Nicotto Town


うみきょんの どこにもあってここにいない


若冲と花鳥風月展 その1


 新聞の特集欄で「所蔵作品展 琳派・若冲と花鳥風月展」を千葉市美術館で開催していると知った。八月二十七日~九月二十三日。うちからこの美術館までは、すこし遠い。電車賃も片道千円ぐらい。だがちょうど計画していた小旅行が中止になったので、その分のお金をまわしてゆくことにした。図版も買えるだろう、駅構内で八街のピーナッツも買えるかもしれない(結局、どちらも買えなかったが)。
 早朝バイトが終わってから出かけるので、まだ頭の切り替えがうまくゆかない。バイト先の出来事をいちいち反芻したりしてしまう。おもに仕事ができない、ある人物の挙動について。だが考えることで改善ができるというわけではない、ならば反芻せず、考えないことだ…と思っても、なぜだろう、つい反芻してしまうのだ。日常をよく生きることが、非日常をよく生きることだと、多分、思っているから。非日常は逃げ場ではないから。そう、わたしはこれから先、非日常へ向かうのだ。
 あるいはそれは小さな毒のようなものなのか。体にすこしだけ浸透してゆく。浄化なのか消化なのか、そうして毒をないものにするに、時間がかかる、あるいは、薬のようなものが必要なのか…。

 電車に乗るのも非日常ではあるが(通勤などで全く使わない生活だから)、電車に乗ると、人の話す声がまず耳についてしまう。うるさい(多分それほどではないのに)。それは日常からの語りかけのように思えてしまう。電車のなかで語られる会話に、ほぼ幻想はない。思い出したように耳栓をする。遮断されるわけではないが、だいぶましだ。土曜日の午前中、しかも急行だというのに、なぜか座れた。たしか土曜日でも結構、上りは混んでいるはずだったが。耳栓をして本を読む。だがバイトの疲れがあったので、途中で寝てしまう。新宿駅に着く。
 新宿駅から総武線で一本で千葉駅へゆく。たぶんもっと短い時間でつけるルートもあっただろう。新宿から千葉まで、七十分以上かかっていたが、ともかく眠りたかった。幸い、というか、予想していたのだけれど、こちらも座れた。途中、子供たちが五人ほど乗ってきて、わたしの隣の席で、飛んだり跳ねたり、はしゃぎまわって閉口したが(何かの罰ゲームなのかと思った)、それも七十分の最初のほうだけだった。眠るには十分な時間があった。眠ることで、日常から非日常へ、心を泳がせること。
 千葉駅につく。改修工事中とかで、ほそい通路しかみえない。なんだか迷路みたいだ。以前電車で来たとき、このどこかで千葉の物産を売っていたのだったが…と思う、そうピーナッツ。迷路から抜け出て、突然東口へ。残念、売っていなかった。東口から駅ビルの商店街のようなものが広がっている。ショーウインドーに洋服や小物たち。都会にでることがなくなって久しい。ふだん見ることがなくなっているので、これも珍しい。宝物のような手招き。
 前に電車で来たのはいつだったか…。おそらく四、五年ほどまえ。会社が倒産した後、時間に余裕があったころだ。その前、はじめてここに来たのはいつだったか…、もっと前だ。十四、五年前。特に後者、当時の大切な思い出をふと振り返ってしまう。どちらでも、たしかピーナッツを買って帰ったのだが。
 美術館までの地図をインターネットで拾って、プリントアウトしてきたのだが、地図だけだとわかりにくい。それでも何回かきているので、道にまよわずすんだ。そのことも懐かしい。ここを曲がればいい。この店に見覚えがある、突然橋が出現する、ものすごい汚い川が流れている…。珍しいと思ってしまう。お堀なんかも、このぐらいだろうか。いやもっときれいな気がする。自宅近くを流れる野川が、見た目には澄んでみえるから、なおさら比べてしまうのだろう。ところで、この淀んだ川、なぜかあまり記憶がない。そういえばあったかも…と、かろうじて思い出せるぐらい。川好きなのに妙だ。汚れていたら、それを悲しく思って、記憶にとどめていたと思うのだが。
(続く)




月別アーカイブ

2024

2023

2022

2021

2020

2019

2018

2017

2016

2015

2014

2013

2012


Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.