Nicotto Town



どうしてもアメリカが認めないなら写真付きの所を


戦後日本には進駐軍を対象にした特殊慰安所がありました。
通称「パンパン」
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『パンパンとは戦後、連合国軍による保障占領で日本にきた進駐軍兵士(G.I.)を相手に街頭に現れた私娼のことで、パンパンガールやパン助ともいう。こういった女性をなぜパンパンと呼ぶのか?これは「性交」を意味する英語『pompom』からきたという説や「女性」を意味するインドネシア語『perempuan(プロムパン)』のアメリカ訛りという説、更にペンペンという三味線(つまり芸者)を表す擬音語からきたという説などあるが詳細は不明。どちらにしても、米兵(GI)が使ったこれらの言葉が日本人の耳にパンパンと聞こえ、そう呼ばれるようになった。

日本語俗語辞書 より
http://zokugo-dict.com/26ha/panpan.htm
                      』
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日本中にありましたよ。
進駐軍の基地があるところはね。だいたいありました。
オンリーさんも近所に住んでいましたし。
米兵はジープで通って来ていましたよ。

子供時代に見ていましたから。
私より上の年代の人で知らない人はいないでしょう。
マスコミは何をしらばっくれているのですか?

===

特殊慰安施設協会(とくしゅいあんしせつきょうかい)は、第二次世界大戦後、連合国軍占領下の日本に作られた同軍兵士の相手をする売春婦慰安婦)がいた慰安所である。

英語では Recreation and Amusement Association と言い、RAA の頭字語で知られた。直訳は「余暇・娯楽協会」であり、日本語の名称との間で意味が大きく異なる。



国営売春所の設立まで

日本で第二次世界大戦の戦闘停止発令から3日後の1945年8月18日内務省が「外国軍駐屯地における慰安施設設置に関する内務省警保局長通牒」を各県に発令し[7][8]、これを端緒として、占領軍対策の一環として同月26日に設立された。戦後の進駐軍の日本占領に当たり、日本の婦女子の操が進駐軍兵士らによって汚される恐れがある。それならば性の防波堤を作って一般婦女子を守りたい、との思惑からである[9]

他方、占領軍がこの種の「サービス」を提供するよう命じたという説があり、1945年8月22日付で発令された内務省警保局「連合軍進駐経緯ニ関スル件」という文書の最後の項目に「聯合軍進駐ニ伴ヒ宿舎輸送設備(自動車、トラック等)慰安所等斡旋ヲ要求シ居リ」と記されている。
                              ウィキより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%85%B0%E5%AE%89%E6%96%BD%E8%A8%AD%E5%8D%94%E4%BC%9A#.E8.83.8C.E6.99.AF

写真↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Yasuura_House.jpg

函 館 に も い た 夜 の 女 た ち
― 国策で誕生し捨てられたパンパン物語 
昨年2008年8月、「母校と同窓会と私」シリーズで小西康雄・関東青雲同窓会相談役にインタビューし、「
母校があったから、仲間があった」を発表した。そのインタビューの中で小西氏は「当時、制服もなくて、古着屋に行って、“安くて出来るだけ高校生に合ったもの”を手に入れ着ていたよ。古着屋なんか知っているかね。(函館駅前の)棒二森屋の向かい側辺りにあったなあ。そこでイカ釣りのアルバイトで買った、軍隊のズボンをはいていたよ」と語る中、その古着屋の当りには「夜の女」がいたと述懐した。
 




■ パンパンの出現とその経済効果
 下記写真は半世紀以上前1953年10月、毎日新聞社が撮影したパンパンの写真である。資料本からそのままに引用することにする。

 「占領が始まって1ヶ月もたたない1945年の9月には、GHQ司令部のお膝元である日比谷公園の周辺で、すでに米兵を誘う娼婦の姿が認められるようになっていた。そのも夜陰にまぎれることもなく白昼堂々と営業活動をする“闇の女”たちである。
 いつしか彼女たちのことを世間では<パンパン>と呼ぶようになっていた。<パンパン>と名前のいわれを、インドネシアとか南洋諸島の現地語に求めることもあるようだが、戦勝国アメリカのスポーツの試合で応援をするチアガールが手に持つ房々した“ポンポン”と同じルーツを米語とする説もある。ポンポンには擬音語から発しての自動機関銃の意味もあるし、対空速射砲のことをいう場合もある。同時にスラングで“性交”を意味することもある。つまりポンポンガールがパンパンガールになったのではないだろうか」。岩永文夫著「フーゾク進化論」

 「1946年8月、『顚落(てんらく)するまで』」という告白を毎日新聞の投稿欄に寄せた街娼がいる。彼女は満州から引き揚げ者だった。上野の地下道を寝所に就職口を捜すが、2日も食べない日が続き、握り飯をくれた男に誘われて、『闇の女として人からさげすまれる商売に落ちた』」。
 後の研究によると、街娼に共通する性格は、虚栄心が強く自制心に乏しいとか、好奇心から身を持ちくずしたものも多いといわれた。だが、占領3年を経た1948年(それ以前の調査結果は無い)頃でも、警視庁保安課調べによると、街娼の77.5パーセントが生活苦からだ。好奇心、虚栄、怠惰からは23パーセントにも満たさない。街娼に長女が目立って多いのも、家庭の経済的重圧が長女への負担となった証明といえるはずだ。
 同じように肉親のために身を売った零細極貧農村出のかつての娼妓と異なり、街娼の学歴は高い。高等女学校中退や卒業が多くいた。年齢は18歳から23歳が69.7パーセントを占めている。多くの男子が戦死した結果、女が男より3百数万人も多いという異常な人口分布で、結婚適齢期の女性の相手不足を生んだことも一因である。結婚によって生活を支えてくれるはずの男性はいなかった』。
 ドウス昌代著「敗者の贈物 特殊慰安施設RAAをめぐる占領史の側面』

 「その頃の料金は、ショートいう15分単位のプレイ時間で米兵相手に1000円から2000円が相場」
 「パンパンの人数は、アバウトなものしか当時も今もわからないが、1946年頃で都内で5,000人、全国で7万~8万人はいたといわれている。そこに、そこにRAAが閉鎖されて、一挙に4,000人もの慰安婦たちがパンパンの群れの中に流れこんでくる。
 そして1950年6月に勃発した朝鮮戦争によって、国内の朝鮮特需が沸き起こるなかで、パンパンの需要がさらに喚起される。そこでパンパンの最盛期といわれた1952年頃には全国で10万人以上の街娼が存在していたといわれる。
 伝わるところによると、その頃、海軍基地のある神奈川県横須賀では、この町だけで年間に2億~3億円の外貨を、洋パンと街娼たちで稼ぎ出していたということである』。
http://www.green.dti.ne.jp/seiun-dousoukai2/panpan-monogatari.html

                』
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↑写真が多く載っていたので紹介させてもらった。

アバター
2013/05/23 01:27
GRASS 様
沖縄は第2のチベットになるでしょう。
旧ソビエト圏も含めて北欧は今大変な財政難に陥って居ます。
発端はソビエト崩壊と共に難民が北欧に押し寄せた事にあります。
最初はそれでもおとなしくして与えられた居住区に住んだのですが、
アフリカが内戦状態になり多くのアフリカ北部の人たちが通り道としてギリシャをまず破壊しました。
治安が難民によって悪化したためにギリシャの裕福な人達がギリシャから出て行ったのです。

此れは財政の悪化につながります。それにも関わらず、公務員たち官僚たちは給料を下げなかった。
税金を上げる事で国の破綻を防ごうとしたが、現在の状態になりました。

次にイタリアもギリシャの次に裕福なドイツ、フランスを目指した難民たちはイタリアを通ります。
勿論住み着いて金を稼いで動けるようになると次へ移動するのです。
治安は当然悪化して居ます。

フランスの暴動を覚えていますか?フランスがあの状態になりました。
ドイツもどんどんと国外から高税収を出す人達が流出して居ます。
オランダもです。

次にスウェーデンを知ったのです。
他の国が移民たちに厳しくなった所で福祉国家のスウェーデンです。
彼らはその移民帯する対応の甘さとフランスのように最後に軍が出てこないことを良いことに
多くの場所を占拠して行きました。
福祉施設は直ぐに選挙されて配給されてくる食べ物と与えられた居住空間に住み着きましたが
いくら重火器で武装した集団に警備員は何もできません。


さて、話は中国に戻しますが、それらの北欧圏からノルウェーという武器輸出国が出始めました。
中国を主に相手にして居ます。高度な技術を旧ソビエトに対抗するために持っていましたから。
今や平和調停国ノルウェーは世界第7位の武器/弾薬輸出国です。

つまり中国は勿論もう知られている膨大が軍事費で高度な武器を輸入しまくっているわけです。

本気でアメリカが軍事対峙を中国としない限りは中国は沖縄までは軽く取れると踏んでいます。

其の為に大量工作員を沖縄に入れていますので。

アバター
2013/05/22 23:54
今晩は、今戦時中、終戦直後の事を知っている人達が少なくなり^
詳しい話が聞けないのが残念ですが、祖母、祖父、両親からは
子供の頃から良く聞かされました、叔父とが戦場へ行った話しも
のたもたさんが書いてくださったとうり、米兵が終戦直後日本へ
進駐した時どれだけの日本女性がレイプされたか良く分かります
橋下発言でも年配の人達の意見は殆ど「よく^言ってくれた」と
言う人達が多く見られました、自分も橋下さん、西村さん、両2人を
支持してます、日本だけが各国から非難される事じたいおかしい
国を命すててまで守った英霊にたいして^申し訳がない気持ちで
国民一人一人が声を上げ反撃すべきです、今だに平和ボケした
人達が多いのが現状です、中国の日本国内からの侵略も着々進んでます
第二のチベットにならないようにしたいものです、



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