Nicotto Town



大きな葛篭

昔は変えることができない。
でも、生きている限り、自分の心ひとつで
変わるものあるじゃないか。

あまり言いたくない。
キツイことはもう。

老いが深くなっていく母にはもう。

ずっと泣いているという。
早く死にたいとばかり言う。

お前に迷惑がかかる。
兄に電話したが、留守で、電話をよこさない。
あの子だけは、本当に辛い思いをして育てたのに。

死ぬ前に言っておきたいことがある
とばかり、つらつら言い募る。

兄嫁と犬猿の仲になって、離婚直前まで追い詰めたことがある。

悪い事はみんな他人に押し付ける
とっても簡単なトラブル処理法である。
全て兄嫁が悪い事にする。

彼女だって、兄と結婚してしなくてもいい苦労を
たくさんしたのだ。
わたしも悪いところがあったんです。
そんな話を彼女としたことがあった。

重たい母を抱えて、引きずりながら進んでいることを
一番理解してくれているのは、兄嫁その人だ。

母がまだ元気だったころ、
「お兄ちゃんところ、離婚しそうだよ」
嬉しそうに言った。

わたしは激怒する。
「それはあなたのせいだ。
何で少しでも我慢してやろうと思わなかった。
離婚したらわたしは絶対に許さんから!」
そう言って、三宮の雑踏に母を独り取り残した。

嫁姑の関係は修復不可能なのだ。

仕方がない。

兄にもいろいろとあるのだ。
わたしも怒っていた時期はあるが
元気でいてくれれば、それでいいと思うようになった。

ニコに来る前、わたしは癌を宣告されていた。
幸い初期だったので、たいしたことには至らなかった。

死が隣に座っていた。

今死んでも、結構、後悔はしないかも。
そう思って、ちょっと笑った。

残された者を考えると、参ったなぁとなった。
兄は随分苦しむだろう。

妹であるわたしに抱えさせたことを。
逆もまたそうなのだ。
兄が死んでも、わたしは苦しむ。

すんなりと許すことができた。

母は病のことは知らない。
知れば、ショックで自分が体調を崩してしまうだろう。
そうなると目も当てられない。

入院した季節は春で、夜になると嵐のような風雨になった。
稲妻が走る。
病院の大きな窓を覆う白いブラインドの隙間から
懐中電灯を向けられているように、
眩しく光った。

個室だったので、眠るのを諦めて
ブラインドを全開にし、夜空が落ちてくる
黄金を柱を眺めることにした。

父はたった独り、窓のない病室で死んだのだ。

それが胸に迫ってきた。
自分の病気よりも、父の死方が悲しかった。

父と母とわたしの実母。
わたしが生まれる前に何があったのか。
三文小説のごときだろう。
そう悪態つきたくなる。

血の繋がらないわたしと兄を育て続けた母。
美しい話にすればできる。
そうじゃないことが、たくさんあったとしても。

結末は、母だけが取り残された。
父も実母も、母を溺愛した母の母も兄も
みんな逝ってしまった。

わたしほど哀れな人間はいない。
母の日にチョコレートを持っていったわたしにそう言う。

母は親族に溺愛されたせいなのか
それ以上の愛を、一番の愛を父から得ることができなかった。

それを哀れとはわたしは思わない。

母が選択した人生だからだ。
結婚は本人の意思でするものだ。
結果が悪くても、責任は自分でとるしかない。

過去を変えたくても過ぎたことはどうしようもない。

父は酷い事をいっぱいした人だ。
それでも離れなかったのは、父を愛していたんだと
わたしは思う。

ならば、結果がこうなったとしても
その愛していたことから逃げるなと、
そして思い出せ。
そう願っている。

だからわたしは言わなければいけなかった。
父が独りで死んだのは誰のせいでもない。
報いを受けたのだ。
そういう生き方しかできなかった人だから。

それをわたしが悲しまなかったと思う?
言わないだけで、辛くなかったと思う?
実母の話を、わたしがどういう気持ちで小さい頃から
聞いていたと思う?

辛いのはあなただけではない。
ただ、わたしは自分を哀れだりなんてしない。

みんなそれぞれ消化しきれないものを抱えながら
生きているのだ。
泣いて、嘆き、自分を憐れむ余裕が
あなたにはあるじゃないか。

残された自分の時間を大切に生きてはくれないのか。

そう必死で言って、にっこりと笑って母の部屋を後にした。

わたしはいつだって強い娘。
そういう選択しかなかったのだ。

母がいなければ
たぶん、わたしも今もわたしではなかっただろう。

大切な物は
舌切雀のお話とは違う。
小さくて軽い葛篭に入っているんじゃない。
重くて、時に引きずられる大きな葛篭の方じゃないのか。

苦々しく思いながら夜道を歩く。
父の死も、報われなかった母も、よく知らない実母の死も
歳を重ねていくたび、
哀しみがましていく。

わたしはずっと泣いていたよ。
ただ、一生懸命だったから、目の前にあることから
逃げないように踏ん張ったから、天が少し味方してくれた。
だから後悔なんてしない。

いや、時々怠けますが。。。

自分の人生をどうぞ、自分から手放さないで。
幸せになることを、見つけることを
生きている限り諦めないでください。

母に、
そしてすべての人に。





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