Nicotto Town


きいてニコタリーナ


「魂」がゲシュタルト崩壊した

昨日の肉じゃがは家族になかなか好評でした嬉しい。

でも、本当は食後にいろいろ作業がしたかったのに

妹が昨日買ったミスドが意外と大量にあって、

(たくさん買うとスケジュール帳がもらえたんだってさ)

じゃあみんなで食後のお茶にしようか、となり

何も作業してる暇がなかったです。どんまい。

でもドーナツは美味しかったよー。

明日、早朝からのロング勤務を終えたら金曜はお休み。

今度こそ作業を進めたいけど、眠いんだよなー。



ねえすごいことに気づいてしまったかもしれない。

……し、そうでもないかもしれない。

待って、書きながら考えるから。

えっと、人間って、動物、生き物じゃないですか。

でも、神様のイタズラとしか思えない自然の造形、

あとほら私が大好きなお人形を始め

誰かが精魂込めて作り上げたいろんなもの、

芸術作品もそうだし、職人の技術の結晶とかにも

「魂」は、「人間性」は宿るじゃないですか。

死んだ人だって、人格を尊重して扱うじゃないですか。

……すごくないですか。人間性って、

「生きていないもの」まで含むようになったんですよ!

人間が、誰かの魂を知覚する感性を手に入れた時から、

人間とは脳の発達した生き物、という定義ではなくて

人間とは魂の触れ合えるもの、になったんじゃないかと思うんですよ!

生き物じゃない魂、誰かに魂を注ぎ込まれた作品なんかは

その人が死んだあとも魂の残滓を語り続けるんです。

それも魂を見出す人にとっては生きてるってことなんです。

人間は有限な肉体に即した魂だけじゃなくって

肉体を持たない魂まで感じ取れるようになったから、

そこにある筈の魂を想像できるようになったから、

だから人間になったと思うんですよ。

もちろんこの場合の「魂」は幻想でしかないけど、

それでもそれを想像し尊重することからしか、

人間性は始まらないと思うんですよ!



……読み返してみると分かりづらいな……。

まあ与太話と思って読み流してくだされば。

最近暇さえあればこういうこと考えてる。

創造物のどこに魂は宿るんだろうと考えてる。

魂を見出す人間の心のはたらきについて考えてる。

見た人がそこに侵しがたい尊厳を見るような、

安易な感情移入と所有を拒むような、

そんな創造物を生み出せないかと考えてる。

まあそんなん考えてる暇があったら

手を動かせって話になっちゃうんですけどね。




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