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TAKEのつぶやき


☆天海僧正

明智光秀について異端の説として徳川幕府の黒衣宰相といわれた天海僧正が実は明智光秀であったとする説があるそうですが、ご存知でしょうか?

徳川家康に見出され家光まで三代の将軍に仕え、陰陽五行の複雑な理論を巧みに操って江戸の都市計画から日光東照宮の造営まで行ったとされていますが、その出生からしても謎に包まれています。
聞いた話しによると、天海僧正は光秀の名を分けて秀忠・家光に付けたということでしたが、どうも信用できる説ではないと思います。

ただ、江戸を安泰にさせるために陰陽五行や風水の理論を用いた寺院の配置などは興味が尽きません。最も有名な話と思いますが、江戸城の鬼門に当たる上野には東叡山寛永寺が配置され、反対の裏鬼門には目黒不動が配置されています。そして、そのライン上に国会議事堂があるのは単なる偶然なのでしょうか? それとも昭和になってからもそのような理論を用いる者がいたのでしょうか?

好き勝手に歴史上の話しをあれこれと繋ぎ合わせて考えてみるのも楽しいものですね。

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2013/05/12 00:26
・・・また難しいお話><。
天海僧正・・・ってどこかで読んだような記憶があるんだけど。

あぁ、いろいろな空想が混ざってるけれども、内田康夫がそのへんの話をかいてるかな?小説で。
まだ上巻しか読めてないけど、確かに明知光秀でてきたし。でも、その話がそれなのかどうかわかりませんけどね。
すみません、なんかよくわからなくて><。

ただ、陰陽とかなんか、そういうのは色々と話ありますよね^^
そういうの聴くのは楽しいかな~。・・・すみません><。
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2013/05/11 16:47
すごい!!

なんか、ためになりました^^
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2013/05/11 09:56
東照宮の桔梗紋、明智平の地名ですね



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