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日々reco新聞


台湾の追軍慰安婦

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201307070001.aspx

上記サイトより引用

(東京 7日 中央社)今年92歳になる台湾人元「従軍慰安婦」の鄭陳桃さんは日本の人々に過去の歴史を忘れないでほしい、戦時中の慰安婦の存在を二度と否定しないでほしいとはるばる日本に赴き人々に訴えかけた。 

今月6日から東京都新宿区の「戦争と平和女性博物館」で台湾慰安婦についての特別展が日本の団体と台湾のNPO、婦女救援基金会によって共催されるが、鄭陳さんはその高齢にもかかわらず、歴史の生き証人として名乗りを挙げ、同日午後都内で行われたオープニング・シンポジウムに出席、自身の悲しい過去について涙ながらに語った。 

この特別展は「台湾人『慰安婦』の証言 日本人にされた阿媽たち」と題されるもの。「阿媽」、台湾語の「阿[女へんに麼]」(アマー)は「おばあちゃん」の意。シンポジウムの会場には大学生など若者を含む日本人が100人以上集まり、まず先日亡くなった台湾人元慰安婦の冥福を祈って1分間の黙祷が行われた。 

鄭陳さんは壇上に立つと日本語で自己紹介、当時、高校への通学途中、突然警察官にジープに乗るよう強要され、その後海外に連れて行かれたと語り始めたが、何度ものどをつまらせ泣き出し、話を続けることができなくなってしまった。 

19歳でインドの「慰安所」に送られた鄭陳さんはその後生きた心地のしない悲しい5年間を送る。自殺をはかり流産し、終戦後ようやく台湾に戻った時にはすでに妊娠できる体ではなかった。一生消えることのない心と体の傷を抱えながら鄭陳さんは、当時の被害者が今まだここにいる、歴史の否定や抹消は許されないのだということを日本の当局に知らせたいと今回の日本行きを自ら希望したという。 

この20年来おばあさんたちに寄り添ってきた婦女基金会幹部の康淑華さんはシンポジウムの席上、アマーが自分について語るのは大変勇気の要ることで、日本側が不当な言論でアマーたちを苦しめ傷つけ、歴史の教科書では戦時中の慰安婦制度についての記述をなくして日本の若い世代に事実を知らせず過去の記憶を消そうとしていると指摘、人々の無関心に憂慮を示した。 

同基金会ではアマーたちのドキュメンタリーを今年9月に公開することにしている。 

引用以上

疑問点
>突然警察官にジープに乗るよう強要され
ジープというのはクライスラー社の製造と思われますが、戦前の日本には
警察官が外国車に乗るほど日本は裕福だったのでしょうか。
>19歳でインドの「慰安所」に送られた鄭陳さん
第二次世界大戦に日本が参戦したのは1941年タイでの事です。
19歳というのは、1939年の事ですから、日本はまだ参戦すら
していません。
>19歳でインドの「慰安所」に送られた鄭陳さん
日本はインドを占領していません。占領していないのに
慰安所を作ることはできないと思われます。

尚、当時の高校は、現代の日本でいう大学以上の希少さがあり、
入ることができるものはごく限られていました。
また、女性が入ることができるのは、女学校または共学であれば
男性以上に学問に優秀な人でありました。






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