変わらないな
- カテゴリ:日記
- 2013/09/08 00:08:41
こんな仕事に就職できればこうなれるのに、
こんな人が自分を好きになってくれば、幸せになれるのに、
休みが多ければこんなことができるのに、
まぁ、色々と自分をとりまく環境に不満はあるでしょう、
実際の所、その環境自体を本気で変えることができる人って
少ないだろし、環境を変えたとして、思っていた生き方が
できるようになった人も、少ないだろうと思う。
確かに、環境は大切だけどさ
何がどう変わっても、
人が変わらなければ
不満の中身が変わるだけのことで
幸か不幸かで物事を考えると
何も変わっていなかったりもする。
そうだな、
おいらは、すぐ手の届くところに
いつも使うものをおいておければいいな。
これがまた、すごく難しいんだ・・・
ありがとうございました。
まさに、8日に心に思っていた内容を
わかりやすく表現してくださっていたので
嬉しかったです。
(◡‿◡๑)
だって 今はそれしか出来ないんだもん(。◡‿◡。)
くらもとさん ありがとう・・・。 なんです。
因果応報・・・・
果も報も目的として因を作るわけだけど
つまりは、この「因」
何もしない(特別なことは)ということも含むわけだけど
これを変えれば、当然、果も報も変わる。
どう変わるかは、未来のことなので予測はできても
確定はできない。
そういう意味でいうなら、言葉は全て過去形。
ただ、「こうなった」
と、いうことなのかと思ったりする。
因を
「笑顔」という行為にすれば、
「報」では、相手からの「笑顔」という予測はできる。
必ず得られるかは分からないけど、
因を
「無愛想」にするよりはね・・・
まぁ一番手の届くところにおいて便利なのは
「人」だろうけどね。
環境が変わっても人が変わらなければ・・・って
本当にそうですよね。
私も環境を変えたいなって思ったりする事があって、
でも変えれたとしても、今のままじゃ、また同じ様になってしまうんじゃないかって思ったり。。
なかなか難しい。。^^;
そのうちどうにかなるさって思ったり。。
「気分が良いのとか、悪いのとかは、自分の気持ち、考え方次第なんだ」
って、感じてたとこだったのです。
コタツに入って、ずっとぬくぬくでいられたらいい・・・・・・
周りに何でも置いて、コタツから出なくても済むようにしたらいい。
でも、やっぱりどうしてもコタツから出なくてはいけないこともあって(笑)
出るまでは、面倒くさいし寒くて嫌だし。
出て動き出してしまえば、なんてことないんだけど。。。
動いていれば、コタツの存在は忘れるし、コタツ以外の幸せがあるって気づいてなくても
身体がそう知っているんだなぁ・・・・・・
っていう話じゃないね^^;
小さな幸せ、たくさんの感謝、そういうものは大事にしたいと思う。
そして、そういうことに気づくことができるためには、常にアンテナを張っていなければとも思う。
見過ごしてしまう物事が多いと、もったいない・・・・・・
こういうことを気づかせてくれる人との出会いは、大きな幸せ。大いに感謝。