「契約の龍」(92)
- カテゴリ:自作小説
- 2009/08/10 00:06:16
呪陣の間への入り口は、祠の奥に接している岩壁にあった。四角く囲った枠の中に、「開扉」の呪文を書き込んだだけの、シンプル極まりないもので、その呪文も、明らかに素人が描いた――書いた、ではなく、何かのお手本を丸写ししただけ――と判る、たどたどしいものだった。枠の四隅が浅く穿ってあるのは、目印なのだろう。
呪陣の間に入ると、国王は眉間にしわを寄せて、耳をふさぎかけたが、すぐに思い直した様子で手を下ろした。そして、自分たちが呪陣を通り抜けるのを確認したら、外へ出るように言い置いてから、クリスを伴って転送呪陣を発動させた。
「…行きましょうか。いつまでも私たちがここにいたら、陛下のお体に障る」
ナヴァル伯がそう言うので、素直にそれに従った。
「呪陣の間に人が入ると、何が起こるか、について、予め聞いていたんですか?」
入り口の横に、「寛いだ」姿勢で立つナヴァル伯に訊ねてみる。武官らしくない、穏やかなたたずまいの人だが、立ち姿はいかにも武官のものだ。
「いいえ。でも、ああ見えて結構我慢強い陛下が、反射的に耳を抑えようとされましたので…結構大きな音がしたのではないかと」
ああ見えて、って…普段周りにはどう見えているんだ?
二人が戻ってきたのは、昼少し前だった。思ったよりも時間がかかったのは、積もる話でもあったのだろうか。
「さあああむかったああ。食事済ませてなかったら、凍死してたかも」
クリスが自分の腕をさすりながら言う。
「凍死などとは、大げさな事を」
「そりゃ、着ている物が違うもの。前もってあんなに冷えるって判ってたら、もう少し服装をどうにかしたのに」
そう言いながら、うらみがましい目で父親の方を見上げる。
「ああ、そうか。この時期に来るのは初めてなので、すまなかったな」
「…で、用事の方は滞りなくお済みでしょうか?前もって言っておいていただければ、火の準備くらいは致しましたものを」
放っておいたらいつまで続けるつもりだろうか、と思ったところで、割って入る声がする。むろん、有能な随身の声だ。
「まだ火を熾して待つほどの気候ではないだろう。あれはな、「体が冷えたから暖めてほしい」という、誰かに対する回りくどい訴えなんだから、適当に流しておけばよい」
……誰かって。
「…別に、そんな意図は、ありません。ここでの用事がもうないのでしたら、お迎えが来るところまで戻りましょう」
怒ったような口調でそう言い捨てたクリスが、祠の出口の方に向かう。
一瞬遅れて、ナヴァル伯が後を追い、さらに追い越して祠の出口から外を窺う。厳密にいえばクリスは護衛対象ではないのだろうが、自分がまず安全を確保する、というのは習い性なのだろう。
「ややこしい性格の娘ですまんな」
通りすがりに王がそうつぶやく。
「…もう慣れました」
そう返した答えは、相手の耳に届いたかどうか。
だから、小声でこう続けた。
「俺が手に入れたいと思うのは、あの性格も含めたクリスであって、ゲオルギアの血を引く、クリスティーナと名付けられたいれものじゃない」
祠の出口のところで、こちらを振り返った王が、こう言った。
「それは、以前にも聞いた。早く来ないと、置いて行かれるぞ」
地獄耳だぁ~~♪。