Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


よしあしの狭間を月が流れる─仙厓と禅の世界展2


(1から続き)

 だが、なのか。そうはいっても言葉にひかれたものもあった。蘆を題材にした三枚の絵だ。蘆は、“よし”とも“あし”とも読む。つまり善し悪し、善と悪だ。ここで取り上げられているのを見るまでそのことに気付かなかった。だがわたしはこうした言葉に弱いのだ。ひとつのものが対照的な二つの名前を持つということ。両者がそこでわかちがたくついていること。それは詩的な誘いをわたしに示すものとなる。

 まず一枚は、《頭骨画讃》。地面に落ちているどくろの眼窩や鼻から蘆が伸びている。「よしあしハ/目口鼻から/出るものか」。
 教えとしては、善悪は相対的なものだから、右往左往せずに、正しく物事を判断せよ…ということになるらしいが、蘆という字と、絵でもって、善悪のはざまにある存在として、人間が描かれていることに、興味を覚えたのだった。それはどくろであることによって、生と死のはざまをもそこに提示している。というよりも、死を抱えて生きるということか。

 二枚目は《夕納涼画賛》。足元に川が流れている。縁台の上でほぼ裸で座っている恰幅のいい男。丸顔(というより丸い円)で右手をあごのしたに添えている。口はすこしへの字、目は筆でつけたシミのよう。とっくりとおちょこが足元に見える。後ろに草が茂っている。これが蘆なのだが。「よしあしの/中にこそあれ/夕納涼」。夏の水辺に蘆が生えている。ただそれだけなのだが、また“よしあし”だ。男の顔も例によっておおざっぱなのだが、そこには思案しているような表情がみてとれる。よしあしという娑婆でする夕涼み…と解説にはあったが、夕涼みということで、夕方をもそこにひきこんで考えたくなった。夜と昼の間だ。そう考えると、いっそう狭間的なものが色濃く漂ってくるのだった。
 蘆の最後は題名も《蘆画賛》。墨で蘆っぽい線を描き、さらに下に水っぽい流れの線を描いただけ…といえるやはり、おおざっぱな線からなる絵なのだが、「よしあしの/中を流れて/清水哉」。よしあしの中で、清い流れのような精神…ということをいっているとある。善悪の彼岸ということを思う。蘆たちは折れ、流れに覆いかぶさるようだ。これに関してはもはや蘆という字うんぬんよりも、なぜかこの折れまがった茎や葉の姿に、心ひかれた。善悪をこえて、というよりも、それらをもったものとしての、どこかしら寂寥とした姿に。折れた姿により感じた痛み。だが水は流れ続けている。

 わたしは仙厓の生きた時代の人々、彼らと受け止め方が違うだろう。まず描かれた絵の示され方が違うのだから。こんなふうに展覧会にあるものを眺める、といった見方を当時していたわけではない。乞われれば、描いた絵をおしげもなく人にあげたという仙厓。そして蘆に関する、こうした二面性に反応する仕方もきっと違うはずだ。だが、それでもこんな風にしか、彼の絵と向き合うことはできないのではないか、とこの蘆の絵によって、少しだけ力をもらうことができた。北斎の絵だって、江戸の当時の人たちが眺めていたようには決して見ていないはずだ。それでも、どうしたってひかれる。たとえばそんなことなのだ。いや、彼らが、ではないのかもしれない。それは画家への共感ということなのかもしれないが。時代を超えて、わたしは画家たちに共鳴している。その共鳴の間に、垣根があるかないか…、仙厓のこの展覧会で、疎外感を感じたのは、彼らと同じように、ではなく、彼らに対して、仙厓が、さしだした絵に対して、わたしが受け取ってよいのだろうか…そうした逡巡があったのではなかったか。それは彼らとではなく、わたしと眼前にある絵、仙厓のそれとの間の話なのだった。

 ともかく蘆三作を観てから、すこし心が落ち着いた。居心地の悪さが軽減したのだ。《鹿寿老画賛》は、大きな長い頭をした寿老人が鹿の上に乗っている。どちらも穏やかなやさしい顔だ。「長生ハ志かと請合/福の神」。これに関してはあまり言葉は気にならなかった。「長生きはしかと請け合った」と長寿の神、寿老人が言う…。気にならなかったのは、言葉と絵がともにおおらかに生を請け負ってみえたからかもしれない。いや、ぬくもりを感じたのだ。それは最近みた、寅にのっかった《豊干禅師図》に感じたものと同質のものだった。

 そして《双鶴画賛》。二羽の鶴が墨で、太くざっくりと描かれている。一羽がくちばしをあけて、頭を上向きに、啼いている感じ。目は丸ではなく閉じているような短い線。もう一羽は地面を向いている。後頭部とくちばしが見えるのみで目などはみえない。賛は「鶴ハ千年/亀ハ萬年/我れハ天年」。天から授かった命、天寿に感謝しているとある。そうした解釈、心が絵に表れているのだろうか。かもしれない。だが、鶴たちののびやかな、姿がやさしかった。ほとんど幸せそうだといってもいい姿が心に届いたのだ。あるいはそれが生への賛歌なのかもしれない。ちなみにこの絵は、当時病床にあった出光佐三氏の最後の蒐集作品であるという。そして最初の蒐集は《指月布袋画賛》だとあった。今回出品されている。けれども、こちらは既視感があったので「かわいい江戸絵画展」で観たのだと思っていたが、実は初めて触れる作品だった。布袋さまが月がある方角を指さして、子供がはしゃいでいる。二人とも満面の笑顔。歩きながらのようだ。布袋様を《あくび布袋図》で、子供を《猫に紙袋図》でそれぞれ観ていたから既視感があったのかもしれない。賛は「を月様/幾ツ/十三七ツ」。指が経典で、指のさす方向にあるはるか彼方の月は悟り…そんな禅的な要素を含んでいるとあるが(学問だけでは悟ることができない、など)、そのことで距離を感じることがなぜかない。
 わたしとあなた…。かれらとかれ。距離を感じないことを仙厓は望んでいたかもしれない、とも漠然と思う。禅でなくとも、学問だけでは、生きた知識にはならないのだ、とも思う。そして、とびっきりの二人の笑顔がみちてくる。それだけで十分だとも思う。なぜなら、その笑顔こそが、実践へのきっかけなのではなかったか。歩きながら。指さすほうに月は見えない。

 今これを書いているときと、美術館にいたときでは、温度差がある。距離感を、美術館にいたときのほうが感じていた。蘆ですこしだけ縮まったとはいえ。今も多少は、それはあるけれど、それはたぶん美術館にいたときのことを、まるで追体験するかのように、順序だてて思い出していったからだ、とくに距離感を感じていたときの記憶がくっついてなかなか離れなくなってしまっている。けれども、そうしたことも含め、こうして書くことで、それでも、距離は、美術館で、あの蘆の作品たちを観たときよりも、縮まったように思うのだ。それは書くことがもたらす、いつものやさしさだ。奥底で、月がぽっかり浮かんでいる。それは水面に映った月かもしれない。




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.