ぐるぐる行き止まり
- カテゴリ:日記
- 2013/11/26 16:48:22
うおー昨日に引き続きすごい風。ネットの接続が不安定。
バイトはまあ普段通りにできました。
それはそうと、昨日お布団の中で眠りに落ちる寸前、
なんかすごく大切なことに気づいた気がするんだけど
まあすぐ眠りに落ちてしまったのであまり覚えていない。
なので例によって、ここに書いて考えながら
昨日の思考の道筋をたどることにしようか。
えーと。私が前にほざいたこと曰く、
「見る者の安易な共感と所有を拒むヒトガタを作りたい」だったか。
しかし、そういう存在感を持つものを作りたいなら、
私はまず、私自身の「安易な共感と所有」を
徹底的に排して創作を行わなければならないのだろうか。
前はここまでだった。でも昨日、ふと思ったんだ。
「作り手の共感と所有を、圧倒的な思い入れと愛情を、
全身全霊で注ぎこまれた魂を持たない創造物って、面白いか?」
いや、創作者の中には、創造物とはっきり距離を置いて、
見る者の想像に委ねるための間隙を、冷静に意図的に
作り出せる人だって多くいる、と思う。
てかそれが本当の意味でのプロなのかも。
でも、そういう作品だって、どんなに客観を装ったって、
慎重に丁寧に、作者の痕跡を消そうと執心したって、
拭いきれないバイアスの気配って絶対あると思う。
また、それがなかったら、完全に作者の痕跡を消した
職人技のような創造物があったとしたら、それも味気ない。
そのさじ加減っていうか。
んー……何言いたいのかよく分からなくなってきた。えーと。
主題をやっと思いついた。最初に提示しておくべきだった。
受け手は、決して作り手の意図を100%汲み取ることはできないだろう。
それでも、他人さまの魂の入ったものを、軽々に、
自分の文脈で消化してしまうことに、私は抵抗を感じる。
他人さまを自分の文脈で判断していやしないかと恐れている。
自分の解釈に留保を付けない人の気持ちが分からない。
もっと言うと、他者を他者として敬意を払うことをせず、
自分の文脈に引きつけてしか物を考えない人々が、怖い。
こういう恐怖が私に、最初に挙げたようなアレを言わせたんだと思う。
一方的で暴力的な共感と所有を、全力で拒否したい!
最初は圧倒的な存在感を持たせることでそれが可能になるのでは、と思い、
やがて、作り手の魂を封入した僅かな痕跡を消すことができれば、
介入してくる暴力から作品を守れるのでは、と妄想した。
でもなー。内心何か違う気はしてるのなー。
そもそも私の考え方、すごく守りに入ってる気がする。
創作って、自分を精密に開くことの筈なのに、
私のはごく一部の悪意への対策しか考えてない気がする。
……うん。なんか昨日とはまた違う方向になった気もするけど
今日はもういいや。これまで。余計ぐるぐるしちゃった。
考え続けるのはやめないけど、いややめられないけど、
せめてもっと手を動かしながら考えないと、たぶん意味ないよなー。
作品や作り手への敬意を欠いた人々に私が恐怖を抱いてること、
が明確に自覚できたことくらいが収穫かなー。