Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


猿島 その1


 埼玉の巾着田…行ったのが土曜日だった。翌日の日曜。家の男が仕事で横須賀に行くというので、ついてゆくことにした。二時に着けばいいというので、それよりも早く行って横須賀で食事をとることに。よこすかポートマーケット。実は以前行こうとしていてゆけなくなった旅行では、そこで食事をとることになっていたのだ。横須賀の漁業組合直営店、漁師直営の店、地場産野菜、地元牧場など、地産地消にこだわった店が入っている。飲食店もはいっているのでそこで……選んだものが悪かったのか、食事はいまいちだったが。
 ついて行ったのは、海が見たかったから。最初の予定では、男が仕事をしている間、二時から約三時間の間で、横須賀美術館でもいって、その足で観音崎あたりでも散策しようと思っていた。両方とも海のすぐ近くだ。
 だがポートマーケット。ここは横須賀の観光のための案内所も併設されていて、そこに猿島への乗船チケットの販売もされていた。すぐ隣には猿島アンテナショップ。猿島の写真が飾られており、猿島ビールなどグッズも売られている。
 横須賀の三笠桟橋から約二キロ。東京湾に浮かぶ無人の自然島。今ではわりとメジャーになっていると思うのだけれど、以前はそうではなかったと思う。わたしが十九歳ぐらいだったか。その頃に付き合っていた男が、猿島で、オカリナの演奏を聴いたという。小さな演奏会。洞窟のようなところで、ギャラリーもほんのひとにぎりで、不思議な空間だった…たしかそんな話だった。要塞跡のある、無人の島、うっそうとしげる緑、洞窟。ひびきわたる土の清冽な響き…。わたしのなかで猿島はそんなものたちでいっぱいの幻想的な島となっていった。たしか当時は一日一往復ぐらいしか舟が出ていなかったと思う。東京湾なのに、きれいな小さな浜。そこはずっと行きたいと思っていた場所だったが、なぜか今までゆけずにいたところだった。実は最近ゆけなくなった旅行というのも、ここのことだった。八月末に猿島のレストハウスで火災があり、一か月ぐらい島へ渡れなくなっていたのだ。その猿島への舟のチケットがここで買える…。パンフレットもあったので貰って急いで開く。ポートマーケットは三笠記念公園に隣接しているのだが、猿島へゆく舟の発着所は、まさにその公園の端、地図をみるとポートマーケットからすぐ近くだ。往復一二〇〇円。横須賀美術館は実は特に行きたかったわけではないので、猿島に渡ることにした。三月から十一月末までは、だいたい朝八時三十分から、夕方四時三十分まで、一時間に一本づつ舟が出ている。一時半の舟に乗ることにした。チケットを買うと、船着き場までここから徒歩二分ぐらいだという。こんなに近くだったのだ。
 舟が出るまでまだ時間があった。男と三笠記念公園のほうへゆく。ここには戦艦三笠が岸壁に保存されている。水が思っていたよりも澄んでいる。小さな小さな岩場が岸壁が途切れたところにある。打ち寄せる水が透明だ。小さな魚の姿も見える。横浜でも、そういえば思ったよりも水がきれいで驚いたことがあったっけ。だがそれは東京湾にしては、という前提がつくのだけれど。
 野外劇場があり、ベンチャーズの曲が演奏されていた。
 三笠は、海に錨をおろしてそこに保存されている氷川丸と違って、下甲板が完全にコンクリートや砂で固められて、海底に固定されている。後で調べたらワシントン軍縮条約でそう取り決めがあったらしい。けれども岸壁と船の間に埋められたコンクリートを見て、船としては、少々痛ましい気がした。氷川丸ももはや出航することはないけれど、まだその姿だけをみると、出航への道は完全には閉ざされていない。希望のようなものがみえる。だが三笠はそうではない。軍艦だから仕方がないといえば仕方がないのだが、船として見ると、その姿にやはり、寂しさを覚えてしまうのだ。
 男と別れて、一人船着き場へ。あとで知ったのだが、猿島航路が再開されたのはほんの二日前だったようだ。こんな風に巡り合わせがあるのだ。
 今にして思えば渡航が再開されて初めての週末だったからだろうか。舟は比較的混んでいた。港から二キロ弱だから、三笠発着所からでも、すぐ向こうにあるのが見える。約十分の船旅。船に乗るのも久しぶりだ。揺れるのが心地よい。二階のデッキにゆく。前のほうは混んでいたので、出航してから、脇で、立って海面を、島を、あたりを眺める。船の作る水尾や、船のたてる波しぶきをみるのが昔から好きなのだ。
 昔よりもずいぶん、波しぶきの色がきれいになったと思う。猿島や横須賀で船に乗ったことはないけれど、伊豆七島へゆくときに、このあたりの海を通ったことがある。その頃、白い飛沫の縁に黄土色が混じっていたのを覚えている。東京湾を過ぎ、相模湾、相模灘に出たどこからか、その飛沫の縁は、澄んだエメラルドグリーンに変わる…。わたしはその色をみて、ほっとしたものだった。黄土色のそれをみると、海が苦しんでいるような気持ちになったものだったから。
 今、猿島へゆく船のだす飛沫の色は、当時に比べれば、たしかに…。それもさきほどの東京湾にしたらば、という前提とかかわってくる。飛沫の縁には、黄土色はまじっていないように思える。だがほんのわずかに黄色い。あのエメラルドグリーンの色がそこにはない。このエメラルドグリーンのほうは、数年前に伊豆のどこかの海で、また見た覚えがある(たとえば堂が島とか、城ケ崎あたりだ)。ああ、この色だと思った記憶がある。この色は、ずっとそこにあってくれたのだ…。猿島へ向かう海は、そのわたしのなかでの、きれいな水の象徴である、あの色ではない。そしてここ三浦半島の南限である城ケ島あたりへも数年前にいっているけれど、やはりもっと、横須賀あたりよりも海の水がきれいだった気がしている。城ケ島までいけば、相模灘に接しているからか。東京湾にしたらきれいだ。けれどもわり近く、直線でいけば二十キロも離れていない城ケ島あたりの海よりも…。すこしの痛み。彼らはまだ傷ついているのだ。さきほど三笠のあたりでは、きれいだと思った水だったが。あれは横浜港を想起させたからだ。だが船でゆく、猿島は、自然島だし、水がきれいだということをどこかで聞いた。澄んだ水での海水浴。わたしは同じ島ということで、伊豆の熱海からほど近い、初島的なものを、そこに見ていたのかもしれない。こちらは二回ほど行ったことがあるが、周りの水はあのエメラルドグリーンの縁を持っていたから。
 黄土色とエメラルドグリーンの間を、波飛沫はたてていた。それはぎりぎりの何かだった。きれいはきたない。きたないはきれい。そんな『マクベス』の魔女のセリフがよぎる。
 けれども同時に。船の中だったか、降りてからだったか。「年たけて またこゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」をもじって、「年たけて 今こゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」と、心にうかべるのだった。とうとう、今、猿島に…。(続く)




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