宮沢賢治の歌
- カテゴリ:音楽
- 2013/09/14 03:11:14
あかいめだまのさそり
ひろげた鷲のつばさ
オリオンはたかくうたい
つゆとしもとをおとす♫
宮沢賢治の童話『双子の星』にでてくる
「星めぐりの歌」は賢治の歌として有名です。
http://www.youtube.com/watch?v=jrmlkNfvV64
作詞・作曲 宮沢賢治とされてますが
曲は中山晋平の「酒場の唄」をアレンジしたものではないか
という説もあります。
宮沢賢治といえば、詩や童話が有名ですが
それらが知られるようになったのは
彼が亡くなってからのことでした。
そんな賢治さんは、大正10年(1921年)に
稗貫農学校(のちに花巻農学校と改称)の
先生になります。25歳でした。
賢治先生は、作物・土壌・肥料・気象
農産製造、それに化学・数学(代数)・英語など
を教えたそうですが、彼の授業がいかに生きた授業で
素晴らしいものであったかは、のちに当時の教え子たちが
ありありと語っているのを聞くとよくわかります。
以前に作家の畑山博さんが
80歳になる当時の賢治の教え子の一人に、
賢治の授業を再現してくれるように頼んでみたところ
60年以上前の肥料学の講義を思い出してくれたのです。
それは、次のようなものです。
ここに書いたのが細胞の図です・・・
核は生物が生きてゆくための必要な知識
~子は親からそれを遺伝子という巻物にしてもらうのですが、
それが核の中には詰め込まれています・・・
細胞は生きています、どうして生きているか
生まれたからであります、親から。
ではその親はどこから生まれたか。
その親からです。
そしてぐんぐんぐんぐんたどってゆくと、それはもう人類で
なくなってしまいます。
進化する前の動物になってしまいます。
さらにたどれば、微生物になってしまいます。
さらにたどれば一粒の蛋白質になってしまいます。
その長い長い歴史を、細胞核は覚えているのです・・・
細胞核はまた、新しい記憶も貯えます・・・
そうしてそれが、何万年もあとになってきみたちの子孫の心の中で
突然ある日、甦るかもしれないのです。
細胞核とはそういうものです。
精神歌を読みます。
日ハ君臨シ 輝キハ
白金ノ雨ソソギタリ
ワレラハ黒キ土ニフシ
マコトノ草ノ種マケリ・・・
太陽は、太陽系のすべての星の中心にあって、その君主です。
地球上の生きとし生けるもの、すなわち有機物も無機物もみな
立派な生命を持っているのです・・・
黒き土、放っておけばただふつうの土でしかないものにも、
堆肥を入れ、厩肥を入れ、耕せば肥えてきます。
俯し、耕すことで無限に肥えてくるのです。
人間の心だって同じです。
心の畑に植える種、真、善、美。
本当の幸福に通じる道はそれなのです。
そのように目覚めなければ、この気圏は太陽系全体の
目覚める生物の発する青い修羅の光のために怯えたままなのです。
知恵をめぐらせ、一生懸命働くわたしたちの汗が、
太陽の光にきらきらと輝くとき、
その光の汗が宇宙全体にゆきわたるとき、
世界全体が青ビカリを駆逐し、明るく幸福になれるのです・・・
(教師宮沢賢治のしごと)
途中で、でてくる『精神歌』とは、賢治が独自の考えで農学校の
生徒たちのために書いた詩です。
賢治はこの詩に、音楽の得意な同僚らといっしょに曲もつけました。
まだ校歌もなかったので、生徒たちは「校歌だ、校歌だ!」
と喜んだらしいのですが
「校歌となれば学校というものを背景として作らねばならない・・・
その目標で作詩したものでなく、これは農民を主体として作った
歌詞だからね」と説明し、また校長が校歌にしたい意向を
何度か話したものの、やはり断ったのだそうです。
大正15年(1926年)、賢治先生は
自ら教師ではなく農民として生きていく決意をし
花巻農学校を退職します。29歳。
4年と4ヶ月の教師生活でした。
それから7年後に賢治は亡くなるのですが
病床で弟の清六さんにこんなことを言ったそうです。
「農学校では精神歌も応援歌もみんな止めて
ほかの人に頼んだづな」
「あれはみな笑止なものばかりだったもなあ」
しかし、ほかの人に頼んだのはじつは校歌で
賢治の「精神歌」は、同じく賢治の作詞した
「応援歌」、「行進歌」とともに
今でも中断されることなく歌い続けられているのだそうです。
花巻農学校精神歌
http://www.youtube.com/watch?v=lQAmINw_YB4
ドラゴンかぼちゃ合成羽
普通合成ですがお使いになりますか?
レア作るのにもっさり12個出来ました( ̄▽ ̄;)
Pガーデナーさんはほぼ所持なので
お友達限定で声をかけています(〃艸〃)
もしもいらなければスルーでOKです^^
|祈願||ョω・`)。o○お花が沢山メガ化しますように~✿ステキ&お水お届けです♬゛
(✿╹◡╹)ノ゚+.゚have a good day♪
もともとは彼の童話が好きで
宮沢賢治に興味をもったのですが
教師としてのエピソードなどを読むと
教育者としての姿にも感動しました
彼が理想とするような農民が
これからの社会にはますます必要に
なってくるような気がします
偉い人でも、心に真、善、美がない人は
多いかもしれないですね
私も宮沢賢治の本を何冊か読んだ事があるのですが
上記は読んだ事がありませんでした。
とても心に染み渡るものがありました。
私も親からもらった命を大切にし、子に伝え、心に真、善、美を耕さないといけないなと思いました。
仙台の七夕、ニュースでは見たことあります
東北三大祭りでしたか
ひとつも見たことないので見てみたいです
でも有名なお祭りは人が多そうなので
地元のお祭りのほうがのんびり楽しめる
ということもあるかもしれませんね
夜店が並ぶ夏祭りの夜は
なんとも独特の風情がありますね
宮沢賢治の「祭りの晩」は
秋祭りの夜のお話ですが
素朴な夏祭りの晩にも
なにか不思議なことが起きるかもしれないですね^^
https://www.youtube.com/watch?v=SGxbMweVPDA
七夕で有名なのは、宮城県仙台市です。
街中、商店街を中心にしないが七夕飾り一色になり、テレビのニュースでもよく取り上げられます。
あそこまで大々的ですごいってわけじゃないけど、盛岡(というところに住んでます)の某商店街の七夕も
各店が腕を競って七夕飾りを用意して飾る、みんなでいいものを投票したり、各店の催し(夜店)を
楽しみます。
いくらか前から、お客さんに七夕飾り講習とかして、一緒に作る店もあります。
七夕って、年に一度の恋人の日って感じを楽しむのもいいけど、家族でこういうの出かけて、
夜店で綿あめや焼きそばを買って食べたり、ゲームを楽しんだり、ワゴンセールとか・・・ってのも
好きですねえ。
本当は仙台の七夕に行きたいけど、あれもうちの方のも曜日でじゃなく日が毎年同じで、
平日に当たってしまうから難しいんです。
イーハトーブいいですねえ^^
宮沢賢治の童話が大好きなのですが
教師時代のエピソードも
とても興味があります
賢治の詩はむつかしいのが多いですが
永訣の朝 はちがいますね
妹のとしさんと賢治はほんとに仲がよかったそうなので
賢治の慟哭が聞こえてくるようで
ほんとにせつない詩ですね
あめゆじゅとてちてけんじゃ
のフレーズだけ覚えてます(^_^;)
私も、岩手に住むまではあまり興味なかったけど、住んで、読むようになったら好きになりました。
とはいえ、あれこれ背景までわかるわけじゃないけど。
高校時代の国語教科書に詩が4つあって、どれでもいいから暗唱する宿題が出ました。
皆、1ページ程度の軽いので済ませた中、私は「永訣の朝」・・・教科書にして5ページ(以上?)をやって、拍手喝采だったのを覚えています。
あれは、とてもせつない詩でした・・・。
コメントありがとうございます^^
宮沢賢治の童話が好きです
詩はむつかしくてよくわからないのが多いです
賢治は、音楽もたいへん好きで
まだレコードが珍しかった当時
花巻でレコードが売れるので
レコード会社が不思議に思って調べたら
賢治がひとりで買っていたのだそうです
賢治のつくる音楽は、文学と同様に
なんともいえない独特の雰囲気がある感じです
ここに来るとonpuさんの世界がありますね(*^ー^*)o
癒されます(❀◕‿◕)♫
宮沢賢治の曲は音が綺麗で優しい気持ちになるので癒されますね^^
おそまつさまでした^^
「やまなし」やってるんですね
わたしもはじめ授業で読んで
なんかよくわからないものの
とっても印象に残りました
クラムボンは死んだよ
っていうのがとくに強烈ですね
命の大切さを表してるんですか!
知らなかったです><
なるほど宮沢賢治らしいなって思います
今、国語の授業で宮沢賢治さんの「やまなし」をやっています(๑´◡`๑)*
あれは、命の大切さを表しているお話なんですね♪
わたしも童話はかなり読んだのですが
ずいぶん忘れているので
読み直そうかと思っています。
文庫で全集をもってるのですが
詩とか書簡とかほとんど読んでません。
『やまなし』は小学校のときに授業でやったのですが
すごく印象に残ってます。
クラムボンは謎ですね^^
宮沢賢治はエスペラント語も勉強してたようですが
こういう不思議な言葉をいろいろ作ってますね。
イメージだけで描かれたような
こういう童話のような詩のような作品も
頭で考えていてはとても
思いつかない感じです。
『やまなし』という童話の中にでてくる クラムボン・・
これがいったいなんなのか 気になったままでしたから(*^_^*)
あるふたりの生徒がノートをとらずに
授業中にふざけてたとき
賢治は黙ってじっと見ていたと思ったら
持っていたチョークをいきなりガリガリと噛み始め
みんなシーンとしてしまったそうです。
また、盗みを繰り返し退学処分に決まった生徒を
賢治は連日警察に通って不起訴にしてもらい
校長以下職員も説得して退学処分を解かせ
最後は自分の先輩を訪ね就職させるとこまで
面倒を見たそうです。
いじめをはじめ、今の学校の様子をみたら
賢治はどうするでしょう・・・
とても興味深いです。
たとえば賢治はタバコを吸う生徒には
ニコチンによって健康なねずみがどうなって死んでいくか
蛇さえ死んでしまうとか懇懇と講義したそうです。
イジメがいかに人を傷つけるか
それがどんなに人として恥ずべき行為か
生徒が身にしみてわかるまで教えるでしょうね。
賢治は他人の痛みを自分の痛みに感じてしまうような
人なので怒るより悲しむかもしれません。
花巻農業高校では、いまも教師が生徒に
こう言うことがあるそうです。
「賢治先生はそういうことを君に教えたてくれたのか
今から行って聞いてこい」
生徒は賢治の碑のとこまでとんでいくのだそうです。
いまの学校の
いじめの現状を観たとしたら
どんな解決方法で解決しようとするでしょうか?
唄・・・
心・・・
自然と人は皆つながり・・・
一人の人をいじめることは
自分をもいじめていることになる・・・と諭すでしょうか?
宮沢賢治は今で言うと
理系の人なのか文系の人なのか
よくわかりません
どちらもできるってことでしょうね
その根本にはしっかりとした哲学があって
ひとつの世界観を持っていた感じです
萩尾望都さんが原発事故のあとに
銀河鉄道の夜をモチーフにしたような
漫画を描かれてましたが
また「銀河鉄道の夜」
読みなおしてみようかと思ってます
つきなさん
一青窈さんの精神歌
とってもいい感じだと思います^^
賢治の授業は教科書は使わずに
生徒自らが体で感じ、考えることで
生きた知識が身につくようなもので
生徒たちにもとっても楽しかったようです。
つきなさんは、わたしよりずっと賢治の作品を
よく読まれてる感じです^^
ほんと、彼の作品は歳を重ねてから
読むとようやくわかってくるものがある気がしますね。
といいつつも、つきなさんのようには
読み返してないのですが(^_^;)
なるほど、賢治はキリスト教の勉強もしてたんですね
さもありなんという感じです。
「オッペルと象」中学の授業でやった覚えがあるのですが
ヘンな話だなあ、って感じでした(ノ∀`)
「猫の事務所」も、もう一度読み直してみます^^
福島原発事故に関連して萩尾望都さんが描いた
いくつかの漫画のなかに
「幻想ー銀河鉄道の夜」というのがあるのですが
ここでは、津波で亡くなったおばあちゃんといっしょに
銀河鉄道のような汽車に乗って
おばあちゃんは途中で降りていくのですが
この時に、「なんにもこわいことはないぞ」
と大きな仏様がでてきてなんだか安心感があるのです。
これは賢治の「ひかりの素足」からイメージしたと
萩尾望都さんが書かれていました。
グスコーブドリの伝記もそうですが
賢治の童話のなかにはファンタジーというより
なにか怖いイメージが潜んでるのも多いですね。
啄木記念館も行ったし斜陽館も。
東北、改めてまた行きたいなー。
お誕生日、9月21日だったんですね
おめでとうございます^^
ことしは賢治没後80年です
本屋さんで特集を組んでる雑誌がありました
賢治の誕生日は8月27日なので
生きてたら117歳かな
ことしの6月に日本最高齢の人が
116歳で亡くなったのでほぼ同じ歳ですね
赤薔薇さん
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です・・・・
っていうのですね
わたしもこれ、何かで読んで覚えてるんですよ^^
あと、妹さんが亡くなったときの
「永訣の朝」を高校の時に授業で習いました
「アタゴオル」読んだことないので
こんど読んでみますね
あ、そういえば賢治の音楽関係のCDを
持ってるのですが、それにも細野さんのが入ってました
一青窈の唄もいいですね。
肥料学の講義の話、とってもわかりやすくて記憶に残るし、しかも文学的な講義
だったんだなぁとつくづく感心してしまいました。
秋になると毎年読みたくなるのが宮沢賢治作品で、子供の頃に理解できなかったこと、
大人になってもまだ理解できていなくて、読む度に新しい発見(気づき)があります。
深い悲しみ、心の大きな痛みを経験したり、あるいは人生経験を重ねないとわからない
部分が徐々に見えてくるようになってきたのかもですσ(´ー`;)
今は手元に賢治作品がないので、ネットの青空文庫がメインになってしまったり、
図書館で借りてきたりなので、onpuさんのブログでは教わることだらけです(゚ー゚`ゞ)
ありがとうございます。
「もう一度読みたい宮沢賢治」という本に吉本隆明が宮沢賢治について文章を書いて
いて、ずっと気になってるのに未読なのでこの秋にはどこかで探して読んでみようと、
思い出しました。
わたしも賢治についてもっと知りたくなりましたよ。
賢治は仏教徒のはずなのに、「銀河鉄道の夜」あたりはキリスト教の感性が強く
出ていて驚いたことがありました。
時代の流れで、キリスト教についても随分と勉強(研究)していたとのことですね。
小学校の高学年で道徳の時間に「オツベルと象」が登場して、「どう思いますか?」
という担任の先生のクラス全員への質問にさっぱり答えが浮かばなかったのでしたが、
いまだによくわかりません(;´▽`A``
「猫の事務所」という童話的な絵本も最後の最後に問いかけで終わって、
そちらの答えは自分の後輩なり、子供なりを育てたことのある身でないと気づけない答え
のような気がしますが、気づかないと(教えてあげないと)いけない大切なことだとも
思うのでした。
東日本大震災直後の福島原発事故では、どうしても「グスコーブドリの伝記」の
最後の場面が頭から離れず、同じように感じていた人々が映画化したのも、
科学的な宮沢賢治が予言者のように伝えたかったことなのでは、と怖かったです。
銀河鉄道の夜は本で読みましたが・・いいですよね。
映画のエンディングで流れていた詩を探して
それで満足してしまって(笑)
これを機に詩の方も少しずつ読んでいってみようかなと思いました(*^_^*)
あ、そうだ
ねこの銀河鉄道ですが
ますむらひろしさんの漫画の『アタゴオル』を読まれていてお好きなら
この映画ほんとオススメです^^
細野晴臣さんのサントラも正にという感じで
とても大好きな映画です
さすがに昭和8年生まれじゃないですけどね。
命日、そうでした!
このまえそう思ってたのに
すっかり忘れてました(ノ∀`)
都里さんのコメをみて
賢治の後輩で友人でもあった佐藤隆房さんが
書いた『宮沢賢治』の臨終のところを読み直してみました。
ほんとだ、法華経を千部って遺言したんですね。
そのあと、「お母さん、水」と土瓶の水をあらかた飲み干して
「ああいい気持ちだった」と身体をオキシフルの消毒綿でぬぐい
横になってまた「ああいい気持ちだ」と肩で弱く呼吸をし
母親が「ゆっくり休んでんじゃい」と床を直し用事のために立ち上がり
ふと賢治さんを見返ると、ずうっと眠りに入っていくようで呼吸も
潮の引くような感じで、思わず「賢さん、賢さん」と叫びましたが
もう返事はなかったということです。(´;ω;`)
昭和8年9月21日、午後の1時半だったそうです。
37歳って若すぎるよねー。
↓にチラっと話題になってはるけど
遺言は法華経を1000部刷ってください、だったそうです。
私はonpuさんみたいにきちんと作品を読み込んだりはしていないけど、
高校~大学ぐらいんときに、すごい感覚的に好きになって、
何度か墓参りに行きました(笑
花巻、素朴で良い土地だよね。
わあ、お母さま、宮沢賢治のファンだったんですね^^
賢治は宗教家というか求道者みたいな人でもあったようで
ある生徒は賢治を町で見かけたのですが
「・・・和尚さんが一人菅笠をかぶり、うちわ太鼓を持って
軒下でお経をあげていた。低い声で読経し、合掌し
軒から軒へと回っていた。これが宮沢先生だったんです。
雪の降る夜で私はご苦労だなあと思った覚えがあります・・」
ほえ、法華経って、南無妙法蓮華経~って、あれですね
そんなすごい教えなんですか!
こんどなんか法華経の本、読んでみます^^
星めぐりの歌
いいですよね
「あちこちで星めぐりの歌がはじまりました」
星座たちが歌ってる、すごい想像力だと思います
賢治の童話は、ほんと独自の世界観がありますね
赤薔薇さんは、賢治の詩も読まれますか?
わたしは詩はほとんど読んだことないので
こんど春と修羅を読んでみようかと思ってます
あ、このますむらひろしさんの猫の銀河鉄道
友だちが、とってもいいよと言ってたのです
探してみようかな
とりさん
これもまた、別の生徒の話ですが
「先生は実にすばらしい授業をされた。
稲のこと、肥料のこと、土壌のこと
その一つ一つを実際に即して生徒が興味を
もつように指導された。農場の実習など
畑を耕しながら、種を蒔きながら、面白い話をされる
歌を歌い、興味深い科学の話などもされた。
私たちと一緒に鍬をふるっている先生の話に夢中になってると
流れる汗も忘れ、予定された作業がもう終わってしまう
というありさまなのである」
いちごぴんくさん
わたしは、有名な童話を読んでるうちに
しだいに有名じゃない童話も読むようになって
賢治が教師をしてたこともあると知って
それに関する本を読んでみて
なんてすばらしい先生だろうって思いました
賢治は教師をやめるにあたって、生徒諸君に寄せると題し
「この四ヵ年がわたくしにどんなに楽しかったか
わたくしは毎日を鳥のように教室でうたってくらした
誓って云ふが
わたしはこの仕事で疲れをおぼえたことはない・・・・」
と書いています
星めぐりの歌の
小さなオルゴールもってます^^
細胞核の話、こんな例もあります
「蛇を見て、背筋に何かが走る、嫌だ。
蛇のいやな記憶などないのに・・・
そう、細胞核が覚えているのです、遥か昔
我々の祖先が恐ろしい爬虫類に怯えながら生きてたのです・・・」
賢治の歌、はっきり言って変わったのが多いですよね^^
あ、ポランの広場知ってます(´▽`)
わたしの知ってるのはこれです
これも賢治の作曲というより原曲があるようですね
http://www.youtube.com/watch?v=UIczBYImIYQ
みるくおんぷさん
「自分を捨てて、ひたすら他人の幸福のために
つくすという一念に燃え、他を利することはあっても
自分のためにのみなるようなことは賢治はしなかった。
彼がそばにいるだけであたりがパッと明るくなる。
彼は他人の喜びや悲しみを自分の喜びや悲しみと
同じように感ずることのできる人だった。」
こんなふうに彼を語る人もいます。
会ってみたい気がします^^
母が賢治さんのファンで! 「雨にも負けず~~」ってこんな人が
一番尊敬できる人なんだよって、教えてくれました。
それから、法華経を学んでいたことも。釈迦の教えの中で、最高の教えなんだって!
だから、あのように高いレベルの人間性を会得することができたんだって!
はい!有名…なのかな?たぶんw
がんばります♪
プラネタリウムで銀河鉄道!
それいいですね、メチャ見てみたいです(≧∇≦)
雨ニモマケズ・・・
病床で賢治が手帳にメモしてたものみたいですね
以前に岩手県出身のおばあさんの女優さん(名前忘れました)
が、岩手の方言で
アンメニモマケズ カンゼニモマケズ・・・
みたいな感じで朗読されてるたのがとってもよかったです
さくらちん
あらら、PCおもいのさくらちん(^-^)
あー、そうですよね
ゴッホなんか今だと何十億円もするのに
生前売れたのはたしか1枚だけとかですよね
賢治の盛岡中学の先輩にあたる石川啄木も
生前は悲惨な感じだったようですし
でも、賢治は詩には自信をもっていたようで
いつかみんながきっとわかるようになるんだ
と言ってたらしいです
小早川さん
小学校の教科書に『やまなし』が載っていて
「クラムボンは死んだよ・・・」というのが
妙に印象深くて忘れられなかったです
賢治の童話は、ストーリーは
あるんだかないんだかよくわかりません
イメージが印象に残らないと
理性的な人の頭には残らないかも
しれないですね
生徒の中にも
「あれは宮沢先生にしかわからないんじゃないか」
と感想を持ってる人もいたようです
蘭丸さん
命がずーっと時間的にも空間的にも
続いてる感じですね
しかも有機物も無機物も、ということを
当たり前のように考えていて
「先生は物質を物質と見ず、それらのささやきを
聴くことが出来る人で普通の人間の感覚とは遥かに超えた
ものをもっていたように思える」
という生徒の言葉もあります
こんな風に説明してくれる先生は本当に素敵ですね
その時は意味が分からなくても、時間が経つと
「ああ、あの時先生が言ってたのはこういうことだったんだ。」って思いますよね
おお、さすがはチェリちゃん(^-^)
ちなみにチェリちゃんは、何が一番好きですか?
わたしは小学生のときには
宮沢賢治の魅力はよくわからなくって
「セロ弾きのゴーシュ」や「風の又三郎」も
子供の時はそれほど面白くなかったのが
何年かして読み直したら面白くて
その後、童話はほとんど読んだと思います
でも、詩は今もむつかしいです(^_^;)
Anneさん
精神歌は、賢治が先生になって
2ヶ月くらいの時に書いたのですが
同僚の教師に意見を求めたところ
あまりに高次なので、彼はなにもいうことが
できなかったという逸話があります
行事など、ことあるごとに歌われてたそうです
そらさん
ミクちゃんは、いいですよ^^
人が歌うよりいいなって思うときもあります
オリジナル以外にも
抒情歌とか演歌とかいろんなの歌ってて
聴いてると楽しいです(^-^)
賢治の有名な言葉に
「世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はありえない」
というのがありますが
自己中心的だと温かい世の中にはならない
ということなのかなとか考えるのです
素敵姐さん
「宮沢先生こそ、先生になるために
生まれてきた人のように思いました
授業は明快そのもので
生徒を飽きさせるようなことは
ただの一度もありませんでした」
そんな教え子の言葉もあります
みおたん
注文の多い料理店
子どもの頃に読んだのですね
なるほどそれは衝撃的かもしれませんね^^
賢治の童話には
以外に自然の残酷さみたいなのが
あらわれるものもありますね
蘭丸さん
賢治は、日蓮宗の信者でもあり
宗教活動をしてたことあるのですが
先生をしてても、農業をやっても
童話や詩を書いてても
どこかで求道者という感じがします
なにをするにも
哲学的、宗教的なしっかりした思想が
底辺にあったのだと思います
昔どこかで聞いたメロディのような気がして
とても懐かしかったです。
聞いているとなんだか満天の星空を見たくなってきちゃいますね^^
宮沢賢治の作品は好きなので
時々思いつくと好きなのを読んでます
優しさと厳しさに泣けちゃうんですが
やっぱり好きなんですよね~
あの世界観
急に懐かしくなって劇場アニメの『銀河鉄道の夜』探しちゃいました(*^^*)
http://www.youtube.com/watch?v=rfBYp2Ep7fI
本当の幸福に通じる道はそれなのです。』
言葉が深いですね
その言葉の本当の意味がわかるのは、
それを具体的に答えられるのは
辛かったこと、楽しかったこと、失敗、成功、いろんな経験を積まないと
わからないかもしれないですよね
「星めぐりの歌」、聴いてきました、素敵でした。
私達の細胞の一つ一つに大きな時が流れて未来へ繋がってくんだなぁ、と
改めて感じました。
そう言えば小学校の時に、なぜか宮澤賢治さんの歌をよく歌わされてて…。
「ポランの広場」と言う曲だけが記憶に残ってて。
動画を検索して聴いてみたら、歌詞はそのままなんですが、曲が全然違う???
今でも歌えるんだけど、記憶違い?めっちゃ音痴なんでそのせい???
この歌詞もいいんですよね~。
何作か読んだはずなのに・・・教科書にも載ってたかもしれない。
でも覚えてない。
なんでだろう?
最近、私のPCが重くって;
今、また来てみたらやっと歌が聴けました♪
どうして才能のある方って、亡くなってから有名になったりするのでしょうね?
画家さんとかでもいらっしゃいます。
自分を売り込んだり、良い評価をしてもらえるような、
そんなことにあまり時間を割かないのかな?
それより授業や、自分の作品は
自分の分身でもあって、自分の細胞みたいなものなのかも^^
生徒たちや、作品に触れてくれた人たちの心に刻まれていくことが
嬉しかったのかな~なんて思いました^^♪
学校では…『雨ニモマケズ』を暗記させられた覚えが…^^
みおたん
賢治さんは、体はあまり丈夫でなく
運動も苦手だったみたいです
学校の先生をやっていたことは
意外と知られてない感じですね
賢治さんの授業は教科書を暗記するような
ものとは全然違う、考えて身体で覚えるような
楽しくて感動の連続だったらしいですよ
ほんと、自然を愛して
石ころから宇宙まで、すべてのものに
命があるみたいな感じですよね
メメさん
「いつまでも宙ぶらりんの教師など
生温いことしているわけにはいけませんから
教師をやめてほんとうの百姓になります」
みたいな手紙を知人に出してるのをみると
メメさんのおっしゃるとおり
農民であろうとしたのでしょうね
彼の童話とか、ほんと
頭で考えついたというより
実際に目で耳で感じた世界という感じがしますね
kichaさん
賢治の童話や詩はすばらしいですが
人間、宮沢賢治、なかでも
教師としての宮沢賢治もかなり魅力的です
授業の時間があまった時などに
自分の童話を読んで聞かせたりしてたそうです
賢治の教え子の人たちによって残された話を
読むと、ほんと、授業を受けてみたくなります^^
蓮花さん
わあ、小さい頃から賢治の童話を
読んでらしたんですね
彼の童話は独特な世界がありますね
言葉の使い方、語感や特異なオノマトペなど
イメージがとっても広がってゆく感じです
ストーリーよりも、言葉がそのまま
印象深く残ってたりします
イーハトーブ!
岩手を夢の国にしてしまう魔法の言葉
こんなの考えつく人、他にいませんね
pisaさん
賢治は自分の詩を
心象スケッチとも言ってますね
教師時代も手帳をポケットにいれて
歩いていても、突然走り出して
ホッホーと声をあげて飛び上がり
とつぜんものすごい勢いで
手帳に何か書き付けたりと
そんな姿を覚えている生徒もいて
言葉がほとばしり出てた感じです
まさか教師もやっていたなんて・・・
1つの細胞の話から始まって宇宙で終わるなんて、
考え方がすごい・・・
こういう素晴らしい考え方を持っているから、
一度読んだら忘れられない
すばらしい文学を残していったのですねw
怖い猫ちゃんもいるんだなあって思ったんですよ(^_-)-☆
普段聴かないので 新鮮でした(*´艸`*)♫
種々尊厳な考えを 普段から意識していられたら 温かい世の中になるだろうか・・・。
廻るめぐる宇宙のごとし・・みたいな・・・。
onpuさんのブログは 読んでいると いつも ラジオを聴いてる気持ちになります✿
おもいだしました・・・
また 読んでみたくなりました。
ありがとうございます。
幼いころから
彼の絵本や小説のなかで冒険をしたり
言の葉のきらめきを追いかけて
夢見ながら微睡むのが幸せでした❀^^❀
えっと。。✿今でも一緒です✿^^✿
いつの日か。。☆私もイーハトーブへ旅立つんだ~っって❄> <❄
毎夜廻る真夜中の。。★夢です❀^^❀
宮沢賢治といえば銀河鉄道の夜、セロ弾きのゴーシュ、後は雨ニモマケズ、位しか知りませんでした~
流石onpuさん、引き出しがいっぱいあるなあといつも感心ですヾ(・◇・)ノ ピヨ♪
宮沢賢治って農業や自然をを通じて世界を、そして哲学を語られているような気がしますね。
そんな素晴らしい授業、私も受けてみたい!
彼が残した童話や詩を、もっと読んでみたいと思いました(*゜▽゜)ノ
のうみんだったのでしょうね。。
しぜんに ふれ
いきものに ふれ
そのたんきゅうしんは うちゅうへも ひろがったのだろうと おもいます。。
だから かれの ことばは
くうそうではなく
じっさいに かれが みた ものなのかも。。
すてきですね。。にこっ。
私は賢治さんと聞くと「銀河鉄道の夜」が一番印象深いですが、なんとなく結構年の言った方の書いた物だと思っていました。
とても奥が深いと思ったもので…。
とても自然を愛する方なんだと思っていたら先生だったんですね。
生きた授業、まさしくそうですね、生徒さんがずっとその授業内容を覚えている位素晴らしかったんですもの。
まだ知らない知識を賢治さんの授業で教えてもらっている生徒さんのキラキラした目が思い浮かぶようです。
彼の書いたお話や生き方でどんなに自然を愛したか分かりますね。
土を水を空を空気を愛し、東北の綺麗な夜空を見て想いをはせて…。
何だか昔読んだ彼の本をまた見たくなってしまいました(*^_^*)