7月自作/図書館「親子で通う図書館という美談」
- カテゴリ:自作小説
- 2013/07/17 21:00:49
「はい、お父さんは本を渡してもらって顔こちらへ、お嬢さんはカメラをみてくださいね」
パシャッーカメラ音で終了。
その日ー図書館を利用する親子連れの貸出し本数が尋常でなかったらしかった父と私達姉妹の親子は、記事にするというので新聞社が取材兼写真撮りを図書館ですると言われて、妹もその話は了解していたはずだった。しかし、写真に収まったのは父と私の二人だけ。館内呼び出しに応じなかった妹を待たずに撮影はさっさと行われた。新聞社的には「図書館で親子が本を借りる」シーンを撮れればよかったらしいので「親子二人」だろうが「親子三人」だろうが問題でなかったわけで撮影終了した私は即座に追っ払われて父と記者が話す時に私はすでにお邪魔であるのを今で言う「空気を読んで」いた。その場から去った私は児童図書コーナーに向かった。館内放送に気付いてなかったと思われる妹は本に熱中しているのが視界に入った。妹は呼び出しなんぞ耳に入らなかったのだ。もし呼び出しに気付いても無視したんだろうと私は思った。妹が読んでる本は児童本コーナーの物ではない。写真に収まるべきは本来妹の方だ、と思いながら私は大好きな童話コーナーの未読本を選び始めた。
読んでなくたってわかる、「不幸せな女の子が王子様に会って目出度く結婚してして幸せになりました」というワンパーンの展開の本を選択する。親に求められるのは「読書する子供」であって、その本が文字だったらいいわけで、それは私も自覚していた。私は本当の「本好き」でないのは重々承知していた。
作られた話であり、かつ結末のわかってる内容の本から飛び出すのが私は怖かったのだー否定出来ない事実。
「図書館に通う親子」という地方版の小さな記事に添えられた小さな「親子写真」はクラスメートでさえ、誰も気づかなかった。
翌週も父と妹と図書館に行ったー館内で、いつものごとく父は自分の世界に入り込む。激務の中で子供を連れて図書館に来るのは、図書館という閉じられた空間で自分だけの時間を過ごすための道具としての自分という存在だということ我が子が知ってるということを父は気付いていなかったと私は信じていたーというよりも信じたかった。
家族の為に身を粉にして働く父が図書館で癒される本に囲まれる為の言い訳に、二人の「本好き」な子供を図書館に連れ出す理由にされているる自分を自覚しながら、図書館に連れて行かれることに喜んでいた。自分のほんとに喜びは図書館への行き帰りの父との時間だけだったのを、当時の父がほんとに分かっていたとは思えない。
その当時の父の年齢をとうに超えた自分が思うのはー生きている家族の形態を維持するのに精一杯だっただろうということ。そして、図書館で自分の時間を侵さない存在を「家族サービス」の言い訳にしていた父のささやかな休息であった時間だというこ。そんな大人の心情を読み行動を充分自覚しながら、それでもー大人の言い訳であるのを自覚しながら演じることが自分の存在理由だったーもし父が、今生きていて、その時の想いをぶつけてもおそらく当時の記憶自体ずっぽり抜け落ちているだろうと確信する自分がいる。
図書館の中では父は父でなかった。「親子で図書館」という微笑ましい記事との齟齬。
図書館の中で捨てられる子供は童話のお姫様に救いを求めるしかなかった。
一方で、自分より年下の妹は、そんな父とは早々に別の彼女の本の中の世界観を見つけていた。
父と別の世界を本の中に見出した妹の図書貸出しカードと父の貸出カードはどんどん同調しrていき、私のそれは別次元で大人になれない壁の内側に取り残されていたーそんな感じが私の心を蝕んだ。父と妹への嫉妬。大人げないというのも自己回答で把握していた。
忙しい父が、自分の時間を持つための「言い訳」に子供である私と妹を連れて図書館に行く理由に利用してるのを充分にわかっていた。その想いは妹も承知だったのを私は知っていた。でも、妹が長女の私と「図書館での時間」に、そんな撮影取材に抵抗を感じたかていたからこそ、館内放送を無視したのかみみを始めから塞いだのか、それを私はわかった気がした。
逆にそんなねじれた家族関係をー早く察知したのだろうと思う妹が父の魅了された本の世界に自分の世界を築き始めていたのだ。一方で私は図書館という閉ざされた空間の中でさえ「児童図書」コーナーの童話の「幸せになりましたとさ」の向こうの本の魅力に歩むことができず、おそらくそれが限界だった皮肉を私は嘲笑した。父も妹も図書館の中の本の中でそれぞれ自分の世界を無限に広げていた。
「親子で図書館」という写真の中で主人公だけが幸せになる世界の本を借りている私は、写真のフレームからあの後、飛び出すことができたのだろうか?未だにあの写真の世界の中を彷徨ってるのだろうかしたのだろうか?
今年もその答えを見つけぬまま父の命日を迎えた。返事のない父に問いかけけるー私はあのフレームから脱出しましたか?
父が図書館通いもままならぬほど「企業戦士」と化していったの合わせて、私も図書館通いから遠ざかったー結局私は本が好きだったわけではなく図書館に父と行けるというのが大事だっただけなのだ。
一方で、「本好きな親子写真」に収まらなかった妹だけが変わらずには図書館に通い続けた。図書館に通わなくなった私と反比例に妹の世界はどんどん広がった。
父が本のない世界に逝ったこの季節にふと思う。
天国には本はありますか?
図書館への往復の道をお姉さんが、図書館の中で本を読むことを妹さんが、お父さんにつきあってあげていたということでしょう。
よい思い出を作って、天国でも幸せに暮らしていそうです。
それでも一緒の時間を過ごしたくて、、というおねえちゃん、いじらしいっす!
物語のつづきは
そこでしょうか
>かいじんさん
父と同じ空間にいる為に図書館を利用したーそういうお話です^^;
>BENクーさん
コメ感謝です。同じ空間で家族として存在しながら想いが違うーご指摘の
通りでそれを伝えきれない己の文章力に脱力ですorz
父と過ごせた時間と言うのもかけがえのない思い出だと思います。
読んで感想までくださって、申し訳ないという気持ちです。
>KEIさん
活字に逃げていたーまさしくです^^;
妹は逃げただけでなく、活字の世界に自分の居場所をどんどん
広げていました。
父や妹のように本の魅力をほんとには感じることが出来ない寂しさ
は当時から大人になるまでありました
>トシraudさん
父が親としてどうだったのか?子供のいない自分には口をはさむ権利
ないと思いますが^^;、当時、図書館に行きたかったのは父本人だったのは間違い
ないですw。自分が図書館で本楽しむために自分が利用されてるのは
自覚していました^^ゞ
今でも自分が父のように本が好きとは思えないでいます。
父以上に本が好きになったのは妹でした。
とはいえ、ワンパーンでも文章に触れ続けたのは
その後の読解力にはなった気がしますw
そんな感覚がわかるような・・・・・
何かに没頭したいふりをしているだけなのかもしれないなぁ。
そんなことを考えさせられてしまいました。
アップしたら改行がめちゃめちゃで、大急ぎで改行を修正しました^^;
屈折してるという感想に感謝というかw、ぶっちゃけこういう子供時代が
「書く」原動力かもと思いますw
携帯投稿は別の方だと思いますwなぜなら、携帯状態で投稿する環境
でないので、移動中は読む、聴くしかしてなかったからです。
でも。メモで作文できますよねw。そっか、今度からやってみます^^♪
携帯の方はべつの方だと思います^^
図書館に捨てられて、妹と壁、、、なんていいつつ、不器用なお父さんへの、素直?な妹での愛情w
ぼうぼうさんが作風変えようとしている、ひとつの回答かなぁ。。。
ところで、携帯で書いたっしょwww 電車とかバスでw 読むのも書くのも快適なスペースですよねw