Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


琳派・若冲と花鳥風月展 その3


「所蔵作品展 琳派・若冲と花鳥風月展」(千葉市美術館、八月二十七日~九月二十三日)。続き

 展覧会を一巡してのちに、鈴木其一や酒井抱一、そして若冲の作品をまた、何度か、眺めにいった。この《月夜白梅図》、見るたびに、日常の呪縛が薄れてゆくようだった。ただただ白い淡い光がやさしい。
 そう、ほかにも酒井抱一、中村芳中など、ひかれた作品があったのだが、期待していた図録や絵ハガキなどのお土産もなかった関係で、ここにその絵のよさを書くことが難しいので、省略する。
 美術館のある階から降りて、一階の美しい建物へ、さや堂ホールとある。さやにおさまった建物という意味から来たのか。つめたいような石のぬくもり。このぬくもりはおそらく時代を経てきたからだ。荘厳で、けれどもどこかやさしい。
 実はここにきたら、もう一か所、寄りたいところがあった。千葉駅からモノレールで二駅の千葉みなと駅に向かう。たしかいつか…おそらく十四、五年前も行ったところだ。千葉みなと駅には、千葉県立美術館がある。もしかして、そちらに行ったときだったかもしれない。いや、やっぱり今みたいに千葉市美術館からだろうか…。千葉みなと駅で降りる。降りて、ポートパークへ。海が見たかったのだ。だが記憶よりも意外と歩く。十五分ぐらいして、ようやく公園へ、まだ海はみえない。松が見えた。その向こうにようやく海だ。
 …コンビナートなどや埋め立て地が見えるし、公園も埋め立てだろうし、人工的につくった砂浜だったろう。海の水も灰色じみて、あまりきれいとはいいがたい。だが海だ。ともかく海だ。わたしはこれが見たかったのだ…。ふと、耳栓をしっぱなしだったことに気付く。美術館からずっとつけていたのだ。あわてて、とる。波の音がやさしく、打ち寄せてくる。白い泡。そうだ、耳からも景色を感じなければいけないのだと思う。
 天気はくもりだったが、雲の切れ間からヤコブの階段が海にむかってかかっていた。階段は輝いてみえる。輝きをもって、海に降りてくる。自然からの贈り物をもらったようだ。海にはウインドサーフィンをする人々。カメラをもってきてなかったので、携帯で何枚か写真を撮る。ヤコブの階段を撮りたいのか、海が撮りたかったのか。いや、この場の瞬間の一端を思い出す縁がほしかったのだ。シャッターをきる音に波の音がよりそっていた。
 海を背に、公園を通ってまた駅へ。波の音から離れると、今度は秋の虫の声。先程は耳栓をしていて気付かなかったのだ。つくづくこういう場所では耳栓をしていてはいけないのだと思う。こんなに鳴いていたのだから。ふとキンセンカだったと思うのだが、橙色の花が、ぷっくりと咲いているのに出会った。それはさっきまでいた美術館でみた花のようだった。なんといえばいいのか、作品として展示されている姿を彷彿とさせたのだった。やさしい花たちのあいさつだ。
 帰りは千葉みなと駅から京葉線で自宅方面に向かうことにする。ついまた、耳栓をして。東京駅で駅弁を買う。晩御飯用だ。すこしのぜいたく。買う時に、電車のなかで食べる人の気分を想像した。
 電車の中で本を読む。そしてまた眠る。たぶん、帰りのほうが、心が穏やかだ。自宅最寄駅につく。こんどはすぐに耳栓をはずした。
 自転車置き場からすら虫の声。あたりはすっかり夜だ。暑さも一段落。さびしい秋がまたはじまるのだろう。すごしやすいのに、どうして秋よりも夏のほうが好きなのか…。自転車をこぎながら思う。夏はピークで、秋は終りにむかってゆっくり流れる季節だから。用事があって、いつも通らない仙川沿いの道へ。桜の時期は両岸の桜並木が見事だが、それ以外の時期はほとんど来たことがない。なんだかこそばゆいような緑の桜の木。すこし離れた場所から見てみると、それは森のようだった。桜の木の森。というよりも単に森だ。虫の音がまたしている。




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