Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


思い出すために、でかけたのではなかったが


大野麥風展に出かけてきた。
東京駅にある、東京ステーションギャラリー。
サブタイトルは「大日本魚類画集」と博物画にみる魚たち。
どこかで…JRのどこかの駅…たしか両国の江戸東京博物館にいったときとか
新宿駅でとか…。
美術館にでかけたときだ、魚の絵のポスターに、ふと目がいった。
ふぐが数匹、海のなか、サンゴの手前で泳いでいる。
ポスターでは、実際はどうなのかわからない。
印刷されたものと、実物では、やはりオーラがちがうから。
この作品はもとは版画だというが、版画でもそうだ。
つくられた時の熱をはなつ版画と、
印刷ではちがう。
だから、あまりあてにしてはいけないが
糸口ぐらいにはなる。
ちなみに、展覧会がおわったあとに買う絵ハガキ、あれも
オリジナルとは別物だけれど、
オリジナルをみた時の感動をおもいだす縁になる。
わたしはそのために買っている。
思い出のために。旅のお土産のように。

大野麥風…もしかして出会いがあるかもしれない…。
そう思ってでかけたのだった。

出かけて、実際に見て、気付いたことがある。
動物を描いていること、ポスターが目にとまったこと、
このことで、わたしはニコ・ピロスマニを思い出していたのだ。
2008年だったか、白いクマの親子たち。暗さのなかに、やさしい悲鳴のような
母クマの顔…。
いま、とうじの図録をめくっている。
わたしはどんなに、ピロスマニが好きだったか。
いまもすきだが、オリジナルをみたのは
そのとき(三回みにいったが)だけだ。
ともかく、ピロスマニの絵のポスターで、
なんとなく「青春のロシア・アヴァンギャルド展」に出かけた、
そのときの衝撃を、どこかで期待していたのだと
大野麥風展で、魚たちをみていて、さびしく思いいたったのだ。
ピロスマニのかわりなどいはしない。

あるいはウサギやリス、モズをえがいた作品をみて
(展覧会のなかでの、魚以外の彼の作品は、ほんのわずかだ)、
奥村土牛や、速水御舟の絵をみるときの心のざわめきを
思い出したりした。
さらに、魚たちを描いた版画や、掛け軸となった絹本彩色作品では
若冲を…。「動植綵絵」の貝や魚たちにはじめて出会ったときの…。

なんだか、もうしわけないようだが、わたしがなにを求めて
展覧会にきたのか、わかったようなきがした。
彼らとの邂逅のおりの感動、かれらとの大切な思い出のときを
大野麥風展でも、味わえるのでは、あるいは
彼らの一員になってくれるのでは、そうした期待が
心のどこかにあったのだと、痛感させられたのだった。

そう、大野麥風l個人については…。
微妙である。
共鳴のさざなみは、あるにはあった。
彼の魚の絵に、海をかんじた。水をかんじた。
およぐ姿が、幻想として、絵からつたわってきた。
それは水族館でみる魚よりも、幻想へのリアルな道筋ではあった。
ヒラメが海底の砂にうまっているときの、砂の感触がつたわってくる。

だが、ピロスマニ、若冲、おふねさん、つちうしくん、
かれらとの出会いのあとでは、どうしても、もうしわけないが、
なにかが、すくないのだ。

それでも、展覧会にきてよかったと思う。
バーン=ジョーンズ展で味わった、がっかり感はない。
と、なにか、比べてばかりで、みょうな感想になってしまっているが。

東京ステーションギャラリーにきたのはひさしぶりだ。
最後にいったのはおそらく十年以上前ではなかったか。
レンガの中の素敵な美術館だ。
レンガは階段をおりるときに出現する。
おもわず、壁にさわりたくなるが、
壁にさわるのはご遠慮ください、だ。
だが時代を感じて、レンガをみるだけでぬくもりがつたわってくるようだ。

むかし、この東京駅、ステーション・ホテル内にある
「カメリア」というバーで、マティーニを飲んだなとも思い出す。
マホガニーをふんだんにつかった、おちついた雰囲気のバー。
もう亡くなってしまった恋人につれていってもらったのだった。

なにか、ほかの思い出ばかり、うかんできてしまう、
不思議な展覧会といえば、展覧会ではあった。






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