Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


古い日記から、ピロスマニ 1


2008年1月26日
 1月25日の新日曜美術館は、ピロスマニだった。「絵筆とワイン、そして自由 グルジアの愛した画家ピロスマニ」。
 ニコ・ピロスマニ(一八六二─一九一八年)はグルジア東部の農村出身で、八歳で首都トビリシに出た後、独学で絵を始める。放浪しながら一杯のワインや絵具代とひきかえに看板や人々、動物などを描き、孤独と貧困のうちに亡くなっているが、今では国民的画家だ。絵の特徴、その平面的な要素、稚拙といわれる表現から、プリミティヴ派にくくられるが、独学の彼はどこにも所属したことはない。平面的なのは、グルジア正教のイコン画を模写していたことにもよるだろう。
 私は去年、渋谷のBunkamuraで開かれていた「青春のロシア・アヴァンギャルド展」ではじめて彼を知って、すっかりファンになってしまった。特に彼の描く動物に。この辺りのことは、この日記などでも書いているので、省略する。
 昨日、テレビを見ていて、少し思ったことは、彼は八歳で両親を亡くしているので、たとえば家族といた頃の情景が、故郷(帰れない場所という意味で)としても絵に入り込んでいるのではなかったか、ということ。それはピロスマニの幼年が、絵に含まれているのでは、ということでもある。かれの一見稚拙な絵には、なにかしら子どもに近しいものが宿っている。「もはや子供でなくなったとしたら、すでに死んでいるのです」(コンスタンティン・ブランクーシ)、「天才とは自在に取り戻された幼年である」(ボードレール)。私はこのことばが好きだった。ピロスマニにひかれるのは、そんなことにもよるのかもしれないと。もちろん、それだけではないのだが。
 新日曜美術館で、グルジアの空、自然、宴の風景が見れたのは良かった。思っていたよりも空が青かった。彼の風景は、絵具の少なさにもよるのだが黒っぽいものが多いので、もっと暗い土地かと思っていたのだ。また影響をうけたであろう、イコンを映像のなかで見れたことも貴重だった。もっと古い時代に書かれたものの模写かなにかだと勝手に思っていた。つまり、もっと二次元的な、ジョット以前に描かれたものなのだと。映像のなかのそれはピロスマニの描くものよりも、立体的だった。つまりピロスマニの描く平たさは、彼の個性そのものなのだ。また、グルジアでは人の眼をまっすぐみて話さなければならない、というのを聞いて、ピロスマニの人物たちがまっすぐこちらを見つめていることをなるほどと頷かされた。
 「青春のロシア・アヴァンギャルド展」は、巡回展として、埼玉県立近代美術館にやってくる(2009年2月7日~3月22日)。また彼に会いにいく。




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