Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


巾着田へヒガンバナを


 九月末の土曜日。埼玉県日高市、巾着田にいってきた。彼岸花をみに。毎年いっている。ゆくまでの道も同じルート、車でゆく。助手席だから、具体的な地図は頭に入っていないが、あちこちの景色は記憶がある。見覚えのあるそれらに、なんとなくほっとする。旧街道のような道の両側には、松や雑木が生えている。道端には彼岸花がちらほら生えていて、これからゆく巾着田の彼岸花のバロメーターにしている。今年は…満開だ。いくぶん盛りを過ぎているぐらい。小さな梅林、「つぼ猫」と看板のあるレストラン…。あと巾着田まで十キロぐらいになると、看板がみえてくる。「曼珠沙華まつり 巾着田まであと○○キロ…」…。
 HPなどをみると、前日の二七日の時点で満開、見ごろとなっていた。だが、毎年いっているから、なんとなく、おそらく、もうさかりをすぎているだろうと思ったものだ。
 それより前の、土曜日、先週だと、まだ三分から五分咲きぐらいだった。そのような花の時分にやはり、いったことがあったが、それはそれで、まばらに咲いているのが、すこし淋しい気もして、おそらくすこし盛りはすぎているぐらいかもしれないが…と、次週のこの日にいったのだ。けれども、ほんとうは、ゆけるのなら、先週と今週の間、火曜日ぐらいにゆけたらよかったのだ。
 巾着田に到着。予備知識があったから、がっかりはしなかったが、案の定、けっこうおわった花が目についた。最初は真っ赤だった花が、なんとなく白みをおびてくる。つぎに黒く枯れる。そんな花もあった。だが、立て看板には「最盛期を迎えました」とある。見頃と言われれば、たしかに満開、見頃の花のほうが、圧倒的に多い。今日きてよかったのだ。
 だが桜とちがって、彼岸花は、さかりのすぎた花たちが目に着いてしまう。写真にとっても、白っぽい花びらから輝きがうせているのが気になってしまう。そう、桜はそのままの色で、散ってゆく。だいぶ散って葉桜がめだつまでは、桜はその状態を、悲しげに維持している。だが、彼岸花は…。いや、これで今年はよかったのだ。それでも来ることができたのだから。まだぎりぎり満開だ。そう、やはり、今年も、真っ赤、真っ赤、うんざりするほどの、赤のしきつめられた色彩にめまいがしそうになった。どこかへ、すいこまれてしまうような、そこには、おびえに似た幸福感も混じっている。
 巾着田の由来は、高麗川が巾着のようにUの字に蛇行しているから。その袋の内側、袋の下のほうにたまるように、彼岸花は群生している。五百万本だそうだ。花の歓待。彼岸花の群生地にロープでくぎられたほそい道がある。そこを観光客たちはゆっくり歩く。写真を撮る。おおむね彼らは静かだ。静かに赤を歩く。向こうのほうにも彼らがいる。だが静かだから、まるでまわりの木々のようだ。木と人と彼岸花、そして川の水と、空と、そうしたものたちで景色をつくりあげている。歓待。

(続く)




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