靖国神社参拝支持とインディアン
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- 2013/08/14 08:24:25
歴史を学ぶ際には、現代の私たちの視点ではなく、
当時の人の立場に立って見る視点が重要です。
まず、このエントリで最初に確認しておきたいことは、
「アメリカ大陸で主な住人=原住民でない」という事実。
(日本で主な住民は日本人であり、原住民も日本人です)
その次に、靖国神社への政治家の参拝は
戦争により犠牲になった軍人を追悼
(ついとう:犠牲者の生前をしのび、悲しみにくれること)
することであります。
徴兵制度による徴兵年齢がご存知でしょうか?
ニコッとタウンに住む中心的な年齢層と思われる
18才以上の男子が健康などの検査を受けて、
合格した人は戦地に送りこまれました。
合格した人は拒否することはできません。
戦争をしているという日本の政治決定により、
好むと好まざるを得ず、戦争に行かざるを得ませんでした。
貴方が男性なら、貴方は外国に行き、
前線で戦わなければなりません。
貴方に彼氏がいるのなら、彼氏とは再開できない
別れの日が出征日(戦争に行く日)です。
貴方に夫がいるのなら、家のことを全て任されます。
貴方に父親がいるのなら、
お父さんは天国に行ってしまいます。
その当時の悲しみはどのくらいでしょうか。
政治家が戦争の犠牲者である軍人を追悼するのは
政治家が誤った選択をして国民を悲しみに巻き込まない
という反省を込めます。
戦地に行く人たちは、強制の中やむを得ず
戦ったのでしょうか。
もちろん、メディアや国による教化がありました。
しかし、以前のエントリにも書いたとおり、
戦地に赴いた人たちは、自分達が逃げたら、
後方にいる、自分が命をかけて守りたい、
彼女、妻、家族を守れないと思い、命がけで
戦ったのです。ですから、死ぬことは怖かった
でしょうし、無念だったでしょうが、
逃げずに自ら戦ったのです。
当時の日本が戦ったアメリカという国は、
インディアンを滅ぼし、ハワイ王国を併合し、
フィリピンを植民地にして、メキシコと戦争した
そういう国でした。
現在のアメリカを自分は立派な国であると思います。
しかし、当時の日本人(政治家でも国民でも)が
アメリカの姿を見たら、自分達がインディアンのように
絶滅させられる、と思ったはずです。
この恐怖感が戦争を続けさせた理由です。
そして、軍人たちはいよいよ死ななければならない時、
戦友と「靖国神社で再会すること」を約束しあって、
最期の任務に自分の力をふりしぼってあたりました。
靖国神社で再会を誓い合う事が戦友の約束であった、
悲しい時代を忘れ、靖国神社に祀られた(まつられた)
人々を忘れることは、若い人には有ってならないと
上記の理由で思います。
同い年の友達が、日本と守るべき人を守り、
死ぬことが分かっていて、犠牲になったら、
貴方は何も思わないのでしょうか?
日本は第二次大戦で負けました。
軍人は負けたから価値が無いのでしょうか?
愛する人達を守れなかったのでしょうか?
沖縄で、東京で、広島で、長崎で、その他
日本各地でアメリカ軍による民間人を含む
無差別爆撃が行われました。
軍人たちは先帝陛下の昭和天皇が
ポツダム宣言という降伏文書を受け入れるまで
戦い続けていました。
もしも、先帝陛下が戦えと言えば、
日本人の最後の一人まで戦ったことでしょう。
それはインディアンの歴史を見る恐怖感です。
アメリカは日本人をインディアンのようには
しませんでした。
それは今の日本を見ればわかるでしょう。
理不尽な占領政策はありました。
アメリカ軍基地は残っています。
それでも、昭和天皇が占領軍トップの
マッカーサーとの会談で語った
「日本国天皇はこの私であります。
戦争に関する一切の責任はこの私にあります。
私の命において全てが行われました限り、
日本にはただ一人の戦犯もおりません。
絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に
処せられても、いつでも応ずるだけの覚悟は
あります。
しかしながら、罪なき八千万の国民が、
住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿に
おいて、まさに深憂に耐えんものがあります。
温かき閣下のご配慮を持ちまして、
国民たちの衣食住の点のみご高配を賜りますように」
という願いは届けられたと今の日本を見て思います。
アメリカにとって共産主義との戦い、
国内の厭戦(戦争を継続することを嫌う意見)感情
などもあったでしょう。
自分は、アメリカを含む日本と戦った国が、
日本強し、を意識したからこそ、占領政策が
融和的になったと思っています。
前線で戦った軍人である若者の力が
日本は敵として手強い、味方としてつければ
力強いと日本の敵対国に思わせたのです。
日本が懦弱で逃げてばかりいたら、
日本は今頃インディアンと同じ運命であったと
思います。ハワイ王国はありません。
実際、第二次大戦後、インドネシアなどは
オランダと戦っています。
弱し、と思われたら植民地支配が続いたのです。
それが当時の物の見方、常識であったのです。
靖国神社は宗教施設ですから、信教の自由に
おいて政治家の靖国神社参拝に反対する人もいます。
しかしながら、日本では信教の自由は認められています。
靖国神社に政治家が参拝したとして他の宗教が
迫害されたりする事は考えられません。
また、当時靖国神社で再会を誓い合うように、
靖国神社というのは、宗教施設でありながら、
公的な側面を併せ持っていました。
また、アメリカ大統領宣誓式のように、
聖書に手を置き宣誓する、宗教の礼儀が
習慣的に続く事がありますので、日本における
靖国神社の存在も歴史の中の文脈を理解する
必要があると思います。
日本の政治家、当然に首相、閣僚が
第二次世界大戦で犠牲になった軍人を追悼する事は
二度同じ災禍(わざわい)を起こさないように
政治家として参拝するのは常識です。
そして、軍人というのは、名誉を重んずる人々であります。
日本の自衛隊が、災害救助に命をかける、命をかけた
行為に国民が賞賛することなければ、
誰が命を賭けて国民を守るのでしょうか。
税金払ってるから当たり前、と思うのなら
命を賭けなければ助からない任務で誰がそれを
進んでするでしょうか?
軍人の名誉の為に、日本人を代表して、政治家が
軍務による犠牲者を追悼するのを
現在の軍人である自衛隊の人々は見ています。
現在の国民の安寧の為にも、政治家による
靖国神社参拝は粛々と行われるべきであると思います。