作者の中には、創造物とはっきり距離を置いて、

見る者の想像に委ねるための間隙を、冷静に意図的に

作り出せる人だって多くいる、と思う。

てかそれが本当の意味でのプロなのかも。

でも、そういう作品だって、どんなに客観を装ったって、

慎重に丁寧に、作者の痕跡を消そうと執心したって、

拭いきれないバイアスの気配って絶対あると思う。

また、それがなかったら、完全に作者の痕跡を消した

職人技のような創造物があったとしたら、それも味気ない。

そのさじ加減っていうか。

んー……何言いたいのかよく分からなくなってきた。えーと。



主題をやっと思いついた。最初に提示しておくべきだった。

受け手は、決して作り手の意図を100%汲み取ることはできないだろう。

それでも、他人さまの魂の入ったものを、軽々に、

自分の文脈で消化してしまうことに、私は抵抗を感じる。

他人さまを自分の文脈で判断していやしないかと恐れている。

自分の解釈に留保を付けない人の気持ちが分からない。

もっと言うと、他者を他者として敬意を払うことをせず、

自分の文脈に引きつけてしか物を考えない人々が、怖い。

こういう恐怖が私に、最初に挙げたようなアレを言わせたんだと思う。

一方的で暴力的な共感と所有を、全力で拒否したい!

最初は圧倒的な存在感を持たせることでそれが可能になるのでは、と思い、

やがて、作り手の魂を封入した僅かな痕跡を消すことができれば、

介入してくる暴力から作品を守れるのでは、と妄想した。

でもなー。内心何か違う気はしてるのなー。

そもそも私の考え方、すごく守りに入ってる気がする。

創作って、自分を精密に開くことの筈なのに、

私のはごく一部の悪意への対策しか考えてない気がする。



……うん。なんか昨日とはまた違う方向になった気もするけど

今日はもういいや。これまで。余計ぐるぐるしちゃった。

考え続けるのはやめないけど、いややめられないけど、

せめてもっと手を動かしながら考えないと、たぶん意味ないよなー。

作品や作り手への敬意を欠いた人々に私が恐怖を抱いてること、

が明確に自覚できたことくらいが収穫かなー。




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