予想外という既視感
- カテゴリ:アート/デザイン
- 2013/10/27 06:23:23
ウイリアムモリス、うつくしい暮らし展
おもっていたよりもずっとよかった。
前に何度かこの手のもの、みにいったことがあったのだけれど
ふうん…ぐらいではあったので。
一緒に活動していたロセッティも、バーン=ジョーンズも、もういいかなと
思っていたし。
予想外に、うれしい時間をもらった。
テキスタイル、布の模様をみていたら、
酒井抱一とか、鈴木其一とかの、花をふっと連想した。
似ているわけではないのだけれど
たとえばルドゥーテとかの薔薇、なんだか植物見本のような
標本のような花─それは死んでいるというよりも生きていない─
ではなく、そう、花の生を、植物の生を、大事に思っている、
そんな心が、そこかしこに、みえていたからだと思う。
ひなぎくの愛らしさは、ひなぎくが好きだったからかもしれない。
柳のすがすがしさ、のびやかさは、かつて家の近くに
はえていたからかもしれない。
そしていちご泥棒のかわいらしさ。
いちごをついばみにきた小鳥を、そう呼んだという
ちゃめっけ。
この予想外という感覚、ちょっと妙なのだ。
期待していないというか、期待していない、いない、
と力をこめて、自分に言い聞かせている風ではない
(ちなみに、こうして意識的な時、
たいてい、期待せずにいってよかった、
つまり、思ったとおり、わたしにとって、それほど
心がうごくことのなかった結果に終わる)、
もっと肩のちからをぬいて、ぼーっと、
期待していない、という言葉をまだつくる以前の、
くくってしまえば、「期待していない」には入るのだけれど
かすかな風のような、そんな
ふうな気持ちで、でかけた展覧会だと、
こんなふうに、予想外によかった、という気になる
ことが多いような気がする。
それは、ふかよみしすぎかもしれないけれど、
「予想外によかった」が、じつは
思惑どおりで、
そうなることをどこかで予想していたんじゃないか
そんな気持ちにさせるようなのだ。
あるいは既視感…。
展覧会に出かけた場所は森のなかだ。
森の中の美術館というのは、けっこう多い気がする。
世田谷美術館、府中市美術館、宇都宮美術館、
ポーラ美術館、川村記念美術館、庭園美術館(こちらは隣接した敷地が
自然教育園という森だからだけれど)…、
そうだ、上野の森にある国立西洋美術館、東京都美術館なども
そうではないか…。
気付かないうち、もう木々の葉が色づいていた。
まだ紅葉とはいえないぐらいではあったが確実に。
秋のにぎわいが、もうすぐ始まる。