残滓がとおくで灯っている
- カテゴリ:恋愛
- 2013/08/15 18:52:31
恋愛ということばが気付くとひとごとになっている。
とおい世界というよりも、
さわっているのに、わたしはもはや触れていないという
奇妙な感覚。
恋愛感情に似たもの、残滓なのか、
かつての恋人をどこかであまくおもいだす
そんなことなら、つい最近まで、はじっこのほうで
ぼんやりともっていたと思う。
そうした感情がまったくなくなっているのは
どうしたことなのか。
ひとにあまりあいたくなくなっていることとも
関係しているだろうか。
ひととのかかわりがわずらわしくなってきている。
うちで、男と、たわいのない会話をする…
ほとんど会話ですらない、意味すらなさない、ことばだけで
十分だ。
だからといって、男にたいして恋愛感情をもっているとか
そういうはなしではない。
エネルギー量の問題だろうか。
恋愛につかうエネルギーがもうないのだ。
むかしは、どこかで恋愛は芸のこやしみたいなことを考えてきた。
書くうえで、想像力をかきたてたり、そういったこと。
いまは、書く想像力なら、ほかからもらってきている。
ほかがどんなとこか、よくわからないけれど。
あしたはひさしぶりに美術館にゆく。
このところ、バイトがつかれているからか
電車にのるのがおっくうだったからか
でかけていなかったが、
むしょうに絵がみたくなった。
速水御舟。
たとえばそれが恋だ。
蝉の声がまだする。